人は、どうして死ぬのか? 私には、確かな答えがある。 生まれ変わって、違う人生を生きるため…、 死とは、生まれ変わる前に、生まれた時の逆に産道と通り、 ‘すべての源’に戻る。 そして、経験したい次の人生が決まれば、 この世の中に赤子として戻ってくる。 そんな仕組みだと思う。 そう考えると、死は決して恐れるものではないと思うのだ。 |
私には毎日続けていることが幾つかある。 一日に数百人が訪れるある団体のfacebookページの毎日更新、血圧・心拍数・体重の毎朝計測とグラフ化・一日の昼と夜二食に何を食べたかを記録・そしてこの日記。 それ以外に個人ではない、二つの団体のfacebookページの不定期更新等… どうして続けているんだろう?いつ止めようか?と、思う事ものもある。それでも止めれば、また一から…と思うと、止められない。 そもそも、こちらで書き始めたきっかけは、将来小説を書きたいと思ったから… まだまだその道は遠い。まだまだ、知識と経験が不足している。 諦めてはいない。続けていることでの能力向上を信じている。 いつか、思いを遂げたいと思うのだ。そのために自分に課した仕事を粛々とこなしていくだけだ。 |
2009年9月9日から、ここで書き続けている。途中半年間ほど休んだことがあったが、ほぼ5年弱毎日書いている。最初の頃は、なにを書くかテーマを探すのが大変だった。書きはじめれば、見た人がどんなに思うか気になった。最近はなにも考えずに真っ白な画面を開いて、そのまま書きはじめる。あまり読んでくれる人のことは考えなくなった。 書き慣れるということが、手を抜くことではなく、味のあるものになればいいなと思うが、なかなかその域には達しない。 |
農学部の教授と話をしていて、実を付ける果樹の育て方のなかで、形を整える剪定を行なわず、樹の活力を上げるやり方があると聞いた。 人の子供も、あれがダメ、これがダメと制限をつけ親の思い通りに子を作るのではなく、辛いことも苦しい事も、敢えて経験させて生命力を養う育て方があるのだと思った。 |
もめごと・ややこしいこと・避けて通りたいこと…の種は、それまで目の前にあった大きく育った難題を刈り生れるもので、自分の目の前の問題が解決する扉が開いたと思ったその時には、すでに幾つかの新しい問題が育ち始めていたことが、今分かる。 目の前から、問題が消え失せるなんて、この世で生きていたらありゃしない。 病気と同じで、戦うか共生するかしかないのなら、真正面から向かい合わずに、ある程度問題を抱えて生きていることを楽しく思って生きたほうが…、以前より多くの…同時に起こった問題に対応できるようになって、自分も進化してるんだ…くらいに…人生を斜めに構えて生きた方が楽しいだろうな。 |
家にある小さな鉢植のガジュマロの樹が風で倒れて鉢が割れた。底に穴の開いていない金属のボウルに仮に入れていたら、翌日葉っぱの生気が失せていた。そこで…少し大きな鉢を買ってきて…土も3種類を買ってブレンドして昨日植え替えた。ところが今朝になっても生命力が回復しない。ほんの少し環境が変わっただけでこれだ。 息子が一人住まいをするので、今まで飼っていた犬を連れて出た。犬はたったの半日たっただけで胃の中のものを全部吐き出した。 少しの変化でも、今までの順調なリズムが大きく狂うことがある。 植物や犬だけでなく、環境の変化に人間はもっとデリケートに影響をうけるのだろう。 ある時期、引っ越しを続けてした時、家族の生活リズムを狂わせたことを今反省する。 同時に、それが私の家族の生命力を上げる機会になったのだと思いたい。 |
朝、いつもの時間よりはやく家を出た。二つ前の電車に乗ったわけだが、当然乗客はいつもの顔ぶれとはまるで違う。慣れとは恐ろしいもので毎日乗っている車輛の同じ顔が見えないと他所の会社に踏み込んだ感じだ。 微妙な話…時間ごと、車輌ごとに、一つの個性があるような気がする。 自分の通った学校もそうだった。違う学校の生徒は学力や環境で、違うグループだった。 卒業して、再びシャッフルし、新しいグループができて、それを繰り返して今の私がある。 今の私のグループは好きだな。また近いうちシャッフルされるか、自分でシャッフルして、これからも新しい仲間ができるに違いない。 |
大きな戦争を避ける核の抑止効果が薄れ始めている。 この現実は、世間ではあまり知られずに進んでいる。 私は、この現実と将来起こり得る戦争を危惧する。 それは、集団的自衛権云々の話しどころではない。 70年間核によってもたらされた束の間の平和が崩れようとしていることに対し もっと多くの人が声をあげてもいのだが…静かなことが不気味で仕方がない。 私は、今自分が何をすべきか分からない。 |
私の場合…同じ風景写真を続けて撮っていると、必ず全く同じ構図の写真がある。おそらく撮ろうとするモチーフを画面のどの位置に配すれば良いか全体のバランスを瞬時に判断しているのだと思う。 考えるということは一瞬でも時間の経過が生じる。感じるということは瞬間、即応できるという事。 頭で考えるのではなく、感じる…このことがプロの条件に違いない。 私はプロではないが、プロとはそんなものだと思う。 私は、すべてを感じて生きていきたい。 |