きのう近所に映画観に行ってきました。 タイトルにある「先祖になる」という作品で、3.11の大津波で息子と家を失った陸前高田に住む77歳の佐藤直志さんというひとが、仮設住宅に避難せず元の場所に家を建て直すことに挑む姿を追ったドキュメンタリー。 病魔や身体の不具合に冒されながらも田畑を借りて米を作り蕎麦の実をつくり、農業と林業を営んでいたご自身で木を伐採して家を建てるまで、おなじく陸前高田の町内に残る人々の姿やインタビューとともに映し出されていた。 直志さんの奥さんは家を建て直すことに反対して、亡くしたご長男の奥さんと仮設住宅に移り住んでいる。それでも成し遂げようとする、すごい頑固でパワフルなおじいちゃんだった。 この映画を撮った池谷薫監督、中国山西省に残留させられた日本兵である奥村和一さんを追った「蟻の兵隊」という映画で知ったのですが、この奥村さんも頑固でパワフルなひとだった。 どちらの作品も、土地であったり人間の尊厳であったり、なにかを守るために一歩も譲らない人の姿勢をこれでもかと見せつけられるのですが、守ろう守りたい守らなければ、というものもないまま日々ぼんやり生きているわたしなので、こういう人々の生きざまというものを見るといつも共感の以前に圧倒されます。 瓦礫のなかから生え出た草を指して、「これはキュウリだ。種があっちから流れてきたんだろうな」と言っていた。パワフルなのは人だけではない。 恥ずかしながら、震災という出来事、被災地という場所、そこへわたし自身がどのように関わっていくか、いまだ答えは出せずに(出さずに逃げて)いる。ただ、何事が起きようとおそらく必ずそこに誰かが存在していること、当事者がいること。 よく「これは他人事じゃいられない」なんていうけれど、いつどんなかたちで自分も当事者になり得るかということ、そしてそれはすでにそうであるのかもしれないこと。 そんなことを忘れてはいけないなと、こうして映画を見たり誰かと出会ったり裁判を傍聴したりニュースを見たりするたびにおもっては忘れおもっては忘れの毎日を送り続けている。 夜はひさしぶりにゴールデン街に行ってきた。友人がバイトしてるので。二ヶ月ぶりくらいに会った友人は、わたしの最近のあれこれを知っているので「楽しそうな顔が見れてよかったー」と表向き言ってくれていたけど、その後メールで何度も「痩せてきれいになったけど急激すぎて心配」を繰り返していた。 そういわれてみて体重計にのってみたら4,5年ぶりに見るような数字を叩き出していたので、「やっと会えたね」つって中山美穂を前にした辻仁成みたいなことを言いながら記念写真とった。まあそれでも10年前より7,8キロ多いですけど。中年太りがはじまる時期に重ねて、シェア暮らしを始めてからすごい太ったなあ。結婚すると太るってよく聞くけど、こういうことかあ~ ……ちがう! とはいえどうせ昨日酒のんで水分が抜けてただけだから誤差の範囲内だろうし今日夕方ケンタッキーとか食べちゃったし同居人が旅行から帰ってきておみやげにさつま揚げいっぱい買ってきてくれたしで明日にはもう1kgくらい戻ってるとおもう。胃、重いし。今日はもう体重計乗らない。見たくない。 |
昨日は佐川ボーイにハレンチな姿を見せつけたとお伝えしましたが、本日もやってしまいました。ゆうべ蒸し暑かったじゃないですか。と気候のせいにして。 寝起きのまま下着姿で階下におりるとまさか出張中でいないとおもってた同居人がリビングに。帰ってくる日程を一日勘違いしていた。 ルームシェアってたいへんですね~ とかそういう問題じゃない!! おそらくモラルの問題。わたくしの。 ああ、早くおじさんだかおばさんだかわからないくらいに歳を取りたい……。そしてシミーズ姿で軒先にまではみ出た植木に水をやり、ゴミ出しに行くの……。いや、そういう問題でもない。こういうのがもう20年とか経って、きみまろのネタみたいになってくるんでしょ。やだ!!!!! 下半期の目標。 中年であることに甘んじず、もっと恥じらいを!! ※タイトルはあえて自省と開き直りの混在でアパッチ野球軍から拝借しましたがじっさい脳内リピートしてるのは電気グルーヴの「ポパイポパイ」です。セックシーランジェリーのへんなお~ばさ~ん(へんなおばさ~ん!)。ほんとの歌詞はおじさんだけど。 |
蒸し暑かったので窓全開にして自室でくつろいでいたところ、 外から飛脚の宅配ボーイの話し声が聞こえてきた。 うちの一角は袋小路になっていて、戸建が何軒かあるも番地がすべておなじ。まして我が家は五人住まいで表札も出していない。郵便なり友人なりピッツァなり、迷い迷ってしまうひとはよくいる。 「s…さんってかたのお宅はこちらでよろしいでしょうか…?」 同居人の苗字だ。そしてそれに答える女性の声。 よく聞き取れなかったので、もしかしてご近所さんが答えてくださっているのかしら、とおもって窓から、うちですうちです今行きまーす!と元気よくお返事して慌てて階下へ降り玄関ドアを開けたら、佐川のお兄さんの応対をしていたのはちょうど帰宅して軒先で一服していたまた別の同居人だった。 なんだよー! うちのひとだったらはいはいうちですで終わるはずが、そうじゃなさそうだから降りていったのにー! 聞けば、さっき不在票を入れて再びやってきただとか、不意に開けるとネコが飛び出してくるから気をつけてくださいとかそんな話をしていたとのこと。だからごそごそ長話におもえたのね。 ……で、そうとは知らずにあわてて飛び出したわたくしはといえば、 ノーブラにキャミソール、超短パン。 さすがにまずいとカーデガンは羽織って出たけれど、閉まっていると思い込んでいたキャミのボタンが開いていてデコルテほぼ丸出し。ここまで扇情的かつハレンチな格好で人前に出るなんて、できすぎた欲求不満の人妻ポルノか、現実世界じゃ林真須美くらいしか思い浮かばない。 まじで恥ずかしかった!!!!!!!!! |
そういえば、昨日は父の日だったんですね。 わたしは母の日とか父の日とか、小学校で強制的にやらされた以外は、おそらく数えるほどしかなにかした覚えがないです。なにをしたかの記憶すら曖昧だな。 わたしの父親はとにかく「飲む打つ」の人でした。「買う」がないからまだいいかってわけではなく、これが「買う」のではなくとにかく女にだらしがない。お金で割り切る関係じゃないから余計にタチが悪い。まあまあどこへいってもどこかに必ずシンネコな仲の女性がいたようで。姉の同級生のお母さんと、なんてこともあったとか。 そんなわけでまあ、貧乏なうえにバクチで借金こさえるわ女は山ほどつくるわで、夜逃げ同然の引越しも何回もしたし、むちゃくちゃな家庭環境でした。 感謝なんてする余裕がないどころか、そんな父親と、そこから離れない母親を憎んだこともありました。 末期がんで入院中、遺影になるような写真を撮ってくれと父が言うので、病院の前の公園で撮影しました。父親ひとりのものと、孫といっしょに、何枚か。iPhoneのカメラですけど、我ながらまあまあの。 それから数ヶ月もなく父親が、それから一月半、後を追うように母親が息を引き取りました。 晩年でさえも愛人のいた父親をおもうと、あの野郎~、ってなります。 いつも姉兄と比べてはわたしを否定してくれた母親に恨みもあります。 そんで、勝手にやって勝手に死んでいくって勝ち逃げだよ。ずるいなあ。 こっちはもう、すべて許して送り出すしかないんだもの。 あんたらよりもいまのわたしよっぽどしっかり生活してんの。 立派に育ててくれてありがとうなんておもわない。 わたしを大人にしてくれたのはあんたらじゃない。行政。 で、いまとっても楽しいことがたくさんある。 だから、ちょっときつくても生きていけてる。 だから、産んでくれてありがとうねって、最期にそれだけ伝えた。 死ぬ前は、遺影なんて飾る気はこれっぽっちもなかった。 面倒事が片付いた、とおもいたかったから、かな。 だけどいま、わたしの部屋のフォトフレームにふたりがいる。 あの日、公園で撮った写真ではなくて。 ある雨の夜、足の悪くなった母に父が傘をさしかけて、相合傘で歩くふたり。 いつも大喧嘩して暴力まで振るわれて、それでも離れない男女の気持ちがわたしにはよくわからない。ふたりにしかわからない情のつながりがあったとしても、そんなものはただの共依存というやつで、まるで肯定できないし、わたしがそうなりたいかといったらまっぴらごめんです。 傍目からみてどんなにひどい関係でも当事者は聞く耳持たない、というのは経験上知っているけども、やっぱり気づけば心底ばかばかしくて。 なんで、こんな関係が成り立つんだろう。 ふしぎにおもって、ついその後姿を撮ったんでした。 そういえばたしかその日は、 「母の日と父の日、いちいち分けるのめんどくさいからまとめて寿司でもなんでもうまいもん食わせてやるよ!」 といって誘い出した、梅雨に入る少し前のことだったっけな。 と、この日記を書きながらそんなことを思い出したのでした。 顔も写ってないし、ピンボケしてる。 遺影どころかスナップにしてもまったくしょうがない写真。 でも、その写真がいちばんわたしの両親らしいなあ、とおもうのです。 |
・このサイトを開くと高確率で「ぽっちゃり女子のファッション誌」のバナーがでてくる。 ・まさかの緊急休日出勤。 予想外だっただけにいろいろあって予想外に早めに終わったので夜は急遽中野へ。 ・同居人の友人が北海道から遊びに来ておいしいものを食べるという。 「しかし北海道よりもおいしいものが東京にあるのだろうか、いやない」 と、同居人は一ヶ月ほど店選びに頭を悩ませていた。 ・わたしがすすきの交番を目の前に「警察24時の!」と感動したように、結局は下町とか歩かせて雰囲気でもんじゃとかそばとか食わすしかないのではなかろうか、などと話していた。 ・札幌になくていかにも東京っぽいものってなんだろう、というので代官山タツヤカワゴエを推薦したら即却下された。なんだよー。 ・中野ブロードウェイに行ってみたいとのことで、あのへんをブラブラ。 ・わたしはサブカル少女だったので、ブロードウェイ=聖地だったが、大人になり実際に中野区に住んでみるとまったく行かなくなった。まれに行ったとしても、あの三階直通のエスカレーターには乗らず地下へ降り激安肉屋で食材を買うくらいになった。 ・生活するということはそういうものだとおもえる。 ・とかいいながら、ブロードウェイ三階エスカレーターのぼってまんだらけについた瞬間まんがを買ってしまう、自分はそういう人間。 青池保子「イブの息子たち」読みたかったんだよー。 ・そしてさらに、友人らが雑貨屋さんを眺めているのをいいことにひとりでタコシェへ。そしてまたまんがを買う。自分はそういう人間。 いましろたかし「原発幻魔大戦 首相官邸前デモ編」 ・いましろたかしの作品だけは中古で買わないと決めている。 どんなに作風が変わっても、わたしはこのひとのまんがをはじめて読んだとき、このひとに直接お金が入らない買い方にはなんの意味もないとおもった。わたしにとっては神に等しい漫画家。 ・しかしまずい、本棚が足りない。180×180の本棚から溢れでてすでに押入れにも詰め込まれている本(まんが)、すこし整理しなければ。 ・その他タコシェ店内を物色していると遠くで同居人が 「ほらね、あの子こういうお店ほんと似合うでしょ~」 と悪口をいっているのが聞こえた。 我が家で「サブカル」と称されるものの多くはタチの悪いバカを意味する。 ・大人になるってこういうこと。 ・で、さんざん悩んでいたばんごはんはあっさりと焼き鳥を所望され、大本命の店の予約は取れなかったものの、あっさりと解決してしまった。 ・よく食べてよく飲むひとってほんとうに気持ちがいいな。 わたしは近頃メンタルの弱さでだいぶ食が細くなり酒も弱くなりでくいしんぼうの友人たちのなかで肩身が狭く心底情けないおもいをしている。 |
昼間、同居人よりLINEがピコンと入り、みると 「雨戸開けなさい」の司令が。 我が家のお隣さんに赤ちゃんがいるのですが、 その子の泣き声がうるさくて閉めてらっしゃるんですよね、 と奥さんが恐縮していらしたとのこと。 ぜんっぜん違うんですけどね。 むしろ暗くてじめじめした朝も昼もない部屋に流れ込む赤子の泣き声や、 それをあやすオルゴールのような音や奥さんが弾くピアノの音、 そういう生活音にすこし癒されてさえいたのですが。 しかしまあ、そもそもが同居人もわたしがぐずぐずと雨戸を 閉め切っていることをおそらく快くおもっていなかっただろうし、 そこへきてこれなのでもう逃げられない。 お隣さんには気に病ませて申し訳ないなという気持ちもありますが、 ほんとになんも関係ないんだからほっといてよーもー という気持ちもあります。しかし野中の一軒家に住んでるわけではない。 ましてひとり暮らしでもない。ここが年貢の納めどきなのでしょう。 不本意ながら明日の朝、雨戸、開けます。 ……といいつつ、押入れを改造できないかと企んでいる(ドラちゃん)。 もともと暗くて狭いとこが好きなんだなと改めて気づいちゃって。 こないだ大阪で初めてカプセルホテル泊まったときには、 なんという居心地の良さなんだ!! と感動したものじゃった。 |