最近のテレビコマーシャルを見ていると以前にはなかった業種が増えてきた。パチンコの新機種宣伝・競馬へ行こう!・よく見ると信仰宗教?・かつらや毛生え薬・新聞を見よう!・痩身器具等・・・昔だったら倫理規定でハネられてるだろうギャンブル系のものも今は大丈夫みたい。企業がテレビや新聞に費やす広告費を削ってるもんだから、業界も相当厳しいんだろうな。固いこと言ってられないんだ。そう言えば、私もネットでニュース見たりしてるし、ただネットのニュースソースは新聞やテレビだったりするから・・・取材、報道関係の人材を雇用してる新聞や雑誌、テレビが衰退したら情報って、どこから生まれてくるんだろう。ネットのなかで生まれる情報や情報源が取材だけで生活が成り立つフリーのカメラマンやライターと言う個人だけになったら・・・情報の信憑性はどこまで問えるんだろうか?嘘の情報が大手を振ってまかり通るかもしれない。真実を見極めていく術をどうして身につければいいんだろう。これから何を信じたらいいんだろう。きっと、今の私には想像もつかない新しいシステムが構築されるに違いない。 自動車産業・石油産業も出版業界も百貨店も例外ではなく、永久に繁栄し続けるものは無い、壊れないものは無い・・・という真理の具現化の時代が急激に迫ってきている。果たして未来はどんな世界になるんだろう。 |
なんとかの“研究会”とか、社長一代で築いたお店や会社のほとんどは、数十年経つと、じいさんばあさんの集団になってしまって・・・ある時空を見上げて、存続の為に若い後継者を引っ張ってこなくちゃ・・なんて考え始めても、もう遅いんだろうな。その点、大企業とか大学の研究室のような組織は若い人たちが入ってくる完成した再生システムが出来上がっていてるんだと思う。一般のお店や会社では、トップの人達が自分自身が年を取っていくことを自覚できず、リニューアルシステムを作る機会を逃して、不安になってジタバタするもんだから、結局衰退を早めることになるんだろうな。 年をとっていく自分の変化を敏感に感じてないと、世の中の変化についていけなくなるんだ。小規模でも老舗や工房のような特化した技術や商品を扱うところは弟子入り希望の人が訪ねて来て存続するんだろうが・・・そんな職人集団や老舗が受け継ぐ信念は、世の中の変化なんか関係なく、特価した商品を作れば世の中の方が合わせてくる・・・なんていう自信の塊的発想のような気がする。 小学生の時の謎々にこんな問題があった。「12時を指して止まってしまった時計と1時間に1分遅れる時計、どちらが先に正しい時間を指す?」答えは勿論“止まってしまった時計”であるが・・・結局変化に合わせて下手に自分が変われば、ずっとズレっぱなしなんてこともあって、自分を信じてじっとしているほうが、また“いい時代が巡ってきますよ”・・・なんて教訓だと今は理解してる。 再生システムの完成した企業も老舗も、たいしたもんだと思う。自分ではそこまで出来なかったけれど・・・私は今でも自分で自分が若いと思ってる。だからだめなんだろうな。年齢の自覚をもっとしなくちゃー。 組織も老舗も、もう関係ないけど・・・ |
朝ゆっくりした日に散歩に出かけると、小学校生の通学時間と重なって、数人固まって登校してくる小学生に出会う。横断歩道には会社を退職(?)して数年経つのだろう老年の男性が旗を持って子供達を誘導している。そのおじいちゃんの一人の方の姿をしばらく見なかったもので、どうされたのか心配していたのだが、今日久しぶりで顔をみることができた。思わず、初めて、その人に“おはようございます。”と挨拶した。その人も慌てて“おはようございます。”と言ってくれた。 見ず知らずの私に、約2名の小学生が笑顔でちゃんと私の目を見て・・・“おはようございます。”と言ってくれる。慌てて“おはようございます。”と応える。なんだか、やられた感が湧いてくる。親の躾なのだろう。“おはようございます。”という挨拶ができることで、その人の将来の“社交性”や“コミュニケーション力”をいかに培うか・・・ 今日は、学校の朝礼で使えそうな話になった。 さて、私は明日からすれ違う全ての人に“おはようございます。”と言えるだろうか・・・“選挙に出馬するんだろう。”と思われずに・・・ |
あれこれ手を付けずに、一つのことに集中したほうが、目標の達成ができる・・・という考え方は分かるけど、私自身の経験のなかでは、絞り込んだ目標に集中して、そればっかりにかかっていると、能率が悪くなったり行き詰ることがあるから、なにか気分転換できる趣味とか話し相手があったほうが良いように思う。一つのことに集中できる時間には限度があるし、大体仕事の“できる人”は、気分転換のうまい人が多いものな・・・。そしてそんな人は趣味でも、結構本格的で一般の人のレベルを超えてしまってるように思う。結局、“集中”と“気分転換”の両方をうまくこなすことが目標達成のために大切なんだと思う。 さて、映画化されるストーリーを作る目標を持つ私は、気分転換に何をしようか・・・今は気分転換してる時のほうが多すぎるかな・・・ |
コンサートを聞きに言って、どこが終わりか分からなくて拍手のタイミングを人に合わせてしまうってことがあるけれど、(終わりと思って、自分から拍手したら、終わってなくて大恥かくかもしれないし・・・)そんなエンディングじゃーなくて・・・演奏した人も聴きに行った人もスタッフも、その場にいる全ての人が心から感動して、余韻のなかで沈黙が続くような・・・そんなコンサートに行ってみたいな。 そんなコンサートは、演奏中はみんなが別の世界に行ってしまって、この世に戻ってくるまでの束の間の時間が、“静寂という余韻”になるんだろうと思う。そんなコンサートに行ってみたいな・・・ “Chicago”の日本でのファーストコンサートも結構良かったけれど、そこまでいかなかったし、4年前フェスティバルホールでの“Keith Jarrett”のコンサートも結構良かったけれど、そこまでいかなかったし・・・ケルンコンサートに行きたかったな・・・ 私は、まだ私の理想の余韻を味わっていないように思う。 |
昨日、ある歴史研究家と時間を共にした。彼は私の調べている英国人の仕事場があった場所で戦中に空襲で焼失した洋館のあった地番を知っていて、私をそこに連れて行ってくれた。歩いていて突然、「ここにあったんですよ!」と、地面を指差した。今は近代的なガラス張りの建物が建っていた。 私が理解していた場所とは違っていた驚きよりも、戦前日本で生き、日本を愛した英国人の営みがあった同じ場所に今自分が立っている現実が私の心を昂ぶらせている・・・なんとも言いようのない初めての感覚に襲われた。 考えてみれば、どこでも史跡に立てば必ず歴史上の人物が過去にその地に存在していたわけであるから、別に今回のことで感慨にふけることもないのかも知れないが、きっと世界から忘れ去られた英国人への私の特別な思い入れがそんな感慨に浸らせるのだろう。 司馬遼太郎の坂本竜馬への思いも、きっと同じような物であったに違いない。 自分が歴史上の人物と同じ時間に存在しているような・・・なんとも不思議なひとときであった。 |
時間というものは、地球が太陽を1周する間とか、地球が一回転するとかの間を等分して世界共通の単位が存在するが、そのスピードの感覚は人によって千差万別で・・・一生のうちに努力や才能が花開いて世界のトップになる人と平凡に生きて死んでいく人とを比べると、その人生の流れのスピードに大きな差があるに違いない。きっと、生きてる証を実感できる人は、すごい速さでいろんなものが自分に向かってやってきて、生きていることがつまらく思う人はナマケモノの動きのように周囲がゆっくり動いていて・・・ 私が若かった頃、ある人から「思った事をすぐに実行する習慣を付ければ、人生が変わってくるよ!」とアドバイスされたことがあったけれど、今になってその言葉の意味がよく分かる。時間の感覚スピードは、自分がコントロールできるもので、目の前の出来事をはやく処理すれば、そのスピードに合わせた時間が動き出すということ・・・ ナマケモノのスピード感が決して駄目だとは思わないが、もし社会の一員として、他者から評価されたいと少しでも思うなら・・・今よりほんの少し目の前の時間をはやく動かしたほうがいいかも知れない。 |
今日、ある人のことで、“腑に落ちて”・・・その人は外見はおしゃれでスマート、笑顔も素敵で、話上手で聞き上手、交友関係も広く、絶対に人を裏切ったり落とし入れたりしない人・・・一見非の打ちどころのない人物だが、以前から彼と話をしていると、私が話したことを私の思いと違う風に理解したり、昨日まで信頼関係が築けていた人と急に険悪な関係になったり・・・なんだか、どのように彼を理解したらいいか分からなくて、どう接していけばいいのか分からなくて、ずーっと悩んでいたけれど、今日突然彼を理解できてしまった。彼は“人とコミュニケーションをとることが下手だ。”と言うことに気がついた。でもそれって・・・“もっと前から分かってたんじゃーないの。”と言われそうだが・・・ 結局、私が今日言いたいことは、“分かる”と言うことと“腑に落ちる”ということは“別の次元の話”ということで・・・“分かっている”と思っていることが、実は分かってないことって、世の中にあるんだと言いたいわけで・・・ 彼のことを腑に落とした私は、これから彼を自分のなかに包み込んで接することができるようになった。彼を掌握した私は、彼がいままでよりも小さく見えてきた。 |
知人から、“量子ドット”という言葉を初めて聞いた。これらナノテクノロジーの技術開発の進化がこれからの世界を変えると言うのだ。太陽電池の電気への返還効率が理論上60%とこれまでのものより数倍優れ、ほとんど電気を消費しないコンピューター、携帯電話サイズのプロジェクター、3D画像の情報に対応できる格段に効率の良い光通信が可能になると言うのだ。あまりの凄いテクノロジーに、こう書いている私は、なにか間違ったことを書いているのではないかと不安になる。ただ、これからの情報社会・クリーンエネルギーの世界を前に、知っておいて損のない言葉なんだろう。 世の中原理の分からない物ばかりが溢れ出した。 本当に人間が考えているのか・・・日用品となったパソコンの原理も分からない。 分かっている人も近くに居ない。 分かっている一部の人は、分からない多数の人と交わらないように、どこか別の世界で静かに生活しているのではなかろか・・・ |
世の中には、周りから見ていて絶対失敗するよな・・・と思うことを続けている人がいて、それこそ経験豊富で、先読みの鋭い人からすれば、世の中は失敗するべくして失敗する人だらけなんだと思う。簡単なことだが成功には成功する理由と手順・失敗にも失敗する理由があるんだろう。どうして義務教育として、子供に成功するための手順とか、負け犬の分析なんて授業がないんだろう。きっと、みんながみんな勝ち犬になると、今の勝ち犬の人達の面白みがなくなってしまうから、勝ち犬の旨みや優位性を保つために適当に負け犬を増やしたておいた方が得策であって、勝ち犬のために働く従順な犬を養成することが、教育の真髄かも知れない。そして私のような考えをもった人も、社会主義のように押さえ込んでしまわずに適当に野放しにさせてくれる・・・だけど勝ち犬を増やさない仕組みがしっかりできているから、体制を揺るがす大きな問題には発展しない。民主主義とはそんなものだと思う。 私は、成功の法則をこっそり誰にも言わずに実行して、少数の勝ち組に入りたいと思う。 誰か・・・成功の法則を教えて・・・ |