私の仕事場は、結構都会だと思うが、数年前から車が盛んに行きかう道路に猪が出没するようになった。 先日、住人の会に県の農林水産局から担当者がやってきて“イノシシ防護柵のモデル設置について”と題した活動予定を住人に説明した。この柵は恒久的に設置するものではなく、防護柵がイノシシ出没阻止に効果があるかどうかを探るものだと説明を受けた。 そのなかで、県担当者は、イノシシ出没の原因は、決して山に食べ物がなくなったわけではなく、餌を与える人間がいるから人を恐れなくなり、安易に手に入る餌を求めて町を目指すようになったと言うのだ。 この話を聞いて、人間界でもよくある話だと思った。 その人のためになると思って…いろいろ手を差し伸べていることが、結局…その人に甘い人生を歩ませ、より多くの苦難を背負わせ、感謝の気持ちを薄れさす…そんなこと…まわりに一杯ありそうだ。 その人のために、厳しく突き放す…ライオンが子供を谷から突き落とし、生き残った生命力のある子供だけを育てる…なんて話を聞いたことがあるけれど、それに比べたら現代人は過保護過ぎる。人間界は弱肉強食の世界だ…なんて少しは学校や親が子供に教えたほうが、今巷を騒がしている問題もなくなるかもしれない。 さて、私自身の今の人生を振り返ってみた。私も周囲の人間をいっぱい甘やかしているかも知れんぞ。 私もダメ人間を製造しているぞ。 …とかなんとか言いながら、なかなか甘い人間を切り離せない自分がはがゆい。 |
私は、今…生命保険の見直しを考えている。 子供が学生だった頃に加入した保険は逓減定期生命保険という、時間の経過とともに保障額がだんだんと小さくなるものだった。子供が大きくなるにしたがって、独り立ちするまでにかかる費用も徐々に減少していくし、成人してしまえば私が死んでもそれほどお金が必要ないだろう…と言う考えで選んだ保険だ。その保険は70才になったとき保障が消える。 子供が成人した時に一度見直しを考えたことがあった。所謂保障額を思い切って減額し終身保険への変更を考えたが、その頃は大動脈解離の手術仕立てだったから、医師の審査が必要になる新しい保険に入り直すことは不可能だと考え、あきらめて、そのままにしておいた。 手術から6年が経過し、今日…思い切って新しい保険に入るために医師の審査を受けてみた。尿検査と血圧測定と問診という簡単なものだった。 気になることがあった。心拍数がやけに高かったのだ。美人の女医さんならともかく、禿げ頭で腹の出たおっさんにときめくはずはないし、毎朝計測していて確かに今朝も今までにないほど高かったから少し心配だ。 私は自分のことを傷モノだと思っているから、審査を通らなくてもがっかりはしない。なにせ胸には人工血管が入っているし、血圧のコントロールのために数種類の薬を服用している。これで審査を通せば保険会社がまるまる損するに違いない。 …とはいうものの、どんな試験でも、審査でも、できれば受かりたいと言うのが本音だから、今少しソワソワしている。 自分が保険金を受けとるわけではないが、私が70才を越えても生存している姿を、自分で想像できるようになってきた。 未来を見つめることのできる今の環境に感謝したい。 ダメだしされても、がっかりしないように腹括って結果を待つことにしよう…。 |
私が他人に対して手を差し伸べた時に、私が黙っていると…、そのことが当たり前のように何も言わずに通り過ぎる人がいる。気が付いていないのか、気が付いているけれど敢えて礼を言うのが面映ゆいのか、それともそれくらい当たり前だと思っているのか、いろいろあるだろうが…。 最近、私は黙っている人に対して、自分から手を差し伸べたと言う話題を敢えて持ちかけることにしている。 人生経験上、嫌味なく、しつこくなく…である。 黙って通り過ぎることは、決してそのひとのためにプラスにはならない…と、最近強く感じる。 人間というものは、思いを主張するだけでなく他人の思いを察し、感謝や謝罪の気持ちを、適当な表現方法で伝えなければならない生き物だ。 そのことに慣れていない人には、その人のためだと思って、少し時間を費やし考える時間をあげたほうが良い。 感謝や謝罪の気持ちがスムースにできれば、その人の人生を周囲の人が応援してくれる。 もう一度言うが、嫌味なく、しつこくなく…である。 しかし、よく考えてみると人生経験がなければ、やはり難しいかも知れない。 他人はあなたの気持ちを、そこまで察してくれないかもしれない。 今日の話を、あなたにおすすめすることは、止めておく。 |
最近私は、よく“幸せそうだね。”と言われる。 確かに私の人生でなかで、今が一番幸せに違いない。 若い時からのコンプレックスを解消するため、今…多くの時間を費やしている。何年も行ったことのなかった美術館や映画館や温泉や海外旅行に頻繁に出かけるようになり、精神状態が安定している。 これも、6年前に突然大動脈が避け緊急手術をしたおかげに違いない。 ストレスは、人生を変えてしまうことを知った。 どんなに頑張っても倒れたら人生終わり…。すべてのものは一瞬にして崩れ去るということを知った。 入院するまでの数年間、道を歩いていて声をかけられないほど暗かったと言われた。その時には自分でストレスをコントロールできなかったから、溜まりに溜まって爆発したんだ。 もう少し生きてもいいんだ…と声が聞こえ、私は何者かに生かされていると感じた。そして、この世のすべ八百万の神に感謝するようになった。 今、もう少し生きていたいと思う。 まだ、この人生を楽しんでいたいと願う。 そう感じるようになると、もう人生終わってもいいよ…と声が聞こえるような気がする。 自分が、幸せだと、もっとみんなに伝えたい。 あなたは、幸せをそうだと、もっとみんなに言われたい。 これから先も、なにが起こるか分からない…と、肝に銘じて生きるから、もう少し生きていたい。 |
私の家には、それほど多くないが…、なんでも鑑定団に持っていくと希望額に一桁足らない金額を提示されそうなお宝がいくつかある。警察に届けていない刀や書画や茶道具等である。父が9年前に逝って、品の謂れを聞いていなかったから、其々何故手元に残っているのか理由が分からない。 おそらく祖父母が集めたものだと思うのだが、今では誰もその価値が分からない。 以前家の建て替えで、引っ越しするときに、父は少し身軽になろうと思い、骨董屋をよんで値踏みをしてもらった。なかにはそこそこの値段のついたものもあったが、ほとんどの品は掛け軸1本が500円とか言われ、それなら誰かにあげたほうが、まだましだと…結局処分し損ね多くの品が残って、捨てるに捨てられずにいる。 結局、自分に興味のない…また品物の謂れの分からないものは、なんの価値もないのだと思う。 つくづく、父が存命のうちに、いろいろ話を聞いておくべきだったと、今になって思う。 私自身にも宝物があって…、その一つはスウェーデンの作家が作ったガラス作品である。ただそれは、震災で粉々に割れてしまい、今から考えれば雑なことをしたと少し悔やまれるのだが…。破片を拾い集め自分でガラス専用接着材を買ってきて復元したサンドブラストの装飾の入ったガラスボウルだ。 こうなっては、どこに出してもガラクタ扱いに違いないのだが…、バブルの終わりかけた頃、東京の麻布工芸美術館に展示されていた作品を、作家に勧められて買い求めたもので、その時の思い出が詰まっいて、私にとっては大切な品となったのである。 さて、私が死んだら息子は、割れたガラスをどうするだろう? どうでもしてくれ! 謂れを教えても、どうせ割れたガラスやしな…。 私が生きている間の、私だけの宝物でいい。捨ててもいいよ…と、今のうちに言っておこう。 宝物って、そんなもんでいいと思う。 |
他人が考えた答えが 安易に転がっている世の中だ 少しは、自分で歩いて…探して…もがいて…選別して 自分で考えてみないとな… 痛い目にあう前に |