私の子供の頃の記憶に…氷で冷やす冷蔵庫があったことを覚えている。当時、扇風機はあったけれど冷房機はなかった。白黒テレビは、もの心ついた時から家にもあったが、カラーテレビはずっと後になって我が家にやってきた。電話は有線のダイアル式だったし、ちょっと田舎に行けばトイレは“ぽっとん便所”が普通にあった。東京オリンピックに間に合わせるため高速道路が開通し、関西から東京まで車で移動するのにオーバーヒートしてボンネットを開けて冷えるのを待つ光景がけっこう見られたものだ。もちろんオートマティック車やパワーハンドルの車なんてなかった。 はじめて新幹線を見た時“夢の超特急ひかり号だ!”と叫んだ瞬間を鮮明に覚えている。 どんどん生活様式が洋風化し、電気製品が普及し生活が豊かになっていった頃…その頃の大人は、“世の中便利になり過ぎだ。最近の子供は苦労を知らん。戦争がまた起こったら生きていけないだろう。我々のように戦争を経験して芋の蔓や粟ひえを食べて、しのいだ者は、どんなことしても生きていけるけれど…”と自慢そうに話していた。 今は、その大人たちも、多くが死に…、生きている者は医学や科学の進歩が生み出した便利な器具や薬にどっぷり浸って生きている。 もう、戦争を乗り越えた経験を自慢するものはいなくなった。 もう、生活が便利になっていくことに苦言をさす者がいなくなった。 世界はどこまで進化し、人類は生き延び、神の領域に近づくのだろうか…。 囲炉裏で焼いた山女魚やマキで炊いたご飯を美味いという人はいるけれど… 少し昔にもどろう…電気がなくても生きていけるよ…と言う人は、私の近くにはいない。 人類は、一度手に入れた魔法の杖を、二度と放さない生き物かも知れない。 |
金沢に来た。 以前から気になっていた21世紀美術館を訪ねた。 空調の吹き出し口が、どこにあるか分からなかったので、 スタッフにたずねたら、答えられず、総務の担当者を呼び出してくれ、丁寧な説明を受けた。 写真をここに載せようと思ったが、普段PCで書いているので、携帯での載せ方が分からない。 諦めて、地元に帰ってからにしようと思う。 今から、酒を飲むので、これ以上書けない。 皆さんも、楽しい夜をお楽しみください。 |
金沢に来た。 以前から気になっていた21世紀美術館を訪ねた。 空調の吹き出し口が、どこにあるか分からなかったので、 スタッフにたずねたら、答えられず、総務の担当者を呼び出してくれ、丁寧な説明を受けた。 写真をここに載せようと思ったが、普段PCで書いているので、携帯での載せ方が分からない。 諦めて、地元に帰ってからにしようと思う。 今から、酒を飲むので、これ以上書けない。 皆さんも、楽しい夜をお楽しみください。 |
先週の土曜日に20年振りに会う従妹が、9年前に逝った私の父の仏壇に手を合わせるために訪ねてきた。 彼女とは遠縁のため、私が20歳を過ぎるまで彼ら家族の存在を知らなかったのだが…、私と彼女の父どうし、気が合ったもので、卒業旅行の欧州一人旅で私がパリに到着した際に彼女の空手家のお父さんの市内の自宅に泊めてもらった時が最初の出会いだった。それが今から35年前で…、前回日本で会った時は、彼女がまだ独身の時で今から20年前になる。今回18才の息子といっしょにやってきた。 息子は国際的空手家のおじいちゃんと、国際機関の職員として南アフリカに単身赴任している私の知らない父親の血を引いているようで、実にたくましい男に見えた。きっと彼も将来は日本を離れて世界で活躍することだろう…。 血は争えないと思う。 私の息子は…肩書きは社長だが、私に似て事業には向いていそうにないし、私と同じように最終的にはものづくりの人生を歩むに違いない。 息子と同行してきた彼女は、今でも少しいい具合にフランス人の感覚が入っていた。長い交流のブランクを埋めるように、3時間という短時間のわが町滞在中、彼女は終始喋りっぱなしだった。 彼女は私を見て、全然変わらないと言ったけれど、彼女はすっかりおばさん体型になっていて、世事の言えない私は同じようには返せなかった。 流れていった20年という歳月のなかで、お互い乗り越えた人生を顔に刻んでいた。 さて次は、いつ会えるだろうか…。 お互い健やかな顔でいられたらいいな…。 |
子供の頃、一人で寝るのが恐かった頃…。明かりを消して横を向いて寝ていると、何者かが近づいてくる“ザクッ、ザクッ、ザクッ”と言う足音が、いつも聞こえてきて恐かった。母親にそのことを言うと“気のせいだから…、なにも来ないわよ!”と、軽く受け流された。 その足音が、自分の額の側部を通る静脈の脈打つ音だと気が付いたのは、しばらく経ってからのことだった。 私たちは知ってしまえば、どうってことないことでも、無知ゆえに怯えることがある。 数年前、会社がたちゆかなくなったとったとき…、毎日、頭のなかで自問自答した。“どうしたらいいんだろう?”“解決策がみつからない。”“どうしたらいいんだろう?” 家族に保険金を残そうと自殺を考えたこともあった。 そのうちに、ストレスがどんどん溜まって、限界を越えた時に、病気で本当に死にかけ…そうこうするうちに、自分の内で死ぬってどういう事か…生きるってどういう事か…分かってきた。今でもその時に思ったことが、正しいと信じている。 今では、そこまで気が付くために、それまでの人生があったことが良く分かる。そう思うと自分の人生に無駄なものがないことに気が付く。 私には、もう死は未知のものではなく理解の範囲内であり、人生は常に今の自分を作るためにあり、感謝すべきものである。 もう、夜中に足音の聞こえなくなった私は、私の耳元でそっと囁いてくれる神のいないことも知っている。 |
現代の都市には、至る所に直線が見える。ほとんど直線でできている…と言っていい。 人間が動物に近かった頃やそれ以前には、世界に直線は存在しなかった。正確に言えば、自然界のなかには今の人間が作り出す直線よりも、もっと精度の高い直線があったかも知れない。例えば洞窟に差し込む“光”とか、鉱物の結晶のなかに…。 人間が直線を何故生み出したかを考えてみた。獲物を射るため、空気抵抗を減らし、より遠くに正確に到達するための矢や槍が必要だったからではないだろうか?次に人間は神々の領域に近づくために建物を天へと積み上げた。その時に建物本体にかかる重量を地面に効率よく伝えるために柱を直線で作るが必要があったのではなかろうか…極めて合理的に? 都市を歩くと、人間が作りだした直線で溢れている。 山の中を歩くと直線など一つも見当たらない。 人は、どうして自然のなかに入るとリフレッシュするのだろうか? 本来都市は、人間の活動すべきところではないのではないか? そこのところに、テーマをもつ設計家には興味がある。 直線に頼らずに構造物を作ることのできる技術が発展した今だからこそ… 居心地の良い都市空間が生まれてくると予感する。 |