あなたは、ウサギか亀かと問われたら、私は亀だと答える。 あなたは、ウサギになりたいか亀になりたいかと問われたら、亀でいいと答える。 私はウサギにはなれない。 私は亀…亀でいい。 ぼちぼち、ぼちぼち、歩んで行こう。 |
自分が他人より劣っているところがあることを知ること 自分が他人より優れたところがあることを知ること それは、自分の人生を愛おしく思うための最初一歩のように思う 自分の人生は、誰のものでもない 足りる人生も、足らない人生も自分の人生だ 欠けたものがあり、こぼれるものがあり、引きずるものがあり すべてが、今の自分でいたるために、必要なことばかり 優れたところも、劣ったところもどちらも備えているのが 自分だと知れば おごらず、媚びずに、自分を大切に 歩を進めて行けそうな気がする |
“この4桁の番号を、三日後に間違わずに押さないとあなたは死にます。”と、言われたら…“年のせいで忘れっぽくなった。”なんて言わずに必死で覚えているだろうな。 この条件でも覚えられない人は、死を恐れず受け入れられる人か、まさに病気に違いない。 普通は、年をとろうが、覚えなければいけないことは覚えているものだと思う。 だから、私がこの年で英会話を学んで進歩しないのは、学習意欲が低下し、覚えようと言う気力が減少したからに違いない。 決して忘れっぽくなった…で、済ませるものではなく、その気になれば、今からでも英会話を克服できると思う。その気になればだいじょうぶ。 ところで、その気にさせるには、どうしたらいいだろう? 日本語を話さないで、英語を話さないと、三日後に死にます…なんて学校があったら、通ってみようかな…? |
信号を信じるのは止めよう。 習った歴史が正しいと思うのは止めよう。 新聞やテレビの情報を鵜呑みにするのはやめよう。 ネットの情報も同じ…。 家族や先生や友人の話も参考程度に… すべて、自分で確かめ、自分の責任のもとに生きて行こう。 |
今日は今から、私の子供の頃からお世話になっている老婦人に付き添い、ペインクリニックの医師から彼女の検査結果を聞きに行く。 彼女は身寄り(娘)から同行を拒否された。娘からは、本人一人で行かせれば良いと言われたが…、年をとり判断力の落ちた彼女が、きっと心細いに違いないと思うと、行ける私が付き添うしかないと思うのだ。 私が付き添ったことは娘には言うまい。 良い結果でありますようにと…祈る。 |
評判の店に、列に並んで待って、入る人は多いけれど、私は並ぶのは苦手だ。 お店の評価は、価格・内容(料理、器)・雰囲気(主人、スタッフ、内装什器)のバランスにあると思う。一つだけ特出するのも(ともかく安い…等)ありだけど、たいていはバランス勝負だ。 忙しい店というだけで、バランスで欠ける部分がでてくる。忙しないと言う欠けを前もって理解して店に入るなら、私は違う店でも満足できる。 暇な店で常連を大切にしている店があるけれど、そこの常連客は店が暇だから来ていることもあり、なにかの拍子に店が繁盛し始めると、ぴたりと足を運ばなくなることがある。それらの常連客のお店の評価基準は一般的でなく、忙しい店が苦手なのかもしれない。 私はと言うと食事は、ゆっくりしたいほうだから、長時間並んでまで食べるよりも、さっさとそこそこの店で食事を済ませてしまう。 予約だけの店はまた違う。客数を制限しているから並ばなくて良い。価格も良いが内容、雰囲気も良い。高いレベルでバランスが取れているのだと思う。 |
育った環境、信仰、金銭感覚、守るべきもの・周囲の人脈等の異なる者同士…意見が対立した場合、 互いに自分が正義であると言う主張を繰り返しても、進展はない。その場合、お互いが相手を勉強する必要があるのだが、もし無理なら自分だけでも相手の考え方を理解しようと努力すべきである。それは、決して自分が一歩引いて相手を認めるためにではなく、相手に自分の考え方を分からせるために必要なのだ。 そして、相手が自分との関わりのなかで、変化することを信じ、自分にも変化する余地があることを頭に置いて待つことが必要である。 試してみて、待ってみて、その後で変化がないようであれば、接触を経つ決断を下せば良い。 国家間でも夫婦間でも親子の間でも、同じような気がする。 |
他人の話を聞いて、100%理解できる人などいない。話しているその人自身だって、自分の話す内容を100%理解して自分の言葉で話のできる人は少ないだろう。 部分的に深く理解しすぎると、話し手の一番言いたいことを違う意味にとらえることがある。だからボーッと聞いて、分かったこと以上に分かったふりをしないことだ。無理せず、あせらず、その時には分からなくても、いつか分かればいい…くらいの気持ちでいればいい。 分からないと話し手に言えることは、その人のことを理解しようとする明確な意思表示なのだから話し手に遠慮する必要などありはしない。もしいぶかしげに見られたら、その人が自分の言葉で話をしていないからに違いない。 私はと言うと、その人の伝えたい事の30%くらい分かれば上々だと思って聞いている。そのくらいのつもりで私は他人の話しを聞いている。自分勝手に全く違う意味に理解するより、ずっとましだと思うのだ。 |