一昨日の夜に、私の管理する建物で、共用部の電灯の一部が突然切れた。管理室から電話がかかってきて、タイマーの3番スイッチを触っていたら復旧したが、その後またダウンして、今度は復旧できないと報告があった。結局一部暗いままでその日を終えた。 昨日の朝、私が確認すると停電したタイマーは1番の回路だとわかり、どうして3番のスイッチを触って復旧したのか疑問が湧いた。昼過ぎに点検に来た担当者にそれらを説明し、後日タイマーの専門家を同伴して再点検することになった。 その夜…やはり夜になって停電があった。しかも今度はもう一か所増えた。 分からない。なにがどうなったんだろう。 どうして夜にだけおこるんだろう?照明器具の電気容量が増えるからか?どうしてブレーカーが落ちないのだろう? 1番と3番のスイッチの関係はなんだろう? 25年以上前の電気製品(器具)は、家庭ではもう使われていないだろうし、まして建物の設備ともなれば修理しようにも部品が無かろう。 この先、大きな問題に発展しないように祈るしかない。 |
昨日の昼前に一人でマダムの店にランチを食べに行ったら、めずらしく他に客が数組いてしかも満席で、空いたテーブルがないものだから、後から来たマダムの店の常連の女性が私のテーブルに座った。彼女は隣の席で食べていた二人組とも知り合いらしく、早速私の目の前で通路を隔てて話を始めた。私はと言うと、その話題のなかに入るつもりもなく最初の皿が出るまで本を読んでいた。隣の二人組と話を終えた彼女は私の様子をみて、席を立ちカウンターのなかで動き回っているマダムの前で仁王立ちになり、ひっきりなしに話しかけはじめた。 一時に客が重なり、大変なマダムの状況を察することもなく、話続ける彼女を見ていると、なんて自分本位な人だろうと思ってしまった。 それでも、マダムは必至に対応を続けた。 先ほど、またマダムの店に行って、昨日の話をしてみたら、笑いながら大変だった…と明るい声がかえってきた。 そんなマダムを見ていると、この店では、私ももう少しわがままでもいいのだろうか…と思ってしまった。 |
ジャーナリスト・評論家で青山晴繁氏がよく言うことに“ニュースには必ず尻尾が出ている。”という言葉がある。 ニュースはアナウンサーや記者の主観も含め、真実の一部の情報に過ぎないことを知り、映し出された情報だけではなく、その奥に隠されている事実や見方が必ずあることを知り、それを読み解く力を磨くことが大切だという事だと理解している。 このことは、普段の我々の人間関係にもあてはまり、目の前の人が私のことを笑顔で褒めちぎってくれても、裏では逆のことを言いふらす人かも知れない…というような人の本心を見抜く力が必要だということにも思える。疑心暗鬼になれと言うことではない。あくまでも見えている部分だけを見ていても本質を捉えることはできないとうことだ。 私は、初めて会う人には、どんなしっぽがあるか見定めたいと思う。 いやいや、既に知っている人にも、とんだ尻尾があるかもしれんぞ。 |
周囲のことがよく見える人は、冷静な判断ができて失敗をすることは無いけれど、新しいこと、他人がやらないことには手を出さない。悪く言えば臆病で情熱にかける。 ただただ、自分を信じて突っ走れる人は、周囲から見て危なっかしく安定感に欠けるが、けっこう勢いでそのまま走り続けている人も多い。 私はと言うと、周囲が見えているから失敗は回避できているように思うが、最近は新しいことにチャレンジする意欲が減少してすべてにおいて傍観者である。とにかく失敗は許されない。 体力精神両面で、もう走り続ける気力が失せてしまった。 年を重ねるということは、そう知ることだ。 そして、そう納得することが、年をとったということに違いない。 |
昨日、あるパーティーに出席すると、数日前の会議で私の説明に鋭い疑問をぶつけてきた人が目の前にいた。その時、議題が多かったから、結論のでないまま話題が変わってそれっきりになってしまっていたので、良い機会だから私の方から話しかけてみた。 彼は大人だから冷静に自分の思いを話し、私も静かに聞いた。それで分かったことには、互いにある組織に対する認識が全く逆であることが分かった。最初は驚いた。まさかそんな見方があったのか…と絶句した。しかし彼の説明を聞いていくと、彼の主張には組織の認識をベースにしたうえで、ぶれない信念があることに気が付いた。 そこのところが理解できれば妥協点がみつかることを私は知っている。私は頭が良いほうではないので、すぐにではないけれど確実に彼とは一つの方向に向かえると思った。 相手の考えの基本になっているところを、見ぬき、理解し、配慮することが自分のやりたいことを進めていくうえでは大切なことだと思う。 |
昔を振り返って、あの頃は良かった…と…、今が悪いと愚痴を言う人がいるけれど、現実の今をしっかり見つめて、振り返って、あの頃は狂っていた…と、考えたほうが強く生きれるように思う。 昔に戻ろうとしても、絶対に無理な事だ。 常に自ら変化し続けるか、周りに左右されることなく信念を貫き通して同じことを続けるか…中途半端が一番良くない。 いかんせん、愚痴をいう人は中途半端である。 |
マダムの詩集が今月半ばに出来上がる。店の客でもある絵描きの女性が絵を描いた。聞いていると詩と絵の本であり、絵は詩の挿絵ではないようだ。普段どんな絵を描く女性なのかを知っているが、私には彼女がマダムの詩を全部理解できるとは思わない。マダムの詩は大人のそれであり、絵描きの彼女には、まだ人生の経験が少なすぎる。 校正の途中で“今、見られますか?それとも出来上がってから見ますか?”とマダムに尋ねられ、“出来上がってからにします。”と答えた。だから、どんなふうに進んだのか、私には全く分からない。 最初、マダムは東京の装丁デザイナーに依頼していたが、いつのまにか近くのデザイナーに変わっていた。 もし私がマダムから装丁を頼まれたら、ギブアップしていたに違いない。私の能力外を越えた仕事のようだから…。 さて、どんな顔をした本になるだろうか? 今から、出来上がりが楽しみだ。 いい本になってほしと思う。 |
けさ、電車に乗って座っていたら、目の前に老人が立った。席を譲ろうとしたけれど、よく見たら山登りの服装だったので、止めることにした。 今から山に登る覚悟の人が席を譲られることを、簡単に良し…と、するわけがないと思ったからだ。 せっかくの好意を断られるとバツが悪いし、他人に席を譲ることは難しい。 いっそのこと、車の高齢者運転標識(マーク)のように、席を譲ってほしい人は、バッジでもつけていてくれたら有難いのだが…。 |
今、思うこと 誰かが、私に忠告してくれた時… 一瞬…どんなに余計なこと、筋違いなこと…と思っても 嫌がられるかも知れないのに 敢えて発してくれたその言葉を 一度、立ち止まって 自分のうちに入れられる自分でありたい。 |
今朝、犬と遅めの散歩をしいていたら、小学校の校門の前で、学校へ行くのがいやで愚図っている女の子が目に留まった。お母さんが無理やり手を掴んで引っ張って学校のなかに入れようとするが、少女は“いたい!いたい!”と泣き叫んで動かない。その目の前に学校の先生が立って見守っているが、見ているだけでなにもしない。最近のことだから、下手に先生が手を出すと後で、問題になるかも知れないと傍観者を決め込んでいるのだろうか? 私は小学校の頃、体が弱くて学校をよく休んでいたから、みんなについていくのが大変だった。私も学校へ行くのが嫌で愚図って親を困らせたことを思い出した。 そんな自分の弱い部分を忘れていたことに気が付いた。人より劣ると感じたことは忘れないでいたい。 忘れないでいたら、乗り越えられるが、忘れてしまったら、いつまでも虜になってしまうことを大人になって知ったから…。 自分の弱い部分をしっかり自覚して生きて行きたいと…改めて思った。 |