私の知っている24才…芸大卒のフリーターの男性が、正社員ではないがあるディスカウントショップの企業に勤めることになった。彼が今までに学んできたことが、そのまま活かせる仕事だとは思わないし、これまでと同じように作品造りを続けていればいいのに…とも思うが、本人が自分の年齢で定職についていないあせりを感じたのだろう。 まぁー、今のうちに、いろいろやっといたほうがいいかも…。 彼は日本人だが幼稚園・小学校・中学校と日本の義務教育ではなく華僑の学校に就学し、中国語を話す生活を続けた。私は、語学をアピールする仕事をしたら…と、常に彼に言い続けてきたが、これまで耳を貸そうとしなかった。 今の職場の面接のときに、面接官に中国語が少し分かると言ったら、顔つきが変わったそうだ。今時のことだから、その店の顧客層には中国人も多い。同僚に中国人もいるらしく、その人のそばについて、しばらく仕事すれば、忘れかけている中国語を思い出すだろう…と、彼は私に嬉しそうに語ってくれた。 自分のもっている能力を知って、うまく利用できている人は少ないのだろう。 でも、いつか、自分の力を発揮できるチャンスがやってくる…と、信じたい。 と…言うより、本当は、手を伸ばせば届くところにチャンスは流れているに違いないのだが…。 彼が、これからも作品造りを続けていくと信じたい。 |
他の客がいないマダムの店でコーヒーを飲んでいると、唐突にマダムが話始めた。“お金がない時、手放した絵があって…今でもその絵が惜しくて…でも、今、手放すより、その時の方がお金になったとは思うけれど…”なんとなく寂しくなる話だ。私の町で一番早く町場でシェフを雇ってフランス料理のお店を始め、一時は知る人ぞ知るレストランのオーナーであったマダムは、当時は気に入った書画骨董を沢山購入していた。 バブルがはじけ…店の経営状態が悪化し、老舗と言われた店をたたんで、一人でやりくりできる店を始めたマダムは、年を重ねたせいもあるが昔のような輝きはない。 私は暗い雰囲気を変えようと、“物というものは、誰もが同じ価値を持つものではありません。持つべき人が持つことが、物にとって一番幸せなのですよ!”なんて迂闊なことを言ってしまった。 マダムにとって、慰めにも、励ましにもなりゃしない。 訂正する言葉もなく、しばらく沈黙が続いた。 だが、失くした物への執着は、自分を後ろ向きにしてしまう。 今のマダムには今自分に必要な素晴らしいものが寄ってきていると思うのだが…、それが…真っ直ぐに生きてきたマダムの生きた証だと思うのだが…、 そこまでは面と向かって言う事ができない。私は、まだまだ未熟だと痛感する。 |
映画“プロメテウス”を観た。リドリー・スコット監督のSF作品である。人類の創造主との遭遇を描いた大作である。リドリー・スコット監督と言えば、観客を裏切らない作品造りで有名だが、この度も充分私の期待に応えてくれた。 人類の起源に迫る…という副題がつけられているように、創造主(神)の領域に人類が足を踏み入れる…という壮大な物語りが綴られている。 普段私が考えている宇宙感に近いストーリーのため、大変興味深く鑑賞できた。 ここであらすじを書いても仕方ないし、ご自分の目でご覧になられることをお勧めしたい。 人類は創造主に似せて作られた…と、言われることがあるが、実は私もそう信じている。 むしろ人類はほとんど創造主と同じ能力を持っているように思う。ただ、しかし人類には自分の能力をフル稼働した際に耐え売る肉体を与えられず、また“死”を与えられた。それが、創造主が人類に課した大きな足かせだ。 人類の全ての能力には肉体を通してリミッターがかけられており、能力の全開(暴走)を食い止めている。サバーンや芸術的或いは物理学・数学的な…所謂“天才”はリミッターのレベルが高位置に設定されてた人間だと私は考えている。 もし、自分が創造主に近づきたいと思わないなら、他人より秀でている部分ではなく、他人より劣る…創造主の能力から離れている部分が自分の個性だと考え、劣る部分をどう補うか…と努力することが生きている証なのだろう。 そんなことを考えさせられる映画であった。 |
若い時から容姿もすぐれ、他人が羨む才女の知人がいる。彼女は若くして主人に先立たれ、同じように主人の死を看取った妹と長らくいっしょに生活していた。昨年その妹がすい臓癌と診断され、あっという間に逝ってしまった。 それ以来その才女の一人暮らしが始まった。先月、彼女の片方の耳が急に聞こえなくなり、肺炎も併発し…最近、見舞いやら世話をやくため、近親者が慌ただしく彼女の家を訪ねるようになった。 彼女の家の掃除片づけや見舞いに行った人の話では、家のなかのトイレには掃除用具が見当たらなかったと言う。 どうやら妹が一人で家事を取り仕切っていたらしい。才女の姉は自分では家のなかで全く何もすることなく生活していたようで、尋ねてもどこに何があるかも分からなかった。 私にある人が話しかけた。“声楽とピアノの才能に恵まれ、世界中に旅行で出かけ、あらゆる本をよく読んでいた才女の彼女はまったく一人ではないもできない人だったのよ。信じられない。これから一人でどうするつもりかしら…。”…と蔑むように言った。 私は言い返した。“それでも彼女には、他人より優れた部分がいっぱいあるのだから、彼女が弱っている時には、今までと同じように彼女の優れた部分をみつめてあげた方がいいと思うよ!”…と。 人は他人から認められたい生き物だ。特に体や精神が弱っている時にダメだしされたら、心に大きな傷を受けてしまう。だからそんな時こそ、その人の優れた部分に目を向けてあげたいものだ。 彼女が元気になったら、ゆっくり覚えていけばいいのだから…。 私は他人がどんなに弱っていても、その人の優れた部分を見続けられる人になりたいと思う。 “感謝”というものはそんなものだと思う。 |
家の駐車場の自動シャッターリモコンが壊れ2年が経つ。メーカーにリモコン交換の見積もりをだしてもらったら、17 万円ということで…、車庫の横の扉を開けて出入りしても大した手間でもないと思い、今に至った。 車が新しくなり以前より車長が長くなった分…駐車場内でシャッター開閉スイッチまでたどり着くのに窮屈な場所ができたので、思い切って修理することにした。 リモコン装置をネットで検索してみると、メーカー外の製品だが送料込で\10,000.ほどで入手出来ることが分かり、念のため電気関係に詳しい知人の音響の先生に相談し、問題ないと確認してから発注をかけた。先日、音響の先生に作業工賃\10,000.也を支払って取り付けてもらった。 メーカー修理に比べ\150.000.も安く上がって大満足である。 しかし、私はメーカーが、儲けすぎているとは思わない。メーカー修理はそれなりに優れたところがあるはずだ。そもそも価格は需要と供給のバランスによって影響されるから、法的に問題が無い限り買った者は買った時の値段に納得すべきだと思う。 この度の一件は、デジタルディバイド…というのだろうか? それにしても、ネットは素晴らしい。あらゆるものが手に入る。 |
先々週、TUTAYAで借りて“5days”という映画を観た。 2008年北京オリンピック開催中にロシア軍が独立機運高まるグルジアに軍事介入し多くの犠牲者を出した事件があった。映画では、戦闘開始を予感したジャーナリスト達が、進攻直前から現地に入り、開戦から終息までの5日間に渡り、戦時下のグルジアの現実を世界に伝えることを目的として、命がけで取材するという事実に基づくストーリーである。 映画の冒頭…主人公のジャーナリストが2007年イラクで取材中に、同僚の女性が、突然市街戦に巻き込まれ銃弾を受け主人公の目の前で息絶えていくシーンがあった。このたびの山本美香さんの取材中の死のニュースを受け、その一コマがまざまざと蘇った。 “5days”では“過去10年間に世界各地の戦場で500人のジャーナリストが命を落としている………。”と、語られる。 戦場ジャーナリストの過酷さを思い知らされるメッセージだ。 我々日本人は平和が、ただだと思っている。 平和な生活を送る私が、なにかできることはないかと考えてみたい。 山本美香さんのご冥福を祈りたい。 |
もめごとがあった時、お互い頭が良ければ話し合いで決着をつける。どうしても話し合いがうまくいかない場合は第三者の助けを借りて妥協点を見つける。どちらか…或いは片方が、頭が極めて悪いか、もしくは欲深ければ力づくで相手を屈服させる。 私は、この三つの方法以外決着のつけ方を知らない。 でも昨今の外交では、それ以外の決着があるような感じ…。 それとも日本を取り巻く外交はラビリンスに入ってしまったのだろうか? そもそも領土なんて、勝手に人が線を引いたものだから…いつの時点を起点にするかで、言い分が変わる。 でも、しかし相手の言い分を拒否するという姿勢はいただけない。 互いの言い分をお互い受け止めたうえで、主張しないと前進はないと思うのだが… これも外交の一手だとしたら、私は外交官にはなれないだろう。 私の常識の枠を越えれいる。 |