選択肢が一つしかないと、大きなストレスになる。選択肢を多く持つことは、ストレス少なく生きるうえで大切なことだと思うが、生きる意味を考えると・・・ストレス少なく生きるために生きているわけではなく、自分の目指すものを実現するなかで、どうストレスを乗り越えていくかと考えた方が正解に近いように思う。選択肢を多く持つことは人生において目的ではなくテクニックではなかろうか。私は選択肢を多く持つ人が、引き出しを持つことに専念して、目的を見失ってしまっている人を沢山見てきた。当然そうなるとその人は目指すところに到達しない。 大切なことは、目的が実現することをどこまで信じられるかではないだろうか・・・ “信じる力”が小さければ引き出しの数は、単なる気休めにしか過ぎない。 自己実現していくためには“信じる力”を媒介にした努力以上に大切なものはないと思う。 “信じる力”が強力になれば、引き出しの数は大きな問題ではなくなる・・・と思う。強力になれば、世の中が自分を中心に回ってくると思う。 |
先日、パリの郊外でオーベルジュを10年間経営していたシェフの、帰国後自分のレストランを始めて3周年記念パーティーに出席した。フランスに戦いを挑んだのが40歳・・・神戸の震災をはさんで50歳で帰国し、紆余曲折の十数年後、3年前に我が町で小さなレストランを開店した。本当に小さな可愛いレストランである。フランスの名門料理学校“コルドンブルー”で日本人で始めてフランス料理を教えたと言う輝かしい経歴からすると、少し小さめのお店かも知れないが、再婚した奥さんと一人の料理見習いとでやっていくには適当な大きさだ。彼の年齢は66歳・・・パーティーには、彼の経歴が物語る素敵な来賓が集まった。 パーティーの最後のスピーチに、彼は私に対する感謝の気持ちを述べたそうだ。私はすでに退席していて、そのメッセージを直接聞かなかった。翌日、直接そのメーッセージのために電話してくれた。嬉しかった・・・ 彼が現役で仕事するのも後数年・・・フランス人にフランス料理で挑んだ戦う料理人が、最後まで戦い続ける様を見守っていたいと思う。 |
私は、“競争するなよ!”と子供に言い続けた。“競争したらお前は負けるで!”と言って育てた。親らしからぬ教育?・・・である。しかし、私自身が、実感してきたことだから仕方ない。 世の中には、少数の成功者と失敗者がいて・・・多くの普通の人がる。 多くの親は、勝ち抜くために努力を惜しまないよう子供に教え、一番競争の激しいフィールドに子供を放つ。そして結局普通の人ととなる。 子供が競争に勝てる器かどうか、自分の子供頃の事を思い返せば分かるだろうに・・・ 競争に勝てる子供は、競争に勝ってきた親の子供か、競争に負けた親を反面教師に育った子供かのどちらかしかない。中途半端に育った子供が勝てる訳がない。 私は、子供の頃“喘息、アレルギー体質、貧血症”学校も3分の一は病欠した。親も諦めていたのか、戦うことを期待されなかった。今では、そんな人生と親に感謝している。今、私は人と異なる感受性と技術と表現力のおかげで、コンプレックスなく生きているのだから・・・ 探せば普通の人達にも、競争の少ない、世間から必要とされる、自分にもできることがある世の中だと思う。 先ずは“好きこそ物の上手なれ”・・・子供には好きなことを、とことんやらせて、やりたいことが上手くなっていく喜びを経験させてあげたい。(身を崩すと思われることは止めなくていけないのだろうが・・・) さて、私の子供はこれからどうなっていくのだろう?やはり心配・・・親馬鹿だ! |
私が高校生の時、日本語の漢字で“生きる”と“生まれる”が同じ“生”という字によって表され、英語だと“born”と“live”という違う表現のようだから、日本と欧米の文化や物事の解釈の違いを表す“一言”を探り当てたような気がして嬉しくなって、友人にそのことを話したら、そっけなく「そんな英語と日本語の違いって、他にもよくあるよね!」と言う返事が帰って来て・・・それで、話は終わってしまったんだけれど・・・ それ以後も、他の人から同じような着眼で“生”という文字の持つ意味の深さを聞いたことがなくて、今でも高校生の頃に鋭いことに気がついたんではないかと思う。 私は、言語学者ではないし、そもそも言葉というものについて語れる器ではないが、“生まれる”とは選んでそうするという意志を感じ“生きる”は大きな意志を受入れ体験するという意味があるように思う。あくまでも私の感じ方であるが・・・英語では別々の言葉で表される“生まれる”と“生きる”が一文字で表されるところに、東洋人が“運命”という大きな流れに子供のうちから文字を通して親しんでいるように思う。 人が神に近づこうとして“バベルの塔”を築く発想ではなく、運命を受け入れ誕生から死までを一つのスパンと捉え“生”をまっとうする自分でありたいと思う。私が生きる意味は、そこにしかないように思う。 |
4年前に大きな手術をした私は、現在も手術をした病院の執刀医に半年に一度の定期健診を受けている。その他職場近くの病院に2週間に一度常備薬をもらいに行き、そこで2ヶ月に一度血液検査をしている。私の病気は完治したのではないため、また完治することもないらしく、これからも再発を防ぐための治療を続けなければならない。今回の血液検査でHDL-コレステロールの数値が標準よりも上がっていたため、早速新たな薬を追加された。薬の増加は私にとって大きなストレスだ。対処療法の医者では症状に対しての薬が処方される。 薬の数を少なくしてくれるお医者さんに出会いたい。漢方薬にも精通したお医者さんを探してみようかと思っている。 食べ物もお酒にも、もっと気をつけないといけないかな・・・薬漬けの体にはなりたくないもんな・・・西欧医学の限界を感じるな・・・まだまだ健康でいたいな・・・健康って幸せの源だな・・・まだまだ、チャレンジしたいな・・・ |
朝起きると、庭に雪が積もっていた。冷え込みが戻るとは聞いていたが、3月半ばでこの景色を見ることになるとは・・・嬉しくなった。単に雪が降ったからではない。去年の11月雪の季節の少し前から車のタイヤをスノータイヤに履き替えて、一度も雪道を走ることがなく(雪のちらつく中を走った事はあったが)とうとう、タイヤをすり減らすだけの冬が過ぎてしまうのかと思いつつ、そろそろノーマルタイヤに戻す覚悟をせねばと考えた矢先の雪景色。先週あたりに交換していれば、きっと今朝は意気消沈であったに違いない・・・たとえ一日でもタイヤの価値が実感できて幸せな朝である。 実際国道に出てみると、町へ続く高速道路は入口閉鎖。山を越えるトンネルはチェーン規制。いつも通る曲がり道の山道は閉鎖。結局、渋滞の続く国道をいつもの4倍の時間をかけ、片道600円のトンネルを通り職場にたどり着いた。 時間がかかったが、妙に充実感のある通勤であった。ただ次の冬は、タイヤ交換をクリスマス時分にしようと心に決めた。 |
“プロフェッショナル”と言う言葉には、眼光鋭くクールで厳しい人・・・というイメージがあるが、職業によっては、例えば演壇中の落語家が観客に鋭い視線を向け続けたり、ホテルのフロントスタッフが宿泊客にクールに振舞うより、間の抜けた表情や親しみを抱かされる優しい眼差しのほうが良いに決まっているし・・・表情ではなく仕事に向かう内面的な姿勢の優れた人を指す言葉であることは言うまでもない。いわゆる“プロフェッショナルな人”はすべての職業に存在するのだろうし、どんな仕事であっても真剣に誇りをもって取り組んでいれば、当然自分のことを“プロフェッショナル”と言いたい筈だが、多くの人は謙虚?にもその自覚がないようだ。自分をプロフェッショナルと思わずによくお金をもらっているものだ・・・そんな人が多いからテレビで“プロフェッショナル”という人気番組が存在しているのかな・・・ 私は、やるからには“プロフェッショナル”な仕事がしたい。人が言ってくれなくても、自分で“プロフェッショナル”と宣言したい???でも本当に言ったら角が立つかもしれないから・・・心のなかで思いたい。そうしたほうが緊張感のある有意義な人生が送れると思うけど・・・ 世の中に私のような考えの人が多いほうが,より良い世界になるのではないかと・・・思う。 |
久しぶりで中華料理を食べた。私の子供の頃にはなかったはずの中華街のメインストリートがいつのまにかできたもんだから・・・ちょっと“通りから外れた店”と言うことになるんだろう、その店は以前と変わらず五目焼きそばが有名である。数十年ぶりで扉を開けると「いらっしゃいませ」・・・当たり前の挨拶なのだが・・・文字では表せない“けだるい響き”・・・日本名も中国名の名札の人もいる国際色豊かな中高年の女性スタッフのけだるいサービス。壁にもたれ雑談するスタッフ、お客様が席を立つと揃って3名のスタッフが話しながらゆっくりと片付けにかかる。お客様から声をかけないと絶対に振り向かない“ほったらかしのサービス”・・・最近、この手のサービスの店が少なくなってきた。アメリカ式のマニュアル化した明快で心配りのサービスに浸ってしまった私は、やけにこの店が居心地よく感じた。サービスの進化と共に、こんな“ほったらかしのサービス”がいつか最先端のサービスになる時がくるんだろうか・・・ 言うまでもなく、焼きそばの味は以前と同じ・・・きっとサービスも同じ・・・変わらないお店でいつまでもいてほしいと思った。 |
先祖から受け継いだ品、親の形見、自分が買ったもので何年も使わない物、ダンボールに入れっぱなしの物も・・・“物”って、見てあげて、触ってあげて、手をかけて・・・しないと可愛そう。先祖からの品なんて、何故じいちゃん・ばあちゃんが手に入れたかという謂れなく、ただ単に子供に遺すのは寂しいな・・・“物”は持つ人の心が入っているか否かで、宝になったり、ゴミにもなると思う。私は物質欲が少し薄いほうで、あまり“物”に執着がない。先祖から受け継ぐ物も謂れの薄いものは、その物の価値の分かる人の手に移ったほうが良いと思っている。“物”は、見てあげる人、手に触れてくれる人、手入れしてくれる人、思いをかけてくれる人のもとにあるほうが輝きを増すに違いない。 “骨董的価値のある物”は、持っていることで少し幸せかもしれないけれど、それでも、もっと価値の分かる人の手にあるほうが、“物”は幸せなんだと思う。 今のうちに謂れの聞けるものは聞いて・・・整理できるものは片付けて・・・ 私が子供に遺すものは、形のないものも含め、謂れや思い入れをしっかり伝えておきたい。 |
以前お話したクロアチア人の女性が私に言った教訓で「あきらめちゃダメ!なんとかなるのよ、なんとか!」があると書いたことがあったが、最近彼女がその続きに言った言葉をふと思い出した。改めて書く必要もない些細な事のようにも思うが・・・彼女はこう続けた。「探せばあるのよ。思ったことを実現する道は・・・」であったように思う。この言葉が続くとかなり能動的で自分が信じて積極的に動くことが大切だと言っているように思う。また道には正面の道以外にも裏道もあるといったニュアンスを含んでいたように記憶している。 私も、この年までの経験のなかで、自分の力の及ばない壁にぶち当たった時、その道のスペシャリストの力を借りて乗りきったことがあった。なかには裏の道といえる道もあったように思う。 「道は探せばある。」・・・この言葉は、実感として私の体に染み付いた。 一人で悩まないこと、信頼できる人の知恵を借りること、今の自分には思いもつかない道がきっとあるはず・・・力を貸してくれる人に出会う努力は、自分しかできない。 |