今夜ものみこまれてしまいそうになる。 いつのまにか、ではなく、子どものころから誰かを目の前にして感情を表に出すのが上手ではなかった。いつも他人の顔色をうかがっている。文章を書く、という手段とツールを覚えてからはこうして一方的に吐き出すことができるようになったけれど。 真夜中、過去にしないといけない恋のこと、もういない両親やネコのこと、今日もきっとひとりで雑然とした部屋に小さなテーブルを置いて宅配食を食べているあのおじいさんのこと、いろんなことがぐるぐるまわってもう朝だ。 もうこの何年もあまり意識しないでいたけれど、寂しいとか人肌が恋しいとか、これはそういう気分なのかもしれない。 単純なことなのに、ひとりでいると複雑に考えてしまうこういう感情を、誰かにただことばであたまで受け止めてやさしいことばをかけてもらえればいいってそれだけじゃなくて、抱き合いたいとか肌に触れてほしいとか、息がかかるほどそばで眠りたいとか。でも、近くにいるのに遠く感じるのが怖い。 だから、そんな日がずっと続くよなんていう約束が欲しいとか。 「つまりはパートナーがほしい」と、ありていにいえばそういうことなんだろう。出会い系サイト的にもそのアプローチが模範解答なのだろうともおもう。 だけども、その関係性を求めること、もちろん与えること、それを当然のこととして望むには、わたしの元々の素養なのか悪い意味での経験過多のせいなのかその両方なのか、どうにもすごく臆病になっている。 臆病というとなんだか陰があって耳触りはいい気がするけれど、潜在的に無神経になってしまっているのかもしれない。どうせわたしなんか、という卑屈な気持ちがあるということはそうなんじゃないかな。 ただ愛し合いたいといういっけん素直で単純にみえる願望を叶えるのはじつはとても難しくて、それを叶えようとするにはわたしは他人も自分も疑いすぎている。 もう傷ついたり傷つけたりするのは嫌だ。 そのためには、感情だけじゃなくてある程度の割り切った打算や利害関係の一致などが必要なのかもしれない。そんな虚しいことも考えずにはいられない。たとえそれがまったくあさってのほうを向いた見当はずれの考えであっても。 いろんなことがあった。わたしを「不幸の総合結社」と呼ぶ人もいる。 そういうことの積み重ねで、いまがあるのだけど。 この生活に満たされていないということは、決してないのだけれど。 だってわたしは健康な身体で仕事もしている、そしてとにかく友人にはおそらく最上級で恵まれているし、浅いながらも趣味があって、自分の時間を楽しむこともできる。 けれど自分は寄る辺ない存在なのだという不安感が常に心のどこかに潜んでいて、ふとした瞬間に襲われる。そしてそれを解消する術はきっとかんたんには見つからない。だっておそらく意識の問題だからね。 ……なんてことをつい、とりとめなく書き連ねてしまったけれど、寝て起きてその恥ずかしさに後悔したりするんじゃろうか。 なんて、ここまで書いてそういえば先月もこんなことがあったな、とおもって過去の日記を読み返してみた。 そんで日付をみて気がついた。なんだそういうことか。 月イチで波の立つバイオリズムの問題だった。ふむ。 解消策はとっていてだいぶ軽減されたけれども、やっぱり細々と出てくるものだな。 でもまあそういうことならしょうがねえオッケーだ。 そしてまた小銭を例のきもちわるい貯金箱に入れる。 だからつまりあれだ、夏だ!!!!!!!!!!! |
この二ヶ月ばかりで自分でもわかるほど体型が変わった。ので、 「とりあえずシャツは着た。下を決めるのがめんどくさいけどパンティで表へ飛び出すわけにもいかない」 という理由だけで履いている黒の安スキニーを買い直しに新宿三丁目のguに行くついでにpjにも入った。guだのpjだの書いててわけわかんなくなってくるうえに字面だけで田中康夫が浮かんでしまうが。 そんで男性諸氏はご存じないかもしれませんが、pjという店は店員さんがサイズ測ってはいあなたは80F、あなた65B、とか振り分けされるのではなくサイズはあくまで目安であって、フィッティング重視という店のようなのですね。 で、試着したんだけど、なんかうまいことサイズが合わない。店員いわく「アンダーはいいんですがちょっとお胸が苦しそうですね~」でもあいにくそのサイズのものがない。二階にはあるかもしれません~とのことで、はあ?おなじ店じゃないんか連携はしとらんのか、などと思いながらも二階に。 そしてまた別の店員に、一階でこう言われましたんですけども~つって超申し訳なさそうに伝えてそのサイズのものを出してもらったんだけれども今度はカップがあまる。じゃあ、つって下のサイズを出してもらったら今度は肉がはみ出る。試しに上からTシャツを着てみるもラインはガッタガタだ。 「なんかたぶんこれ、わたしの体型がおそらくこの品物の型に合ってないんだって気がします……」 というと、店員も困り半笑い。いつもどのサイズをつけていらっしゃいます? と聞かれて、これまでこうだったんですけど最近ちょっと変わってきたので、などと説明はしてみるものの、なにしろどのデザインにしろあれこれ試着できるほどサイズの在庫がないという。 いろいろと着け方の工夫を提案してはくれたが、なんかすげー混雑してたし、あんまり手を煩わせたくもないしなにより二種類くらいしかないなかから妥協して選ぶのもな、とおもったのでまあようするに面倒くさくなったので、検討します、と言い残して店を後にした。 勘違いしないでいただきたいのは、「わたしはおっぱいが大きいのよ」、とそういう話ではない。 そろそろ身体に合った下着を買う、のではなくて、下着に身体を合わせてゆく、そういう作業に入らなくてはならん状況に差し掛かっているのか。つまり、何十万もする補正下着。たしかに、店内はもうきみらつけてもつけなくてもいっしょでしょ!? と因縁のひとつもつけたくなるような攻撃的なおっぱいを持った若い娘たちで賑わっていた。 その後に入ったguでも、ひざ下・ウエストはいいけど腿と尻が……という状態だった。 ああ、不摂生が常のだらしない中年は頭がいたい。 もう一生ノーブラにスウェットで暮らしたい。 もうすこし早い時間だったらすべてを放り出して発狂寸前で末広亭に入ってしまってたとこだった(と、おもったけど末広上席は芸協だったからそれすらなかったな)。 八百屋で破格の値をつけられ叩き売られている、いびつなかたちをしたトマトやナスたちに自分を重ねたのじゃった。 |
風邪を~ひいてる~んです~ 我が家は壁が薄いので、ふと隣の部屋から音楽が漏れ聴こえてくることがあります。 とある休日、西日射す四畳半。すっかりやけきった畳の上で、わたしは雑にたたんだだけの布団に寄りかかって本など読んでいる。そこへ流れてくるはっぴいえんど、フォークソングやニューミュージック。そんなのをぼんやりと聴いていると、わたしはいつもこう思うのです。 び、貧乏くせええええええええええ!!!!!!!!!!!!! まあ、粗忽な貧乏人が肩寄せあって暮らす長屋みたいなものなんで、貧乏臭いのはあたりまえなんですけど。ちなみにわたしは隣人から、「夜な夜なおじさんがひとりでしゃべる声が聞こえてくる」といわれています。 それはどうでもいいとして、風邪ひきました。 気圧がどうの、といってたおとといあたりからのどに違和感を覚えてはいたんですが、翌日にも治らずしかしそれ以上ひどいわけでもなく落語会へ。 三三・喬太郎を堪能した後は、南越谷にある吉田類推薦みたいな飲み屋。酒飲めば治るっしょ、アルコール消毒や! という気持ちで終電近くまで飲み、友人宅へ移動してさらに夜中まで遠慮なくやってたんですけどね。そうは問屋がおろさない。え、何問屋? 薬問屋? しかし仕事に行くのが大人、行ったら行ったでやばい悪寒。 発熱したときってすぐわかりますね。あの身体に走るいやーな感じ。 それでもお客さまは待っている。 いつもの漢方に加え、職場でパブロンもらって飲み合わせも考えずイッキ飲みしました。 「普段使いの漢方と、特別な日のパブロン」 こう書くとちょっとした女性誌のコピーのように見えてくるからふしぎ。 そんなのもどうでもよくて、パブロンすげーって話なんですよ。 だって二時間ほどの施術中に熱っぽさがすっ飛んでたんですよ。 とりあえず、なにごとなく仕事を終えることができました。 で、帰ってゆっくり眠れるかというとそんな日に限ってそうではなく。 残業を終え0時過ぎ、入院中の同居人代理で所用があり都の西北・某学生街へ。 男女なかよく入り混じり、いい気分で大声をあげて縦横無尽にばらんばらん歩きながらドッカンドッカンぶつかってくる学生たち。無邪気で未来があって、今という流れ星のような瞬間を存分にたのしんでいる彼や彼女らに、こんな猫背で咳き込むおばさんなんて目に入らない……。 これは、あの、あれですかね、あのー、不謹慎ですが小学生無差別殺傷の犯人なんかは、このときのおばさんの気持ちをもっともっとこじらせて根を深く複雑にさせたものが原因、ということでよろしいでしょうかね。 そんなことを考えながら荒んだ気持ちでドンキいったり富士そばなんか入って、縁石に腰掛けたりして二時間弱ほど待ったものの、同行者の仕事が終わらずリスケに。 大好きなタクシーに乗って帰宅しましたとさ。ゲホンゴホン。 あ、待ってる間に三回ナンパされたよ!べつにうれしくないけども! |
この二ヶ月弱、医師いわく「タフレディになれる」漢方薬を飲んでおりまして、漢方のおかげかそれともただ時間の経過か、雨戸締め切り時代にくらべるとずいぶん精力的に動けるようになりました。 そして周囲からも「よっ、タフレディ!略してフレディ、今日もタフいね!」などと言われるようになり調子にのっていたため、この数日ちょっとサボっていたのですが、今日いきなりものすごい倦怠感に襲われました。 夢見が悪くて何回も目覚めてはめそめそしてるし、頭痛はするわ耳鳴りはするわ鼻はつまるわ乾咳でるわ集中力はないわ、なにより二年前に粉砕骨折した腕が痛い。 あー、これが躁鬱でいう「揺り返し」ってやつか~。そういえば過去に身に覚えもあるなあ……いや、待て、骨折した腕が痛い? 外は雨。 気休めにチョコラBBとか飲んでむりやり出勤したのですが、職場について目に飛び込んできたものを見てすべて合点がいきました。 上司のくせっ毛の広がりっぷり。ボワンと。 こりゃただの気圧のせいだ。 明日にはもうちょっと落ち着いてたい。つーか高まれ、気圧よ。 だって明日は三三と喬太郎の二人会に行くのだもの。 しかし越谷、馴染みがないぶんよけいに遠く感じるわ。 |
都民の方々におかれましては、都議選投票おつかれさまでした。 (都民で“選挙権があるのに”行ってないってかたに向けてはなにも話すことないんで読む価値ない日記です。“”内は修正追記) わたしは忘れてたわけじゃないんだけど、なんかぜんぜん興味が湧かなくて。今日うっかりいつもどおりの時間に起きてしまったのであわててトイレで選挙公報を読みながら、遅刻覚悟で投票所へ向かいました。前回の都知事選と比べて超ガラガラで、スムーズに次ぐスムーズで遅刻どころかいつもより早く職場についちゃった。 わたし、東京オリンピックにはとにかく反対。けどそのへんはもう論点ではなかった感じだからなんかもうどれでもいいやって。なんだったら全席公明党でいいくらいに思ってたんだけど、やっぱり今回も自分で投票する気にはなれなかった。 なんか、公明党っていちばん説明もわかりやすいしほんとうにわたしにとっては身の丈の問題に取り組んでくれる党って気がしているんだけれど、この反射的な拒否反応はなんがなんだろうっていつも思っている。 宗教が政治に介入することへの拒絶なのか?だとしたらなぜその気持ちが生まれるのか。すこし学んだり考えたりしてみたい。 でもこないだ駅前で公明党の候補が街頭やってたんだけど、 「つまり大事なのはみなさんの財布が厚くなるかどうかです!」 とか言ってて、けっこうえげつない言い方するんだなーとおもったものでした。まあ実際そのとおりだし、わかりやすいですけどね。 わたしも昔、お手伝いでウグイスをやったことがあるのですが、自分のことばで赤の他人に、自分のおもうとおりに伝えるってほんとうにむずかしくて、あのときは泣きたくなるほど悔しかった。 そんなわけで今回も死に票を入れてきました。ていうか、捨ててきた。 選挙がギャンブルだったら、わたしは一度も勝ったことがない。 人生アウト状態。 _________________________________ 仕事から帰ってきたら同居人が喘息発作おこしてた。病院行けよっていってるのに夜間診療行くの迷ってたから、昨日今日のおもしろい話を次々と繰り出して笑いすぎでさらに悪化させてやり、ようやくかかりつけの医院にタクシーで行くことを決意させた。 タクシー降りて病院の門を叩くところから点滴を打たれるまでの一部始終を動画に納めてみた。もちろん面白半分と、ドキュメンタリーを撮るってどんな感じなのかなっていう興味半分。ざんねんながら面白が半分混ざっているだもんで、わざと平野勝之を意識して撮ってみたら案の定あとから見ると自分が超きもちわるかった。まさに、平野作品(監督失格だけじゃなくてAVのときから)で「わーこのひときもちわるいなー」っておもってた部分へ見事に自分も入り込んでた。 事実をありのままに伝えたいという思い、の、なかに入り込む自意識。これってドキュメンタリーの鍵にもなるんだろうなとおもった。監督の自意識に自分の波長が合えば好意的に見れるのだろうけれど、そうでなければ本当に不快なだけだし、かといって自意識が一切入らないただの記録のようなものではさほど引き込まれることがなかったりするし(記録が見たい場合は別として)。 ドキュメンタリーに関わらず、「伝えたい」ってことそのものがもう自意識のあらわれなんだ。 結論:「平野勝之はやっぱりきもちわるい」 |