もうとっくに忘れた…と言う意味は、 本当に頭から消え去ったことではない。 自分の血と肉になったということに違いない。 自分の血と肉は、そのようにして作られていくのだろう。 |
リックベンソンの“ルーシー”を観た。 CGの技術が進んだから作れた映画だと思う。 いっしょに観た人が、よく理解できなかった…と、言った。 解説者を気取ると、時間がかかりそうだから、ただ頷いた。 何を見ても、何を聞いても、何を匂っても、何を考えても 人それぞれの経験と知識と育った環境と、今の環境で感じ方が違う。 “ルーシー”を観て良かったと思う私は、 この世の真実を映画のなかに感じるからだろう。 普段からこの世界の意味を考えている私には… 本当に、人間とはこういうものだろうと思うのだ。 |
私の周囲では、“忙しい!”と、ぼやく人がたくさんいるけれど、そう言われると、その人が私との距離をとりたいのだろうと悟る。 私は普段から、自分が忙しいとは思わないから、ほとんど“忙しい”とは口にしない。そのかわり相手との距離を保ちたい場合は、ある程度具体的な理由を言ってお断りする。あッ…自分が馬鹿に思えてきた。“忙しい!”と、一言で済ませたほうが簡単だ。 “忙しい!”と言う言葉は、便利な言葉だ。あなたは私にとって優先順位が低いという意味なのだ。 |
昨日、知人が訪ねて来て話をしていると、私のことを良く思わない人が複数いる…と言う話がでてきた。誰がどのように良く思っていないのかと問うと、具体的なことは分からないと言う。 人間誰しも、少なからず敵もいるし、意見の合わない人もいるし、毛嫌いされることもあるとは承知しているが、誰が何を言ったか告げられずに、中途半端に言われると気になるものだ。 嫌われることも、人生の勲章くらい…に思える自分になりたいものだ。 長く生きてきたんだし、これからあまり大きく変われないだろうから…。 |
私は、相変わらず毎朝電車の一番前…、運転席の斜め後ろ、車輛中央に立って通勤している。座席が空いていても、誰かが先にその場所をとっていない限り立ち位置を変えない。 今日は雨が降っていて、運転席の後ろにはブラインドが下りていて、前が見えない。残念だ。 いつも線路の継ぎ目を追いかけている。以前は時速30kmを越えると、分からなくなったが、最近は100kmでも見えることがある。そのことを自慢げに知人に話をしたら、“それって首が上下に動いているんじゃないですか?”と、質問された。確かにそうだ。遠くのほうに継ぎ目があるところを予測して、近づいてくるにしたがって顎を引いているから、知らない人が見たら首を上下に振っている変なおじさんだ。 明日から気を付けようと思う。だが、継ぎ目は気になるのだ。 動体視力が向上したと言えるか、専門家に聞いてみたい。 |
人はみんな同じような形をして、同じ機能をもっているように見えるが、よく観察すると、それぞれが異なった形と機能を備えている。 美しい?形とそうでないもの、走るのが速いものとそうでないもの、病気にかかりやすいものとそうでないもの… 全く同じものなんて一つとしてない。そんな存在が同じ学校で何年も勉強するなんて、無理があるような気がする。幼いうちから、親子納得のうえ、才能を伸ばす教育がベストだろう。バイオリニストとかバレリーナとかオリンピック選手のように、物理や文学も小さい時にたくさん触れる時間を持てば大きくなったら才能といわれるんだろうな。 同じように病気に強い体質も才能として開発できて、エボラ出血熱に感染しても生きていける人間いたらいのに…。多分そんな力のある人間は今でもいるんだと思う。 だから人類がこれまで残っているんだと思う。 人それぞれが、才能を持っていて、それを自覚することから、自分の人生が始まるのだと思う。 |
人の顔には、その人がそれまでに経験した歴史が刻まれているというが、それは本当だと思う。だが、親やその人の周囲の人達の生き方に接して、経験せずに悪い部分を身に付ける子供がいる。この子たちには、その部分が顔に表れていないから周囲の人には恐ろしさが分からない。 子どものいじめの、するほうの責任は学校の教育と言うよりも、親の生きざまのほうが影響大に思える。 子どもを見ると親の顔が分かると言うが、逆もまた真で…、親の顔をみて子供の本質を伺うこともも大切だと思う。声を大きくしては言えない世の中だけど…。 |
8月10日、私たちの町を台風が通り過ぎた日…小学校の同窓会が予定されていたが、10日には小豆島に検定を受けに行く予定にしていたから、私は欠席の通知を出していた。 当日台風で、フェリーが欠航し、ずっと地元にいたが大雨の影響が私のところでも、かなりあって右往左往していたから、すっかり同窓会のことは忘れていた。 昨日、町のなかで、後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると小学校の同級生と名乗る二人の女性が前に立っていて、しばらくして彼女達のことを思い出した。同窓会の話になった。雨の中…70名参加予定が58名参加したとのこと、あの日は夕方から小降りなっていたけれど、それでもみんなよく出かけたものだ。 ふと彼女が、横浜に行ってた○○君が、あちらを引き払って戻ってくるんだって…と、言った。 自分が定年対象の年齢に達したのだと、心のなかでつぶやいた。みんな時間ができるから子どもの頃の友達との交流が再会するのだろう。 自営業に近い私は、これからも、毎日同じ生活を続けるのだ。私に定年はないのだから…。 |
10年前に、私の父の友人から“○○ちゃん…あんた…甘いは…人間がなにで動くか分かってない。そんなやり方でうまくいくはずがない。まだ若いんやから一からやり直したらええやないか…。”と、言われたことがあった。その後いろいろ経験して今がある。 昨日、女性経営者に私が以前言われた同じことを話した。“あなたは、人間の本心が見えてない。”…と…。 少しは、私…他人の本心が分かるようになっただろうか? 彼女に励みを与えられただろうか? 他人に、こんな話を言って聞かせるほど、年を重ねたのだと、しばし感慨にふけった。 |