高校3年の授業で、現代国語の先生が突然みんなにこんなことを聞いた。 「修行の僧侶が一人であぜ道を歩いていた。すると田んぼのなかから農民に化けた盗賊がが鎌を振りかざして、“金を出せ。さもないと命はないぞ。”と脅してきた。僧侶は“修行中の身うえ、金銭は持ち合わせない。本当じゃー”と言った・・・僧侶はそのまま放免され、しばらく歩いた後、実は五文の金を持っていたのに仏に仕える身でありながら嘘をついたことを悔い。今来た道を盗賊のもとに引き返した。」 この話をどう思う?という質問だった。一人の男子が手を上げて、こう答えた。「その坊さんはアホやと思います。失敗や後悔を過去に戻ってなんとかできるほど人生は甘くないと思います。」と答えた。出題した先生は一言「そやな」・・・ 私は、今でもこのやりとりを鮮明に記憶する。実は、そのとき私の思いついた答えは違っていた。 しかし今なら、十代の男子と同じ答えをするだろう。間違いや後悔も必然があって起こるに違いない。だから後ろに戻るのではなく、前に進む中で新しい自分の糧にすれば良い・・・と どんな成り行きがあろうとも、自分から離れていった人、自分から離れた人・・・その人たちと元の関係に戻る事は避けたいと思う・・・今の自分である。 |
20歳代前半の会社に入りたての頃、上司からその当時売れっ子だった社会評論家の講演会に行くように言われ、会社が引けてから聞きに行ったことがある。今から思い出だそうとしても何の話だったか全く記憶に残っていないが、彼が講演最後の締めとして使った言葉だけは、“面白くない話をしておいて、よくこんなことが言えるな!”と思った記憶と共に私の頭に焼きついている。 「賢者は愚者に学び、愚者は賢者に学ばず。」であった。 その日以来、私はその評論家のことを好きでは無くなったが、その言葉だけは自分への教訓として大切なものとなった。 今日、いつもは聞かないラジオ番組を聞いていて、久しぶりにその評論家の声を聞いた。今も彼を好きではないが、私に教訓を残した人生の師?の言葉を思い出して当時の出来事が蘇った。 私は、賢者としてその番組を最後まで聞いた。 |
横浜の外人墓地の内に初めて入った。歴史研究家との約束の時間(午後1時)に正門前に立っていると、意表を付いて後ろ(墓地側)から名前を呼ばれた。彼は午前中から墓石の調査をしていたらしく、私に会うために墓地から出てきたのだ。アップダウンの激しい通路を一直線に私の目的とする墓石の前に連れて行ってくれた。私の生まれる前に死んだ見ず知らずの外国人の膝元に、縁あり近づいた感激がこみ上げた。Harry Jhon Griffiths この英国人は何故祖国を離れ、何故日本を離れずここに眠るのだろうか・・・思いは二十世紀前半の日本へと飛ぶ。 歴史というものは、歴史研究家の調査研究による事実発掘と、優れた直感力による推理によって形作られる。何故わが町で死んだGriffiths氏が横浜に眠っているのだろうか?戦中に病気で死んだ彼の遺灰は、その後空襲で別の英国人と入り混じったと記録されているが、二つの墓(隣同士に埋葬されていた)にどのように区別して埋葬したのだろう? 埋葬から5年後Griffiths氏(日本に身寄りはなかったはずなのに)の墓だけ立派なものに改修されていたが誰が行ったのだろう。墓を改修する時にどうして彼の愛した町に移さなかったんだろう・・・ 今では誰も訪れることのないGriffiths氏の墓の前に立ち、思いは馳せる。 これからの私の調査と推理でそれらの疑問を埋めることができるだろうか・・・やりがいのある私のライフワークになりそうだ。 |
薩英戦争のきっかけとなった“生麦事件”という日本の歴史上重要な事件がある。薩摩藩主島津三郎久光一行の大名行列を馬上のままで突っ切ろうとした4人の英国人のうち一人が行列の最前部にいた侍に腹を切られ数分後に出血死・・・ほとんど無傷であった一人の女性と、重症を負った残る二人の男性が九死に一生で逃げのびたという事件だが、この事件の被害者C.L.リチャードソンの墓が横浜外人墓地内にある。この事件の後薩摩藩からの謝罪がなかったと言うことで英国艦隊が薩摩を砲撃し町は焦土と化した。この戦いの結末が、欧米の戦闘能力の実力を日本国内に知らしめる大きな契機になったわけだ。さて歴史研究家と共に外国人墓地のなかにある歴史的墓碑を前にした私は、急遽研究家の提案で“生麦事件”の現場を訪れることになった。電車を乗り継ぎ到着した事件現場は国道沿いにあった。今では敢えて訪れる人のないその場所には小さな社が作られていた。歴史研究家はこの実体験(その場所を体験する・第一次資料に触れる)を大切にしており満足そうであったが、この訪問は私には大きな感動をもたらさなかった。しかし研究家というものの行動の動機が、少し分かったような気がした。最近損得関係のない研究家と付合うようになり納得できたことがあるのだが・・・歴史研究家に悪人はいない!お金にならないことに子供のように熱中できる人は善人に違いない。これは間違いなさそうだ。 だから少し研究家気取りの私も悪人ではないだろう。信用していただいても結構かと思うが、そこまで言うと怪しく感じられるだろうか・・・ |
“みなとみらい21”へ行った。同じ港町であっても首都に近いこの町の都市開発はわが町のそれより数回りデカイ規模である。港、運河、レンガ造の倉庫、ディスプレーされた帆船、高級ホテルに巨大複合施設等々、埋め立て地も含め地理的特徴を新旧入り混じったハードを配して造られたこの町は、一見素敵な未来都市のように見えるのだが・・・夕方になっても飲食店街のお客の入りは今ひとつ、と言うよりガラガラ・・・隣接した遊園地の乗り物は、お客がいなくて動きもしない。かろうじて動いていた回転遊具を見つけたら、母親らしき女性が柵の外から娘が一人で乗っているのを眺めていた。映画館に入ってみれば収容能力五百人くらいの館内に観客が十二三人だけ・・・この美しい、人類の現代英知の粋を集めて造られたこの町は・・・なにか狂っている。 この現実を誰も予想しなかったのだろうか、過去に滅びた古代都市も、これだけ早く風化が見え始めることはなかっただろう。これだけの都市開発を、乗せた人間と乗った人間がいる。乗せた人間は他の町で同じ事を繰り返し財を増やし、乗った者は財を無くし去っていく。 誰か素敵な人がそばに居てくれたなら、ガラガラの遊園地の遊具を片っ端から試したかも知れないな・・・とか、土曜日曜はもっと人が多いんだろうかとも考えてみるが・・・ 散歩コースやジョギングコースとしては素敵なこの未来都市が、廃墟に見えるこの私をおかしいと思われます? 町の建物や風景をカメラに収める外国人の姿が遺跡巡りをしている人たちに見える未来都市でのひと時であった。 |
時間潰しに一人で映画を観た。テレビでもコマーシャルをやってるし、CGを多用したSF娯楽映画という軽いつもりで鑑賞券を買ったが・・・なかなかキツイ内容であった。題名は“第9地区”アフリカのある町の上空に大きな宇宙船が停泊し、地球人がその真下に飢餓状態でやってきた宇宙人のためのキャンプを20年に渡って運営してきたという設定・・・町から離れたところに宇宙人キャンプを移転させるため宇宙人の了解のサインをもらうため平凡な男性が責任者として選任されるところから物語は始まる。内容はともかく置いておいて・・・戦闘シーンがやけに残酷で、宇宙人に引き裂かれ、握り潰される地球人戦闘員の姿が微妙にリアルで目を背けてしまった。(本当は顔しかめながら観ていたが)CGの技術が進みリアリティーが増し次から次へと残酷シーンが登場すると観ている方は麻痺してしまい、命の重さなんて考えなくなってしまう。 ストーリーについて何もコメントがないエンディングを向かえた。映画の最後に観客の深いため息が聞こえたような気がした。 もし、私に小さな子供がいたら、見せたくない映画である。これから映画館に行く前には、ネットで情報、批評をちゃんと仕入れてから行くことにしようと思った。 |
30年振りで、夜行バスに乗った。23:30横浜発の関西行・・・夕方で仕事を終え、みなとみらい21で一人でビールを飲み始めたが、この調子で飲み続けると乗車拒否されそうだから、時間を潰そうと7時10分スタートの映画を観ることにし、終わったのが10時過ぎ・・・バスの出発地の横浜駅前へ移動したが、酒を飲み直すのも中途半端な気がして、ドトールでコーヒーを飲んでバスに乗った。この一連の時間潰しが間違いであった。酒が完全に覚めており、結局ほとんど一睡もできずに朝になった。バスはガラガラ・・・40人乗りの車内に8人の乗客(余計なことだが採算は全然取れていない)。空席の目立つ車内はゆったりとした空間だと喜ぶべきことだが・・・この日は風が強く、車体に当たる風の音と強風でバスが流れている感覚が気持ち悪い。若い時には、もっと居心地の悪いシートでも眠れたのに・・・普通の人は、この経験でバスには二度と乗るまいと思うのだろうが、私はそうではない。機会があればもう一度チャレンジして、今度こそは眠ってみたいと思っている。 次回は夕方から映画館に行き、8時過ぎてに食事をし、飲み始めて、そのままバスに乗って、眠ってしまう・・・という計画である。しかし、今のところ横浜行きの予定はない。果たして次回はあるのだろうか・・・ |
なにかを始める時に、 例えばこんな時・・・ 面接官の最初の問いに答える時 今の仕事を止めようと決めた時 仕事を止めたいと上司に言葉をかけた時 新しい職場の初出勤日に自宅の扉を開ける時 この人と結婚しようと決めた時 この人と別れようと決めた時 住み慣れた我が家から引越ししようと決めた時 新しいコートを買おうと決めた時 知らない人に返信を期待するメールを送る時 登録外の人から着信があって受信しようと思った時 通信販売で高額商品を注文する時 一人で旅に出ようと思った時 卒業しようと思った時 あなたは ほんの少し勇気がいりませんでしたか・・・ 心臓の音がいつもより少し大きくなって 自分に血が流れていると実感する時 そんな時 あなたは、もう歩み始めているんですね・・・ 自分が勇気を持った時 あなたはもう誰にも止められない存在なんです。 自分が世界の中心になるためには ほんの少し勇気が必要なんでしょうね・・・ |
最近、テレビで脳科学の番組が多いようだ。(私は見ていないのだが)知人が見た内容を教えてくれた。脳を活性化する三つのポイントというテーマだったようだ。詳しい説明は聞いていないが思い出してみると・・ 就寝前に 1)その日楽しかった事を順番に五つ思い出す。 2)料理をする。 3)右手と左手の違う連続動作をする。 1)は、記憶を引き出す回路を太くする訓練 2)は、段取りのなかで短時間に複数の作業をこなす訓練 3)、は2)に似てるようだけど、手先を通して単純作業の習得訓練かな、それとも右脳と左脳になにか関係あるのかな・・・ 最近、日記を付けるようになり、そのを日何を食べたとか、印象に残った事を書くようにしてるし、料理もたまにしてるから、 3)の左右違う連続動作をする練習をしてみると、結構できるんだ・・・と喜んでいる自分がいて、なんだか滑稽に見えてきて・・・自分のミーハーぶりに少し呆れた。 |
結婚前に白いセーターをプレゼントした。しかし。彼女がその服を身に付けたことを一度も見たことがなかった。あるとき、「あの服・・どうしたの」と聞いたら、「好みやないから、着ないの・・袖通したこともないし・・・」とあっさりとした返事がかえってきた。そのときの教訓で身に付けるものは、“本人に打診しないでプレゼントしてはいけない”という事・・・結局、結婚している間、二度と身につける品をプレゼントできずに・・・離婚した。 “トラウマ”とは、日本語で“虎馬”かと思ったら、語源はギリシャ語“trauma”で“傷”という意味らしい。1917年に心理学者フロイトが発表した「精神分析入門」のなかで精神的外傷を指す用語として用いたことが現在知られる意味の起源だそうだ。花束やワインのような、いつかは消えてしまう物以外の“残るプレゼント”に対して、頂くことも、あげることにも・・・私は素直になれないトラウマを抱えている。昨日も行為でメガネをプレゼントしてくれようとした人に、お断りのメールを入れ、その人は気分を悪くした。 さてこれからの人生で、私からのプレゼントを喜んでくれる人に出会えるだろうか・・・勿論、身につけるものなら本人に打診しようと思うが・・・ |