思いつくままに、ろいろなことを書いていこうと思います。 本好きで、子どもの詩も好きです。 好きな詩について、感じたことを書いてみます。 結婚 新川 和江 呼びつづけていたような気がする 呼ばれつづけていたような気がする こどもの頃から いいえ 生まれるずっと前から そして今 あなたが振り返り そして今 「はい」とわたしが答えたのだ 海は盛りあがり 山は声をあげ 乳と蜜はふたりの足もとをめぐって流れた ひとりではわからなかったことが ふたりではわけなく解ける この不思議さ たとえば花が咲く意味について はやくも わたしたちは知って頬を染める わたしたち自身が花であることを ふたりで咲いた はじめての朝 「結婚」は、中学生以上の子どもたちに、ぜひ読んでもらいたい詩です。 いま、子どもたちのまわりには、劣悪な性情報があふれています。 ひるがえって、子どもたちに正当な性教育をしているはずの学校でも、「生殖教育」「性器教育」をしているとしか、私には思えてなりません。 性教育とは、まさしく人間教育であるべきです。人間としてのよろこび、人間としての生き方、その一分野として、性のことがあるのだと思います。 〈そして今 あなたが振り返り そして今 「はい」とわたしが答えたのだ〉 この二人が結びつき、 〈はやくも わたしたちは知って頬を染める わたしたち自身が花であることを ふたりで咲いた はじめての朝〉 この詩の世界には、「援助交際」などというものが入り込む余地は、微塵もありません。 そして、 〈ひとりではわからなかったことが ふたりではわけなく解ける この不思議さ たとえば花が咲く意味について〉 という、人間と人間との、結びつきが生まれるのです。 そういう結婚、そういう結びつき、そういう性を、子どもたちに知ってほしいのです。 劣悪なものほど、より刺激的になっていきます。ですから、思春期の子どもたちが、興味をもち始めるのも、無理からぬものがあるとは思います。しかし、とりこまれてしまわないようにしてあげるのが、大人の責任ではないでしょうか。 「結婚」のような詩を読めば、人間としてのよろこびの性に、感動するのではないでしょうか。 家庭では、学校でしているような「生殖教育」「性器教育」ではなく、「結婚」のような詩を間にすれば、子どもたちと、結婚とは、人間と人間の結びつきとは、性のことについても、話し合うことができるのではないでしょうか。 |