ギターが壊れて半年が経つ。ギターの先生が改造したものだから、先生しか修理できない。だから、先生のところに行かない間、私のギターから音が出ることがなかった。 先日、思い立って先生を訪ねた。先生の教室へ行かなくなって2年弱が過ぎた。それでも先生は私に興味をもって好意的に見てくれており、会うなりすぐに修理に取り掛かった。先生の修理する姿を見ながら話をしていると、奥さんがお茶を持ってきてくれ、いっしょに話に加わった。 先生はギター演奏を追求することに人生を捧げている。奥さんは先生の良き理解者で大きな支えだ。先生はギター以外のことには興味を持たない世間知らずだが、ギターのことにさほど興味のない私とは人生経験の違いを越えて話が弾む。 そんな刺激しあえる関係は大切にしたいと思うのだ。近いうちに先生をまた訪ねたいと思う。 |
知人の教授が人前で、真剣に話を始めると、その場の空気が変わる。大学を退官されていることもあり肩書きが名誉教授とついているから尚更だ。いやいや肩書きの力だけではない。言葉に力ある。話の内容に聞き耳を立たせる魅力がある。 彼女のように、私も言葉に魂を込めたいが、なかなかできるものではない。伝えようとする意志が不足している。 目の前の望むものを何としても手に入れてきた彼女と、妥協して生きてきた私との人生の差に違いない。 その差だけは、私も経験で分かるのだが、同時に今から真似ができないことも分かるのだ。 少しでも近づきたいという心意気だけは、これからも持っていたい。 |
子どもの頃に喘息で貧血少年だったことに… 私が人生で躓いた時に、急に接する態度を変えた人達に… 震災を経験したことに… 私は人を殺したと私に打ち明けた知人に… 命に代えて守ろうとしたのに、私から離れて人生を歩む結論を出した元妻に… 社長職を頼んだ人が、別件で警察に拘留されてしまったことに… 社長職を頼んでいて、契約に従って解任を命じたら社長職を解くなら訴えると言った知人に… 私が突然嫌いになり、目も合わせず、私が挨拶しても無視している人に… 生存率八分の一の病気にかかり、生きながらえたことより、その病気にかかったことに… いやだと言っているのに、私に理事長の職を押し付けた人たちに… そして両親に… 心からの感謝です。 全てが私を作りました。 心からの感謝です。 だから今の私がいます。 |
あなたに、自分の全てをさらけ出せる人っている? 私には今までいなかったし、これからもいないと思う。 私には死ぬまで誰にも言えないこが、幾つかあるけれど、 深刻な話も、他愛無い話も… 誰しも秘密ってあると思う。 誰しも唯一無二の自分自身が、最も愛すべき存在なんだ。 他人から馬鹿と呼ばれても、かっこ悪くても、自分を愛したい。 |
知人が急に背中に痛みを覚え、救急車で運ばれたと連絡があり、取るものもとりあえず病院に向かった。 検査の結果、血管、内蔵、結石等に異常は見られないが、疲労が溜まっていて、飲み過ぎによる肝臓のストレス数値が高く、ビタミンを摂るようにと言われ、痛み止めとアリナミンと漢方薬を渡され、職場には戻らずそのまま家まで送って行った。 自分は、病気には縁がないと言っていたが、今度こそ身体が突然暴走すると言うことを思い知ったに違いない。 これを機会に普段の生活習慣を改めてほしいものだ。 自分が思うよりも、年齢は駆け足で前を行くものだから。 |
死ぬと言うことは、存在が此の世からなくなることだが、普段から私たちは割と簡単に‘死にそうな思いをした。’とか使うことがある。実際私たちは、死と言うものを経験したことがないわけだから、今まで経験したことのない痛み悲しみや、未知なるものへの不安や恐怖を覚えたということだと思う。 この経験をした時は、以後自分が変化しなければならないと肝に銘じるべきであって、言い換えれば自分の経験や度量の狭さを知って生まれ変わるチャンスだと捉えるべきだろう。 そう考えると、肉体的に死ぬ前に、自分の人生のなかで死を予感することは大切な経験だと思うのだ。 |
10年前に私が救急で運ばれ10日間病名の判定がされないまま絶対安静の状態が続いた後、血液検査の痛みの数値が下がり、退院の話が出た日の真夜中…見回りにきた女性の看護師が、“あなたが、私の父親か恋人だったら、この病院を出てから他の病院で再検査することを勧めます。この病院がだめだと言っているのではありません。他の病院で分からずにこの病院で分かることもあるのですから…。” 所謂セカンドオピニオンの勧めである。幸い私は退院前の最終の検査で病名が分かり緊急手術をした。おそらくそのまま退院していたら死んでいたと思う。 今でも、夜中に私に話しかけてくれた看護師さんが忘れられない。 だから、私は知人にセカンドオピニオンをすすめるのだ。 |
人間には誰しも、一線を越える瞬間というものがある。 力のある人間は、その時点で次の一線が見えていて、そこに向かってすぐに歩みを始めるが、普通の人は、ほっと一息ついて一休みする。そしてそのまま座り込んで動きをとめる。 その違いが、欲しいものを手に入れられる人と失っていく人の違いだろうか? まだまだ動きを止めたくはないが、老いは足先に絡みつく。 もう少しジタバタしていたものだ。 欲しいものがあるうちは…。 |
思うものが全て手に入る人生なんて、どんなだろう? きっと退屈で、感動がなくて、有難さが分からなくて、他への思いやりがなくなって、自分自身も大切に思えなくって…。 きっと神様は、なんでも手に入るから、努力しないと思うものが手に入らないこの世界を造ったに違いない。 だから、この世界では悩み・苦しみ・考え・挑戦し勝ち取ることが大切なんだ。 それがこの世界だと思って生きていくことが懸命に違いない。 |
今日もまた、病院に知人を付き添った。親兄弟、誰一人として大きな病気になったことがなく医療保険も生命保険も入っていないと自慢していたのに、1週間に二度も付添に駆り出された。 確率などというもので安心してはいけないのに…、万が一、一億分の一でも自分に当たるものは病気であろうが、宝くじであろうが当たるのだ。 だから保険はかけておかないといけないし、宝くじも買っておかないといけない。 二つを並べる論理に無理があると思われる方も多かろうが、私は常に突然死することがあると思っているし、宝くじは本当に当たるものだと思っている。 それが私の人生の備えである。 知人に、少なくとも医療保険くらい入っておけよと、再度勧めようと思っている。だけど今から加入できる保険があるだろうか? |