市の観光コンベンション課が主体となって町の活性化策を考える会が数回開かれ、いろいろ話し合った結果、私が提案した“町の歴史を関わる人達が勉強し、町に誇りをもてるようにする…”なんて…言う直ぐには効果が期待できそうにない案が、他のイベント的な案を押しのけて採用されたようで、市の担当者から私に事務局長を頼みたいと電話がかかってきた。 確かに私が言い出したことだし、断るわけにもいかず、町のボスが私で良いと言うなら引き受けますと答えた。 後日、町の定例会のはじまる前、会場に入口付近で怒りが顔に出た町のボスに呼び止められ、“市の担当者に活性化案を聞いたけど、そのことは昔からこの会でやってきたことだし、いまさら思いついたように何様のつもりなの?…聞いたらあなたが言ったことをそのまま、まとめたと言うやない。”と指摘を受けた。 まるで私に責任があると言わんばかりの剣幕で、会議のはじまる時間を過ぎているのに、つかまり続けた。 私は大人だから、自分の非を認めながらも、“メールで考えをお伝えします。”と答えた。 翌日、メールを送ったが…すでに3週間が経過するのに、何の返事も帰ってこない。ところが私がボスに、その間会って話をしていないかと言うとそうではなく、テレビ局の取材にも同席者として私を単独指名してくれるし、その他の会議でも出会って談笑している。 市の事業のことで、私の方からボスにお伺いを立てるのもどうかと思い時間が経過したが、一昨日市の担当者からその後進展はありませんか?と、メールが入り、動きのないことを伝えると、“近々会って打ち合わせさせてほしい…。”と、言ってきた。 会わない理由がないから会うけれど…市の職員に言ってやりたいことがある。 “こんなに時間をかけたら、うまく行くものも行かなくなるよ!私を盾に使うのは百歩譲って許せても、自分のケツは自分でふかなくっちゃー。問題が起こったら直ぐに対応しなくちゃね…自分が正しいと思ったら、実現のために頭を下げることも必要なんだよ!いい年してるんだから…。”と… まったく、人生経験が浅すぎる…。だけど私も、いっぱい失敗してきたけど…。 |
昨晩振った大雨の余韻が川の流れに残る今朝…、曲がりくねった山道を避け、近道のトンネルを通る道を通るつもりで、車で家を出たが、途中急速に天候が回復しそして一瞬考え事をしてしまい近道への交差点を曲がり損ね、気がつけば山道の近くまで来てしまった。引き返すのも時間の無駄であるし青空も顔をだしてきたものだから、そのまま山道にハンドルを切った。 大量の水が流れたであろう跡に沿って、折れた木の枝や木の葉の固まりが道路を覆っているところがそこここに見られた。 空調を切り…窓を全てオープンにして…、スティングの曲をカバーした村冶佳織のギターCDをボリューム全開にして走った。ここまでの音の大きさは町中では迷惑な話だろうが、すれ違う車もない山道では誰も苦情を言う者がいない。いや山神や猪たちには迷惑だったにちがいないが…、都会へ抜ける15分ほどの束の間の時間…私は思いっきり自分だけの時間を楽しんだ。 民家がポツポツと見え始めた頃、ボリュームを落とし、窓を閉め、空調を入れた。 そして人びとのかかわりに備え、頭のなかの社会性モードのボリュームをあげて行った。 山道を通ったことに満足した。 そして、道すがら何も起こらなかったことに感謝した。 |
今朝、歴史研究家との絵本の打ち合わせに行った。場所は居留地80番…さすがに、居留地研究会の役員だけあって打ち合わせも居留地内のカフェを指定される。しかも“場所は80番”とだけ伝えられるのだ。 ここのカフェは、ビルの2階にあるミュージアムに隣接しており、一般の方はあまり利用しない。少なくとも私はこれまでに、満席になった店内にはお目にかかったことがない。 打ち合わせに適している理由はいくつかある。一つは、空いている。一つは、資料を広げられる大きなテーブルがある。一つはコーヒー一杯が290円と手ごろである。居留地時代のことを研究する研究家にとっては格好の打ち合わせ場所である。今日も顔見知りの店員に笑顔で挨拶しながらオープン前に店内に足を踏み入れた。 私が用意した絵本用のレイアウ見本をパソコンで見てもらったら、研究家はイメージが湧いてきたようで次回打ち合わせまでに全てのページレイアウトを私が作り、それを待って2週間以内に研究家が文章を作成する…と言う段取りになった。急げば秋までには、完成見本が出来そうである。すでに市・県・新聞社・NHK・観光学科の教授等にはすでに大枠の話は通しているので、告知・広報の協力を得て、予定通り年内には完成させられそうだ。 要件が終わると、すぐにミーティングはおしまい…。いつものように勘定を割り勘で店をでた。私は、このシンプルな打ち合わせが結構気に入っている。 もし絵本ができたら、どうしよう? 皆さん買ってくれますか?それとも欲しいですか? 何を言ってんだろうね…気が早すぎますよね…ったく…。 |
昨日午前中、税金の納付のため銀行に行った。数行行かねばならなかったので車で回った。 銀行での待ち時間を短縮するため、あらかじめ出金伝票を用意して行ったのだが、そのうちの1枚で口座名の記入間違いを指摘され訂正印を求められた。言われるままに持ち合わせていた登録印を押印して、事なきを得たと思ったのだが、会社に戻ってしばらくした時、銀行から電話があり、出金伝票での口座名の間違いは訂正印での変更が認められないので、今からこちらに来るから新しい出金伝票に押印してもらいたいと言ってきた。 おそらく、行内では業務遂行上、ちょっとした問題になったのだろう…。私は窓口で応対した女性行員の動揺を察し、穏やかに…私の方から訪ねると答え…、やはり車に乗って30分後に、銀行に押印した新しい出金伝票を届けた。 先ほどの行員と上司が、二人で問題ない伝票であることを確認した後、丁重に謝罪されたが、私は笑いながらなにも言わずに立ち去った。 さて、このような場合…一言苦言を呈したほうが行員の成長のためには良かったのか、笑いながら“今度同じ間違いをしたら怒るよ!”程度のことを言った方が良かったかどうか、少し悩むところだ。 あー しょうもな…。 この度の一件で、私は普段忙しく無い生活をしていることを再確認した。 時間に追われる第一線で動いている人や、余裕のない生活をしている人には、この度の私のような対応はできないだろう。 心にゆとりがある…今の生活ができることに感謝したい。 |
今朝NTTのひかり回線の工事の下見で担当者がやってきた。実は数週間前にすでに別の担当者が見に来ていて、その結果建物に、ひかり対応の配管が不足していることが分かり、配線のルート確認した結果、ある個所に点検口を設け、さらにボード壁の一か所を貫通する必要があると説明を受けていた。 今日はその点検口の位置の最終確認にきたわけだが…、今日の担当者は、前回の担当者よりも慎重に粘り強く確認作業を行い、新しい引き込みルートを見つけ、点検口も壁の貫通も必要がないと報告にきた。 すでに点検口の設置と壁の貫通の費用(躯体に関する費用はビル側の費用)の見積もりをとっていた私は、なんだか得した気持ちで、気持ちよく今日の担当者に礼を言って、ささやかではあるが、彼らの帰り際に冷たいお茶を紙コップに入れて差し出し二人の労をねぎらった。 二人とも気を良くして帰って行った。 確認作業も作業者によって、こうも違う結果になるものかと思い知る。 他人にものを頼むときは、それぞれ優秀な専門家にまかせたほうが良いのだね。 今日は良い日だね…。 調子に乗って、明日は宝くじ買いに行こうかしら…、あっ これ別の話ね…。 ともかく、宝くじ買いに行こうっと…。5億円だったよね。確か…。 |
昨日、約一月半ぶりにギター教室を訪ねた。そしてしばらく行かなかった本音を先生に話した。“弾きたかった曲が、曲りなりにも二曲とも弾けるようになり、この曲だけを弾き続けたいと思って来なかったのです。そうでないと新しい曲を習うことになるような気がして…。” そう言って…、私は“アルハンブラの思い出”を弾き始めた。それも非常にゆっくりと…。 以前からずっと、スピードが速すぎると先生から指摘を受けていた。いつも“もっと遅く…もっとゆっくりと…”と言われ続けた。 しかし、どうしてもゆっくり弾くことができなかった。 昨日は、とてもゆっくり弾くことができた。ゆっくり弾くと言うことは、粗がみえてくる。 教室を休んだ間に、上手くなったとは言わないが、ゆっくり弾くことが苦ではなくなった。 先生がおっしゃった。“遅く弾けるようになったね…。この曲は早く弾くものだと思っている人が多い。みんな完成した弾き方を真似しようと…、早く弾こうとするけれど、正確にゆっくり弾くことができない人が早く弾いても良い演奏にはならないのだよ。”と、講評いただいた。 決して上手く弾けるようになったとは思わないが、数か月前よりずっとこの曲が自分のものなったような気がしていた。 自分の演奏レベルが、新しいステップに入ったと実感した。きっと近いうちに一皮むけた演奏ができるように思う。 …と、いう事で私が飽きるまで、先生からこの二曲の指導を受けることになった。 新しい曲に向かって歩を進める日は、いつになるだろうか…? |
昨日、奇しくもfacebook上で二人のカメラマンと友達になった。一人はファッション関係で…、あるコレクションの専属カメラマン…。もう一人はオーロラを撮影するためにアラスカの大地を一人で旅するフリーのカメラマンだ。同じ写真家と言っても全く違うタイプの人間二人だ。 モデルを撮影するカメラマンは、一見女性的な…しかし、よく見ると攻撃的な性格を持っている。大自然のなかでオーロラが現れる瞬間を一人で待ち続けるカメラマンは、がっしりした体つきで一見攻撃的(実際に合気道の有段者である)に見えるが、正確はおっとりした猫と言った正確だ。 同じ職業でも被写体によって、向き不向きがあるのだろう…。 二人のカメラマンの撮影する対象が逆転したら、お互い優れた写真が撮れるとは思えない。客観的にみて、どちらのカメラマンも常に自分の本質に違わない被写体に向き合っているわけで…要するに二人は幸せな人生を歩んでいる。 私も、事業をしていた時の束縛から離れ、今は好きなことに時間をとれるようになった。これから豊かではなくとも心にゆとりのある人生を送りたい。 それにしても、自分自身が事業家には向いていなかったと…いまさらながら…思う。 自分の本質と違う人生を歩んだことも、自分の血肉になったのだと思いたい。 |
私たちの子供の頃、刺身魚を食べる欧米人はほとんどいなかった。昔から生魚はギリシアやイタリアや南洋の島々でも食べられてきたが、いずれもオリーブオイルに合わせてマリネにしたりビネガー漬けにしたり…、日本の刺身とは少し趣が異なる。 魚を生で食す文化は、日本の集落が海岸線沿いに発展し、魚が陸にあがってから直ぐに食卓に上ったことと、醤油という素材を引き立たせる調味料があったからだと記憶している。 今では、流通網の発達と冷凍技術の発達で世界中どこでも新鮮な食物が手に入るようになり、醤油も一般化した。生魚の消費はこれからますます拡大するだろう。 日本が世界一の長寿国と言われるようになり、日本食が長寿食としてもてはやされ、その勢いもあって世界の生魚食人口が急増したことは明らかだ。 長寿国になれた理由は食事のおかげだけではなく、国内の医療施設の発達もあったように思う。 聞くところによると、世界の透析患者の40%が日本人だというし、入院ベッド数は人口で3倍以上の米国よりもはるかに多いという。簡単に入院できることが…、そして長生きすることが、私は一概に幸せだとは思わないが、恵まれた国に生活していると思い、感謝することは大切のように思う。 昔欧米人は、生魚を食べる食習慣を野蛮だと言って敬遠してきた。それが長生きのためには、彼らは自ら野蛮人に変身した。 人間は、生きるためには価値観を変えられる生き物だ。しかし、それはそれで変えられずに命を落とすよりはましかも知れない。 高齢化社会に向かう日本において、動けないのに長生きする人が増えるのはどうなんだろう…? やはり“ピンコロ”に魅力を感じるな…。ピンコロとは、医学用語(?)で、ピンピン生きてコロッと逝くことらしい。 日本食がそんな食事に進化していくことを期待する。 |