今日、私が学校を卒業し、初めて就職した会社の新入社員研修で、お世話になった工場のある港町を訪ねた。数年前に高速道路が直結したので、私の町から2時間半で行けるようになった。以前に比べれば近くなったと感じるが、それでも瀬戸内海から日本海へ抜けるわけだから、ちょっとした旅行気分には違いない。 町に着いて、駅前に向かって車を走らせていたら、見覚えのある店構えの料理屋が目についた。35年前の研修当時…仕事が終わって先輩や同期の仲間と酒を酌み交わした若き日の記憶が蘇った。その店の名物は、“あさりの酒蒸し”だったように思う。 一昨年も6年前にも、この町を訪ねたがその時には、この店の記憶は飛んでいた。 懐かしかった。 残念ながら昼飯時で満席だったもので、国道沿いの“魚定食”と看板を掲げた店の暖簾をくぐった。なんと正午過ぎだと言うのにノーゲスト…。店主がすかさず“いらっしゃい”と言うものだから、引き返すこともできず、1種類しかない魚定食をオーダーした。 私が店主に、この町でもっとも大きな会社(工場)で研修を受けたことを話すと、主人は語りはじめた。「町で一番大切な会社だけれど、最近は景気が悪いようで人員削減しているみたいですわ。以前はこの店も接待で使ってくれていたけれど、最近は接待なんて全くありません。ここと違って接待だけで景気良かった店は、やって行かれへんようになって無くなりました。厳しい世の中です。」 私を社会人として育ててくれた上場企業にも、時代の流れが押し寄せ、地元の経済に影響を及ぼしているようだ。 いつもの教訓が頭に浮かんだ。 “幸せはいつまでも続かない。辛いこともいつまでも続かない。なにが起こるか分らない。なにが起こるか分らない。” 私を育ててくれた会社が、盛り返し、いつまでも続いてくれることを祈った。 |
昨日、日本海の港町を発って帰る途中で、山間の盆地に広がる…昔から京都とその西域を結ぶ要衝の町に立ち寄った。この町は、やはり私が新入社員の頃、大阪本社に配属される直前の1週間ほど研修でお世話になった町である。かれこれ35年ぶりである。 町なかに城があることを知り、行ってみた。すると思っていたより立派な城が目に飛び込んできた。近年復元されたようで、おそらく私が研修中には石垣だけしかなかったのであろう。 休館日で中へは入れなかったが、広場に掲げられた説明文を読んでみると明智光秀が建立し、その子が主となったことがわかった。 この地は、京都以西を納め監視するため、また中国攻めに、絶好の立地であったようで…天守閣からは、四方の敵軍の動きを掌握できる。 私の祖先は、信長の命により、この城から出兵した明智軍に滅ばされたのかもしれないわけだ。その明智光秀が信長を討ち、秀吉に討たれ、戦国時代は今日の友が明日の敵とか言うが、その時代に私の祖先も戦に負けて落ち延び、地方に散って行ったことに違いない。 そんなルーツをもつ私が、旅の途中に、この城を訪ねていることに感慨を覚えた。 このあたりの戦国時代の歴史を、少し調べてみたいと思う。 爽やかな秋晴れの一日だった。 |
以前から気になっていた藁ぶき屋根の蕎麦屋を訪ねた。家から高速道路で1時間ほどの田んぼのなかにポツンとある古民家の一軒屋である。正午を少し過ぎた頃に近くまで行くことができた。 今まで走ってきた舗装された道路には道標や看板類は何一つない。車一台がやっと通れるあぜ道に折れ、200mほど進むと、突然数十台の車が止まっている空地を利用した駐車場が現れた。田んぼの中の別世界である。 外から建物のなかの様子を伺うと、どうやら満席のようで、扉の内側にも数十人の待合の客がいるように見えた。それどころか停車している車のなかにも大勢人がいる。 昼の蕎麦屋のことだから、回転が早くて、どれだけ客が多くても1時間も待てばうまい蕎麦にありつけるのだろうが、私は待つことが大の苦手である。それで、待合客の冷たい視線を浴びながら蕎麦屋を後にした。 地元の人が昼に、こんなに込み合う蕎麦屋に来ることはめったにないだろうから、ほとんど都会からやって来た観光客だろう。ここで食べる蕎麦も都会で食べる蕎麦もあまり味に変わりはないと思うのだが、都会の人がいかに田舎や自然や古民家やらに憧れを持っているかが伺える。 以前私は、やはり住宅地のなかに忽然と店を構えるロールケーキ屋に1時間以上並び、買って帰ったことがある。待ったもんだから、その時間の元でも取るように、ほとんどの客が10本単位で購入し大きな紙袋を抱えていた。きっと“おいしいロールケーキのお土産”と言って、配り歩いたのに違いない。 私には、冷静に考えて並ぶことに費やした時間以上に美味くはなかったと記憶している。 そう思い起こして、蕎麦を食べずに帰る自分を正当化した。 とは言っても、あの蕎麦屋の蕎麦の味は気になるところだ。 今度生まれ変わったら、もう少し辛抱強く待てる人間になっていたいものだ。 |
私の知人が、今日“オフィスDO”という会員性のオフィスをオープンした。 このオフィスのキャッチフレーズは“仕事をするオフィスではなく、仕事を生み出すオフィス”である。 その知人には5年半前に我が社の代表をお願いし、1年半前まで引き受けてもらっていた。私は社会的に表舞台に出ないことを誓ったので、彼にはいつまでもその役職についていてもらいたかったのだが、先祖から譲り受けた財産を一代で失くしてしまった彼は、思った以上に経済観念が乏しく、そのままほっておくと会社を潰されてしまうように思い、他の人に役員を替えずにはいられなくなった。 彼との関係は、今でも悪いわけではない。このたび私もオフィスDOの会員に誘われたが断った。私には会員性というシステムがどうも納得できない。それに、彼は入会していない私がその会に全面的に協力的姿勢だと周囲の人に言って回っていたので、会員に対する責任を私には負うことはできないと考え一線を引くことにした。 本日オープニングパーティーが、行われている。今この時間も行われている。 私は、他のメンバーが顔を出す前に、少しだけ顔を出して退散した。 彼の“オフィスDO”がうまくいってほしいと思う。しかし、うまくいくとは思えない。どうして彼にはそれが見えないのだろうか… 彼は、他人の本音が分からない。そのことをこの5年半の間に私は理解した。そのことを本人に伝えることのできない自分に歯がゆさを覚える。 複雑な気持ちの続く一日だ。 |
私の子供の頃、今頃の季節にはすでに紅葉が始まっていたような気がする。いつも通勤で通る山道は、いまだ秋の気配すらない。これも温暖化の影響なのだろうか…紅葉が1ケ月も遅くなるとは地球にすごい変化が起こっているのに違いない。人類がパソコンと言うツールを手に入れたことより、もっと大きな変化と言えるかもしれない。 今朝、秋の気配のない山道を町に向かって走った。すると、山のなかにある森林植物園に向かう市バスとすれ違った。曲がり角で大きく膨らむ大型バスを交わすため、カーブの手前でスピードを落として待機していた私の車の横をバスがゆっくりと通り過ぎて行った。 その時、バスの中を覗き込むと、乗車客が見当たらない。小雨交じりで気温が少し下がった今日…、週末といえども自然のなかを散策する人はいないのだろう。 おそらく、紅葉真っ盛りになれば、もう一度あのバスもいっぱいになるに違いない。 誰も乗っていないバスを見て、秋を感じた今朝のひとこまであった。 |
一月ほど前に友人に誘われ、本日10月23日に東京の千駄ヶ谷で開かれる学会に参加することにしていた。学会と言っても私が学者とか医者とかいうものではない。私は他人より記憶力が悪く勉強が嫌いな、どちらかと言えば文化系の人間である。 友人曰く入場券を買い求めれば誰でも会場に入れるからと勧められ、学会なんて名のつく集まりには、今回を逃せば一生参加することもなかろうと…聞いてもなんのことか分からないと思いつつ、参加予定にしていたのだが、例によって東京からアロマオイルの会社の社長が私を訪ねて22日か23日かにやってくると連絡が入り、東京行きを諦めて来訪を待つことにした。ところが…昨夕、24日に変更との連絡が入り、いつものように振り回され、結局新たな経験値の獲得を逃すことになった。 もうすぐ、昼飯時である。友人とのやり取りのなかで、今日のランチタイムには美味い蕎麦屋でも行こうと話をしていたから、今になって無念さがこみあげてくる。 悪あがきで、今日は近くの蕎麦屋に行ってみようと思う。 結局、私には学会なんて縁のないものだった。 明日やってくるだろう社長が、私にとって、いい話をもってくることを信じよう…。 |
“大殺界”とか言うものが話題になったことがあったが… 当時私は全く気にすることなく生きていた。自分がいろんな意味での死を見、自分の周囲にあったものを失い、そして生き延びることができた今、振り返ると、私にとっての大殺界と言われる時に、私は死に、すべてを失っていた。 だからと言って、私は他人に自分の“大殺界”を知っておいたら…と言うつもりはない。 ただ、人生にはリズムがあり、なんでもうまく行く時があり、何をやってもうまく行かない時もある…ということは、一般的にあるように思える…そう思える体験は今までにしてきた。そこのところはだけは他人に言える。 人生を、低いレベルではなく、高いレベルで体験したい。 そのためには、努力も必要だろう。自分を支えてくれる人達との人間関係も必要だろう。 感謝の気持ちも大切だろう。 うまく行くときよりも、うまく行かない時のために、いろいろ経験して、さらに高いレベルの人生を生きていたいものだ。なんて、分かったようなこと言ったりして…。 私事だが、私は今、人生のバイオリズムの最高点にいるようだ。次の大殺界まで後6年… まっ どうでもいっか… 6年以内に死んでるかも知れんしなぁー。それになんでも例外があるし… “人生なにが起こるか分らない。なにが起こるか分らない。” なんか、今日は疲れてるな…… |
どうやら近々、弁護士に相談することになりそうだ。我社にも顧問弁護士がいるから単なる相談であれば顧問料のなかで納めてくれるが、当然裁判とかになると別途費用がかかる。できれば裁判所を通さずに解決したいものだが…。 相手が私から逃げて話し合いをしようとしない。勘ぐれば相手も企業だから、すでに第三者に相談していて、私からのアクションを無視しておくようにとの指示が出ているかもしれない。だから、第三者を介して話をつけることになる。 弁護士に投げてしまえば、私自身のストレスは幾分楽になるかも知れない…どうも最近私の頭がすっきり晴れない理由は、こんなことが頭にあったからに違いない。 明日、この両社の関係を取り持ってくれた紹介者に話をした後で、おそらく第三者をつけることになるだろう。 相手が話し合いの場に出てくれれば、公平な損得関係が理解できる私自身でも結論までもっていけるのだが、相手が先に第三者に相談すると私は表に出て行かれなくなる。 明日から楽になろっと… こんなことまで書き始めて、皆さん、申し訳ないです。 最近、ちょっと悩んでいたもので… 明日からすっきりして、もっと明るいことも書けるようになると思います。 悪しからず… |
昨晩気晴らしに映画を観に行った。タイトルは“リミットレス”。 人間の頭は普段その能力の20%しか使っていない。能力を100%引き出す薬物を、ふとしたことから手に入れた男の物語である。恋人にも捨てられる冴えない小説家の主人公は、その薬物を飲み始めた時から、4日でベストセラー小説を書いたり、短時間で株の動かし方を覚え大金持ちになったり、あっと言う間に外国語がしゃべれるようになったり…人生が一変する。 家賃を払う金もなかったダメ男が、一瞬にして超エリートに変貌するというストーリーである。 よく練られた映画だ。 アメリカにギター修行に行った高校の友人が、「覚せい剤を使用し、車で街中をフルスピードで走行したら風景がスローモーションで流れていた。」と言っていたが、映画のなかには、同じような状況を彷彿とさせるシーンもあった。 そもそも私たち人間は、自分の能力のほんの少ししか使わずに生きている…ということは普段から思い当たるところが多々ある。 薬物を使用した後の映画の主人公のような人のことを天才・神童と呼び、一般的な能力は全般に大きく劣り、ある一部の能力だけが突出している人のことをサバーンと呼ぶと私は理解している。 人が自分の持つ能力を100%使って生きると、きっとオーバーヒートして一瞬で燃え尽きてしまうのだろう。例えばステーィブン・ジョブスのように平均寿命より短く生涯を終える。長生きしている天才は逆に信じられないくらい劣っている部分があって、それでバランスとっているのかも知れない。 私はと言うと、優れている部分より劣っている部分のほうが多いから、大病したけど、少しは長生きするだろうか…。 “リミットレス”はストーリー・キャスト・映像美・音楽すべてAクラスです。私の推奨映画です。 ただ、いつものように私の観る映画はお客が少なく、昨日も私を入れて5人しかいなかった。このあたりのところも評価に入れて、自己責任においてご覧ください。 |
昨朝、起きぬけに大きなくしゃみと咳をし、口元を手で覆った。その手を開いて見ると血の混ざった唾液がついていた。続いてまた咳をした。喉の奥に違和感を覚えた。なにかの塊が鼻孔から喉元に流れ出し食道をふさいでいるイメージが湧き呼吸が苦しくなった。人差し指と親指を口の奥に入れて異物をつまみ出そうとした。だがとれない…手は血だらけになった。そのうち塞いでいたものが、鼻孔のなかに引っ込んだように感じたので、違和感を残したまま、内科に行った。 つい先日上手い具合に血液検査をしていたので、その結果を聞いてみると少し尿酸値が高かった以外は、痛みのマーカーも上がっておらず、喉の奥が少し腫れているけれど問題ないと診断され、喉と鼻の風邪薬を渡された。 なんだかすっきりしなかったので、今日の昼休みに耳鼻科を訪ねた。始めていく真新しい病院…若い先生に症状を話すと、ファイバースコープを鼻に突っ込まれ、喉までの画像を見せられた。リアルタイムで体の内側が見える凄い時代だ。 鼻に詰まっているものはないと診断された、その代わり鼻から口につながる通路の一部と喉の奥の二か所に傷があり出血が続いていると説明を受けた。 咳とくしゃみが大きすぎ…、あるいは口に入れた指が食道に傷をつけたかも知れないと言われた。画像を見せられると納得せざるを得ない。 結局私は、はやりの結核ではなかったようだ。そして大動脈に異常があったわけでもなかったようだ。 正直言って、私は一瞬死ぬかと思った。人間慌てると悪しきことを考えてしまう。自分ではいろいろ経験してきたつもりだが、まだまだ子供だ。 それにしても、ファイバースコープはすごい診察器具だ。 |