今日は予定通り朝の5時過ぎに、音響の先生との待ち合わせ場所に向かった。我が町の一流ホテルで行われた…ある会の東北大震災のチャリティーイベントの音響の手伝いである。 11時から4時までの間に、10以上の出し物が続いた。 私が初めて会うヘルプの音響屋さんも来ており、最新の音響機材も用意された。いつもに比べると密度の濃い仕事だ。 朝から、夕方まで立ちずめで…しかも主催者から提供された昼ご飯もほとんど食べられずに一日が過ぎた。 疲れた。8時前にホテルから会社に戻れば、明日の展示会の準備のホールの清掃が待っていた。 睡眠不足・肉体疲労・空腹… もう起きてられない。 寝ます。 おやすみなさい… |
昨日のチャリティーイベントには、いつも仕事を手伝っている知り合いの音響の友人が、まるまま機材ごと他の業者に外注した。友人がホテルの一番大きなバンケットホールをカバーするだけの音響機材を持っていないということもあるが、もう一つの理由に友人がイベントのなかで歌い手によって披露された4曲ほどの作曲を手掛けていることもあり、主催者グループのなかでは“先生”と呼ばれる立場であるから、周囲の人たちに当日重い機材運びや複雑な進行のミキシングで疲れ切った姿を見られてたくないという思いがあったようにも思う。 当日使用された機材の量は、トラック2台分だ。 30代半ばの若いオペレーターが音響を仕切ったが、彼の使用していた機材は友人のものに比べデジタル化していた。数々の催しを淡々とこなしている姿は、私がみていてもプロフェッショナルで心地よかった。 そう思うと、アナログの私の友人が時代遅れに見えた。 私は、朝から晩まで座ることなく、昼には主催者が用意した小さなおにぎりを二つだけ食べて頑張った。仕舞支度も機材がでかい分、疲労を覚えた。 友人と同じように私自身も時代遅れだ。 チャリティーの募金総額は、135万円ほど…たいしたものだ。 参加者はみな時代遅れの人ばかりのようであったが、心の温かい、懐も温かい人達だ。 |
今日は半年に一度の検診日だった。血液検査・レントゲン・ADLの検査後にいつもの通り主治医(執刀医)の診察をうけた。 診察室に入るなり、先生の第一声は「やせたね!」 半年に一度しか会わないが、半年に一度はどちらかが死ぬまでは必ず会う…という関係の先生は、私をじつに客観的に見ている。 毎晩飲んでいた家での酒を止めたのが、ちょうど前回の検診の後だったから、先生は私が痩せはじめた状況を全く知らなかったわけだ。 そういえば、前回の検診時に先生は「もう少し痩せたほうがいいよ。薬が効かなくなるから…命とりになるよ。」なんて言っていたように思う。 だから晩酌止めたんだっけ…どうでもいいや… 検診の結果は、「すべてパーフェクト。」と言われた。 しかし、続けて「昨日、運動した? ゴルフとか 水泳とか?」 心当たりがないもので、躊躇していたら… 「激しい運動をしたら上がる項目が平均値より上なんだけど…。」 私は、はたと気が付いて、「一昨日運動しました。」と答えた。 そうなんだ。 一昨日は重たい音響機材と椅子をいっぱい運んで、今でも筋肉疲労が残る。 晴れて私は、パーフェクトに今、健康であることを宣言する。 |
昨日、自称職業“クラシックギターのプロフェッショナル”と称する40才代前半の男性が奥さんとともにやってきた。 来年2月から私の会場で、3ケ月に一度ほどのペースで、人前で演奏するとガチガチに緊張してしまうような素人音楽家を集めて演奏会をしたいと言うのだ。ただし会場費はあまり払えないと言う。 本題に入る前に世間話をした。彼に「私は、幾つに見えます?」と、例によって尋ねられたら困ってしまう質問を投げかけると「50才の前半だと思うのですが、もしかしたら40才の後半かも知れない。」と答えた。 若く見られたい私にとっては、まぁー合格点の答えだ。 彼が、プロのギタリストの前に“自称”と言ったには訳がある。実は彼には今、一人しか生徒がいない。ギターでの収入はそのレッスン料だけなのである。 生活費は音楽とは関係ないアルバイトをして稼いでいる。 彼の話を聞いてみると、ギターだけで生活している人は皆無と言っていいようで、ほとんどの人はアルバイトをしないと生活できないらしい。 ギタリストだけでなくアーティストと呼ばれる個人事業者はみんな、生活が大変なんだと思い知る。 ギタリストの妻は、そんな主人に従い連れ添っている。 彼らを見ているとお金がなくても、音楽と互いの人柄を通して、いっしょにいられる関係だ。これを“愛”というのだろうか… 私にお金が無くなると思い、離れていった別れた妻のことを思うと考えるところが多い。 私は、彼のいい値で、会場を貸すことにした。 |
私に若い友人がいて、彼は人生について悩んでいる… 彼は造形大学を卒業し1年半が経過したが、いまだに定職についておらず、たまにアルバイトをしながら実家で作品作りをしている。今の世の中You Tubeとかでヒット数が上がる作品を投稿すれば、けっこう稼げる世の中だから、作品作りに必死で取り組んで頑張ってみることに、私は賛成なのだが、当の本人に最近迷いがでてきたみたいで、作品作りは止めて、稼げるアルバイトをしようかどうか悩んでいる。 その悩みは、私にとっては贅沢な悩みに思う。今定職についていなくても食べて行ける環境だし、なにしろ彼にはまだ無数の選択肢がある。 私の人生経験のなかに、自分の選択肢がなくなった時期があって、この時は「どうしたらええねん!」が口癖になり、毎朝枕に髪の毛が何十本と抜け落ちていた。正直このころ自殺も考えた。 彼に「あなたには選択肢がいっぱいあるから、それで悩むのは贅沢なんだよ。」なんて言ってみようかと思ったけれど、言ったところで今は通じないと思うから、黙っていることにした。 彼だけではなく大抵の人は自分が被害者のように生きているんだろう。 選択肢がないと思っていても、窮地を切り抜けることができた私は、彼が経験を重ね自分の人生は自分が中心で回っているんだと、早く気が付くことを祈っていようと思う。 人生には、どんなことがあっても選択肢があって、立ち止まらずに進み続ければ自分の人生の道が見えてくるという事は、彼がもう少し経験をしなければ分からないんだ。 一般的な励ましだけ言っておこうと思う。 “若いんだから失敗を恐れるな!”と… |
私はギターを習っているが、私にとってギターの先生は変わった先生で、先生にとって私は変わった生徒だと思う。 レッスンに行っているのに、しばしば全くギターを弾かずに帰ることもあるし、生徒の私が「先生、今日はもう頭がいっぱいなので、これ以上のレッスンは無理です。」と、先生の指導意欲を制して退散することもある。それにレッスン中に私はメモをとることはない。その場で暗記できること以上の内容をメモまでして覚えようとは思わない。 私は先生の音楽に対する姿勢を尊敬しており、人間として好きである。おそらく先生は物づくりにおける私のバランス感覚を認めており、だからコンサートのパンフレットのデザインや写真撮影を私に依頼してくる。 私は、将来ギター演奏のプロフェッショナルになるつもりはなく、あくまでも私の青春時代に憧れたギター曲の数曲が弾きたいがためにレッスンに通い始めた。 最近では、先生の話を聞くことが楽しみで、先生に私が感じたことを聞いてもらうことが楽しみで先生に会いに行く…と言う具合だ。 1週間ほど前、教室で先生が大先輩の生徒に指導している時の二人の演奏を聴いていて、気が付いたことがある。先輩はテクニックを充分持っているのに、先生の奏でる音と比べると明らかに薄っぺらな音にしか響かない。 そこで私は納得した。演奏とはその曲を自分がどのように理解するか…テクニックよりも理解力が大事であると…。 昨日、そのことを先生に話してみた。すると先生は相槌を打った。 音楽に対する目標も持たずに、レッスン場にやってきて好き勝手にまくし立てて帰る私を、先生はやっかい者だと思っているかも知れない。 先生にとって私はやっかいな生徒かもしれないが、あまり教えることもないのに毎月月謝を運んでくる、有難い生徒に違いない。 そんな感じで来週もレッスン場にいくだろうと思う。 結局、私はなにが言いたかったのだろう… |
私の携帯は、まだアイフォンではない。使用していた携帯が、急に接続状態が悪くなったので数日前にショップに行って見てもらったら、充電端子の近くにある小さな受信アンテナが折れてしまっていると言われたので、修理するより新しい機種にしようと、今いろいろ考えている。 携帯と同じように、今まで使っていたワァイファイの接続端子も調子が悪くなったので、相談に行ったら、一旦解約して、新たに契約した機種に変更したほうがランニングコストが低くなると説明を受けた。このあたりの仕組みがどうも分からん。 アイフォンに変えると、今まで使用していた携帯より月間1万円高くなると言われた。そんな馬鹿な…と、思う。どうして若者がそんなコストの高いツールを持てるんだろう? そんなところにお金をかけたら、彼女とデートに行けんだろう。 だから、最近彼女や彼氏のいない独身者が増えてるんだろうか…。 今晩、IT関係の友人と話をした。彼はアイフォンは持たず、通常の携帯とアイパッドを持っている。アイフォンは小さくて使いずらいと言う。 通常携帯とアイパッドとワァイファイ組み合わせてみようか… どうすりゃいいんだ。 どうも分からん。 |
昨日は、マダムのお店の定例会の“ボジョレーヌーボーを、同じビルのフレンチ店のケータリング料理で味わう会”があった。解禁されてから少し時間が経過しているが、11月の下旬には会場の予約がとれず今年は12月になったわけだ。 この会は、昨年は50人近く集まった。マダムのお店は10人が定員だから、毎年この会は私の会場に場所を移して行われている。 今年は12月になり忘年会シーズンがスタートしたこともあり30名ほどしか集まらない少し静かな会になった。 テーブルブッフェの私たちの円卓は、顔なじみ人達で埋まった。バラの先生・謎の京都人・中華料理店のマダムとその友人、私の横にはフラワーアーティストの女性、もう一方の横に初顔のカップル…この人たちもすぐにテーブルの雰囲気に溶け込んだ。 隣に座っていたフラワーアーティストが突然「実は報告があるんです。」と言って私のほうに膝を向けた。「来年の3月中旬にパリで大きなイベントがあり、その際のフラワーアレンジの仕事で自分も呼ばれ、パリに行くんです。そしてしばらく帰らないかも知れない。」 彼女とは、たまに食事に行く間柄だったが、寂しい思いは全くなく、すぐに心の底から「おめでとう!チャンスだね。頑張って…」と答えた。 そのことを同じテーブルの皆さんに、私から伝え、彼女は祝福された。 酒の席という事もあり、来年はみんなでパリに行こう…という話で盛り上がった。 さて来年、私は2月にバリ島に行って、3月にはパリに行って…忙しい年になりそうだ。 バリからパリ…である。 さて、この話はどこまで実現するだろうか… 楽しいボジョレーヌーボーの一夜であった。 |