のろまな亀が最後に俊敏な兎を追い抜くという“兎と亀”の童話の意味を、考えてみた。この物語は、「諦めずに粘り強く頑張っていれば最後にはいいことがありますよ」という話のように子供の頃に教えられた気がするが・・・今考えてみると、他にも違った意味が見て取れる。 例えば・・・ 「調子のいい奴は、ポカをする。頑張ってたら追い越せるぞ。」 「どんなに能力のある者でも気を抜けば、のろまに追い抜かれる。気を抜くな!」 「不器用な奴の方が、仕事を覚えたら確かな信頼できる仕事をする。」 「兎は兎の・・亀は亀の仲間で競争させれば良い。能力の違い過ぎる者をいっしょにするな!」 私は、自分で自分のことを“亀”だと思っている。決してスマートだとは思っていない。 物覚えも、要領も悪くて、不器用だ。そのように自己分析している私は、決して“兎”とは戦わない。 亀は兎には見えない地面の起伏や石ころを見て、そして避けて目標を目指す。途中で休んでも、振り返っても、自分のペースで進めばよい。時間がかかっても兎より、多く物を見て感じている筈・・・。 急ぐことは兎にやらせれば良い。亀は亀のすべきことがある・・・と思っている。 あなたは、兎ですか?亀ですか? |
世の中には、貯金の出来る人と出来ない人がいて・・・出来る人はどんなに収入が少なくてもお金を貯めるし、出来ない人は収入が増えても、その分支出が多くなって貯まらない。ただおかしな事に、不意の出費が必要になった貯金できない人もなんとかお金が回ってると言うこと。こんな現実を見ていると、お金なんて貯めないで使った方がいいですよ・・・と言うことになるんだろうが、確かに“お金は天下の回り物”・・・自分で止めてちゃーダメで回さなくちゃー・・・と、もし少しでも余分なお金があったなら回しておく事を推奨する。ただ目的のために貯めることは別だろうな・・・貯金が目的じゃーなくて住宅ローンの頭金を貯めるとか、フェラーリに乗りたいとか(しかしフェラーリのような車、乗りたいから貯めるなんて人の手に入るんだろうか?)具体的に欲しい物を手に入れるための手段としての貯金は別・・・日本人全ての人が目的があって貯めてるお金以外を1/3引き出して使ったら、日本の景気なんて一気によくなるだろうな・・・“一気に使おうあなたの貯金。あなたの手で回せ経済!あなたの力で救え国家!”なんてキャッチフレーズ作ったりして・・・ 大金を持たず、バブルの崩壊を経験した私は、心の底からそう思う。 |
ギターの調弦をする際に音叉で先ず第5弦の開放弦から始める(最近は音叉を使わずデジタル機器で調弦するが)。その音は“ラ”の音でドイツ語では“アー”の音となる。この“アー”の音が赤ちゃんの産声の音であり、どんな国の子供も、男子も女子も全て同じ高さの“アーッ”という産声を上げて生まれる。だから人として初めての音“アー”が基本の音になると先生は教えた。本当かなと少し思うところもあるが、私の心は完全にこの先生に掴まれた。技術的な指導だけでなく、要所に掴みとなるエピソードや知られていない真実を挿入して話されると、興味の惹かれ方が違う。私は教え方の上手い先生に巡り合ったのかもしれない。 さて、私は先生の演奏を真剣に聞く機会を持たずに習い始めたわけで・・・果たして私の先生は演奏家として優れているのだろうか?教え方のうまさと演奏家の実力との相関関係が私にはまだ分からない。多分間違いなく上手いと思うのだが・・・近いうちに先生の本気の演奏が聞けることを楽しみにしよう。それまでは自分の直感を信じてついていこうと思う。 しかし“掴み”は大切やね・・・そのためには、知識の引き出しを多くしとかなくては、いい教え手にはなれないと思う。さて練習、練習・・・。ギターの先生になるつもりはないけど・・・。 |
ギターの基本を習いたいと思ったきっかけは、あるギター曲を弾きたいと思ったからであるが、今までの2回のレッスンでその思いが薄らいできた。ある意味先生に洗脳されたと言うべきか・・・「音を出すための最も基本となる練習、弦を押さえる最も基本となる練習を初めのうちにしかっりやっておくと、少し弾けるようになった後で壁にぶち当たった時、基本に戻れば必ず次へのステップの足がかりがつかめる。基本が身についていないと前に進めなくなる。」と言われたのだ。「音を出す基本、弦を押さえる基本がしっかり身についた時・・・その時に、どんな曲でも弾けるようになる。」と続けて言われた。絵画にしろ、経営にしろ何でも我流でやってきた私は、それなりにすべて自分の物にしてきたつもりだが、今回私の目の前には、初対面で私の心を掴んだ教師がいる。ひょっとすると、この年で初めて他の人より、もう二歩抜きん出るための大切なものに触れたのかも知れない。 私はくる日もくる日も暇を見つけては、一つの音を出す練習をしている。四本の指を離さないで弦を押さえる練習をしている。今では曲を弾きたいという思いが薄れて一つの音を強く、時にはやさしく、またあるときは囁くように爪弾くことに夢中になっている。 この年齢で、この素直な気持ちを持てる私は、2年後に少しはましなギタリストになっているかもしれない。 |
仕事場への行きかえりの国道沿の、ひなびた一軒家の喫茶店の窓ガラスに『30年間どうも有難うございました。』という貼り紙をみつけた。一度も立ち寄ったことのないその店の入り口から少し離れた所にある犬小屋に白い柴犬がいつもおとなしく繋がれているはずなのだが、その日は見かけず、店の内外に数人の男女が世話しなく働く姿が見え、あまり流行っていなさそうだったその店が寿命をむかえたことが悟られた。時代の早い流れのなかで30年という年月を戦ったその店の人たちは、20余年で全てを止めた私よりずっと立派に思えた。 その3日後、その店の前を通ると建物はすでになく、勿論犬小屋もなく地面はすでに更地となり、そこになにがあったかも分からなくなっていた。働いていた人・・・柴犬・・・どうしたのだろうと思いをはせた。彼らの幸せを祈った。 一度も立ち寄ったことのない、あの喫茶店の記憶を私の頭のなかに、留めておこうと思った。 |
もう20年程前になるだろうか、小さな企画会社を始めた頃、私は皆より早く朝の7時半には出社する日々であった。ある日パートのスタッフでご主人の転勤で東京から越してきた女性が、他の社員が来る前に私に話があると言うことで、いつもより早くやってきた。話を聞いてみると、会社を辞めたいと言う。理由を問うと「昨日社長が、来んでええ!とおっしゃったから・・・」と言う。はて、私には、覚えがない。 眉間に皺を寄せて悩んだことを今でもはっきり覚えている。思い出したことに前日スタッフの着る新しい制服の話をしていた時に、黒がいいか紺がいいか相談していて、遅れて入ってきた彼女に「○○さん、紺でええ?」と同意を求めた記憶がある。 でもまさか・・・誤解を解こうと話しを続けようと思ったが、彼女は「お世話になりました。」と言い残して部屋を出て行き、二度と私の前に表れることはなかった。いったい、あれはなんだったんだろう。 嘘のような本当の話・・・世の中には、思いもよらない行き違いがあるのだろう。 狐に摘まれたようなあの日の出来事は、あれ以上の思い違いはないと思う。 特別なんだろうと思う。 |
遅ればせながら、今日私の車にETC機器を取り付けた。高速道路の土日祝上限\1,000.乗り放題の恩恵がなくなるという今になって何を今更と言われそうだが・・・私は、ほとんど毎日車に乗るが、有料道路を利用することがほとんどなく、ましてや休みの日に車で出かけるなんて考えもしなかった。先日のエンストでディラーに行って壊れたオーディオの修理を頼んだ時、ETCの取り付け費用を聞いたら音声付で2万円程度だったので思わず取り付けを頼んでしまった。確か2年くらい前の設置費用は5~7万円位だったような記憶があるのだが・・・ さて、土日祝\1,000.は民主等の不安定な政策実行力のお陰で、6月以降も継続されるようだし、参議院選挙までに少し遠出してみるとするか・・・ 私の家には地デジ対応のテレビがまだ1台も無い。来年になった方が有利に買えるのではないかと今まで来たが・・・さて、買い時が掴めない。場合によってはテレビの見れない日々がしばらくあってもいいかも知れない。まだ買い換える気持ちはおこらない。まぁー急ぐことはあるまい。のんびりいこう。 |
今日、オーストラリアの歴史研究家からメールが届いた。先日郵送した第二次世界大戦中に一般市民捕虜として1944年4月1日にわが町の収容所内で病死したイギリス人に関するいくつかの資料を送ったその礼が書かれていた。先月横浜の外人墓地を訪ね墓石を撮影した写真も同封した。その墓が周囲の墓に比べ立派であったことが不思議だったのだが、その理由も書かれていた。亡くなったイギリス人は戦前にウィルキンソン社の一株株主であったらしく、戦後ウィルキンソン社が身寄りのなかった彼のために株代として墓石を奉納したことが、オーストラリアの大学が所蔵する英文資料に記載されているそうだ。地道な研究の積み重ねで忘れられた真実に光が当たる・・・歴史が、名探偵の謎解きのように解明されていく面白さを感じた。研究家ではなく作家であった司馬遼太郎は現代の坂本龍馬像を作ったと言われるが、その元となった人物像は多くの歴史研究家の陽の当たらない真実の追究から形作られたに違いない。 私は、作家を目指しているが、歴史研究家との良好な関係を今後より深くしていきたいと思う。オーストラリアに情報収集に行くこともあるだろうし・・・ |
20歳代の前半、ヨーロッパとアメリカを旅した。1ドル¥360.の固定相場制の時代だった。初めての一人旅がヨーロッパだった。英語もろくにしゃべれない私は英語の通じない西欧があることを思い知った。お金を持っていても、コミュニケーションがとれないと、食べたいものが口に入らないことを知った。二度目の一人旅はアメリカだった。一人旅に自信を持った外国での最初の食事にロサンゼルスのダウンタウンのマクドナルドに入った。「ヒア・オァ・トゥーゴー」と笑顔で聞かれた。なんのことか分からず、注文できずに笑顔で店の外に出た。お腹がグゥーグゥー鳴った。悔しかった・・・。勇気がないとお腹が満たされないことを知った。 旅の途中で言葉がうまくしゃべれないのに外国人と心が通う瞬間があった。世の中・・・言葉やお金だけで成り立っているのではないと思った。人と通じ合うための適当な勇気や純粋さも大切だと思った。 今の年齢になっても、やっぱり世の中のこと・・・そう思う。 あの経験を若いうちにできて本当に良かったと・・・今日、思う。 |
“チーム”は個の集合であり、それぞれ異なる価値観を持ち、異なる環境のなかで、異なる能力(体力・知力)を身につけて育った者が、同じ目標に向かって戦い、高みを目指す訳だが、優れたチームを作り上げるには、選手個々の能力の高いものだけを集めても不完全で、皆を取り纏める力を持った中心的存在が必要であることは言うまでもない。いわゆる監督の力量がチームには大切なのだろう。 “家族”に置き換えれば、良い家族を作るためには同じように親の責任が大きいに違いない。子の能力分析(自分の能力の限界を踏まえて)をしっかり行い、必要以上に期待をかけず、一人で生きているのではなく、家族というチームで生きていることを教えなければならない。教えなくても自分で気がついてくれれば良いのだが、大抵の親はそこのところを飛ばして育ててしまい、あるとき、こんなはずじゃーないのにと慌ててしまう。理解できて当たり前という思いは分からないこともないが、現実に今、分からない子に腹を立てても仕方ない。分からなくて当たり前、分からないのは自分の責任・・・くらいの気持ちを持つほうが子も自分もストレスなく生きていける。 少なくとも家族というチームは、トレードしたり、首を切る訳にもいかないのだから、誰よりも子供の能力をしっかり把握する監督となって、少しづつ少しづつ光っているものを引き出しながら、独り立ちまで家族というチームで前進するしかないように思う。離れられない分・・・長い目で見れば、数年後にその成長に喜びを共にできる関係なのだから・・・。 そんなことを考えながら、まだ一人で生きていると思っているように見える成人した息子を、腹を立てづに見守っている。 |