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SOLILOQUY

ひとりごと

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June 13, 2010 19:22:24

服装

カテゴリー: 日記
先日のチャリティーパーティーのコンサート後の話であるが・・・、階を移してビュッフェ料理の食事タイムとなった。実は私は、非常にラフなスタイルで参加したのだが、ほとんどの男性がジャケットを着ており、女性はドレスアップしていたものだから、自分で自分のことを場違いに思えて居ずらかった。そのため少しだけ食事をとり、体調を気遣って早めに退散しようとした薔薇の先生と一緒に会場を後にした。食事会の後、準主役のカメラマンがプロジェクターで静止画を投影しながら、ある国(アフガニスタン)の平和な時代の様子を解説したらしいのだが・・・、酔っ払っていて、とんでもなくお粗末であったらしく・・・、おまけに写真集や生プリントの販売会(チャリティー)の際には酔いが回ってサインも満足にできなかったらしい。私は以前からそのカメラマンに好感が持てず、近寄りたくない人間として認知しており、その醜態を聞いて、やっぱりな・・・と思った。主役級の人間がその程度のレベルでは、どれだけ素晴らしいエンターテイメントを企画しようとチャリティーパーティーとしては三流に思う。もし大使が出席していたらどうするんつもりだったんだろう。場の分別もつかずに酒に溺れるカメラマンは、どれだけ会の発足に関わりがあろうと、次回には出席してほしくないと個人的に願う。

私は私で、次に参加する時には、服装を考えなければ・・・人のことは言ってられない・・・
June 12, 2010 21:50:22

片手

カテゴリー: 日記
昨日、昨年の暮に続き第二回目のある発展途上国支援のチャリテーィーパーティーがあった。相変わらず大使は来られず、代わりに送られてきた英語のメッセージが代読された。続いて、ピアニスト 智内 威雄 氏のミニコンサートがあった。 智内氏と言えばドイツ留学中に右手に筋ジストロフィーが発症し、ピアニストの道を諦めかけたが、左手だけで演奏する曲に巡り合い練習の結果、今では“左手のピアニスト”としてテレビでドキュメンタリー番組も作られるほど有名になった人である。チャリティーそのものについては、その会の開催の発端となる動機について裏の話を知っているので、あまり参加意識は持てなかったが、智内氏のコンサートは予想以上に素晴らしかった。彼は演奏の合間にこんなことを語った。「私の演奏では普通の人に比べ、音が五つ少ないというハンディキャップがあるが、逆に10本の指がある人より情感に勝る演奏ができる。」・・・と、正に彼はマイナスの自覚によって、マイナスをプラスに転化し、普通の人以上の演奏評価を世間から勝ち取ったと言えよう。この度のコンサートでは、チャリティーということもありアップライトでの演奏であったが、その音域の幅と抑揚は、確かにハンディキャップを感じさせず、あくまでも一人のピアニストとして賞賛できるものであった。自分が大切なものを無くした時、その悲しみ苦しみに押しつぶされてしまう人と、時間がかかっても乗り越えより強く生まれ変わる人がいる。私にとって4年前に病になった時が人生の岐路であったように思う。あの痛み苦しみを咀嚼できた私は、以後新しい人生を歩み始めた。

今苦しみ涙する君へ、その痛みが未来の糧になるように祈る・・・・。

June 11, 2010 14:49:22

直感

カテゴリー: 日記
“それは分かっている。”という返事は大変曲者であり、おそらくこの答えをもらった場合、そう言った本人は分かっていないと思ったほうが良い。“それは分かっている。”と返事する人の多くは、返事だけして次の一歩が出てこない。そんな人は何でも考える習慣がついていて、人の言うことをよく聞いたふりして、結局聞き過ぎる理由で自分の本心が見えなくなってしまうか、何も信じれなくて結局何も進まなくなる結末になる。自分自身に芯がないうちは他からの話は何も身につかない。それなのに“それは分かっている。”というものだから、分かっているつもりで進んでいくと、取り返しのつかない大きな壁にぶつかる。仕事において“それは分かっている。”と答える人とは距離をとった方が賢明だ。分かっている人は、分かっているとは言わずに、黙って実行し成果を出していくものだと思う。
“それは分かりません。”と間髪入れずに答えたり、ある種衝動的に自分の信じることに向かっていく人の方が、信頼できるように思う。

自分のことを“考えるタイプ”だとか、“人の話をよく聞く”なんて言う人には近寄らないほうが賢明だ。
考えたって答えは、見つからない。直感と信念を大切に人の話は適当に聞いて、人を説得して導いていける人間でありたい。
今日と同じようなことを、以前も書いたような気がするが・・・まぁー・・いいか・・・
June 10, 2010 22:27:03

西側

カテゴリー: 日記
私の住んでいる家の近くには、一つの中学校と二つの小学校と一つの幼稚園がある。正確に言えば幼稚園は“あった”と言う過去形で・・・私の町に子供が少なくなったせいか今年の4月に隣町に引っ越して行った。そのうち小学校も統合するようになるのだろうか。家の南側の窓からは岡の上にある中学校が見えて、夕方窓を開けていると、コンクールでも優秀な成績をとるブラスバンド部の楽器の音が聞こえる。北側にあるコープのさらに北側にある小学校方面へはあまり行く機会がなく、私にとってこの学校の存在感は極めて薄い。西側にあるもう一つの小学校は、毎朝の散歩のコースで校門の前を通っているし通学する学生達の姿も見慣れているため親近感がある。今日の夕方、私は玄関に佇み目の前をボーッと眺めていた。すると西側の民家の屋根越しにコンクリートの低層階の建物が目に入った。一瞬何の建物か分からなかったのだが、よくよく考えてみると、その方角には小学校がある筈で・・・数秒後に納得した。今日、家から小学校が見えることを始めて知った。それにしても私がこの家に引っ越して来てもう5年になるが、いったい目の前に何を見ていたのだろう。家族にも訊ねてみたが、やはり誰も見えることを知らなかった。

私は、目の前の人のどこを見ているのだろう。正面を向いていても、実はその人の数%しか見ていないかも知れない。“ちゃんと見ている”なんておこがましくて、まだ分からないから、“もっと見よう”と向かったほうが賢明に思えた。
一度見えた小学校は、明日もその方角に見え続けているだろう。念のため明日の朝、確かめておこうと思う。
June 09, 2010 22:04:22

約束

カテゴリー: 日記
今から3週間ほど前、友人と酒を飲みに町に出た。こじゃれた日本料理の店で赤ワインを飲んで・・・魚には白ワインのマッチングが普通であるが、結構赤でも相性のいい肴を選んで、話が弾み楽しい時間が過ぎていった。次に行きつけのショットバーに行き、隣に座っていた知り合いのタウン誌の編集長と町の歴史の話で盛り上り、気分が良くてもう一軒はしごすることにした。その店は30年前に一度だけ行ったきりの店・・・昭和初期に我が町を徘徊していた画家、小説家、その他学者等多くの文化人が訪れ、その際酒の勢いにまかせて筆をとったのであろう、店の西壁面に彼らの落書きやサインが今でも残る。以前訪れた時も同じ二代目の主人であったと思うのだが、当時私は若かったし、主人も男盛りの40歳で、私は子供扱いされたような記憶が残る。30年という年月は二人の年齢差を近づけた。主人は丸くなり私は大人になっていた。気分が良くなった私は「一月以内にまた来ます。」と言って店を出た。
昨日、アメリカ帰りの友人と飲みに出て、分かれた後で一人で例の主人の店に足を向けた。店に入ると、接待ゴルフ帰りのサラリーマン一行が小さな店の客席に溢れていた。前回と全く違う空気を吸いながらウォッカトニックを注文した。ほとんど一気に飲み干して主人に勘定を申し出た。店の扉を閉めるとき主人の“申し訳ない”と言う笑顔が見えた。

私は、決して店の雰囲気を悪く思ったのではない。扉が閉まる瞬間、『約束を守れた。』と呟いた。
June 08, 2010 16:21:20

彫刻

カテゴリー: 日記
彫刻と塑像の違いを一言で言うと、彫刻は削る刻む彫るというマイナスの作業のみを繰り返した後で残ったものが形として残る。塑像は最初に芯(骨格)を作り(芯のない場合もあるが)その芯に別に用意した素材を付けて行くというプラス作業を繰り返して形を作る。二つの作品はプラスとマイナスという相反する作業によって形が作られるわけだ。完成作品を見ると一見どちらも同じような形に見えるが、よくよく見てみると作品の放つ緊迫感の違いに気がつく。彫刻は削りすぎると、もとにもどせない。常に真剣勝負で作品に向かわなければならない。塑像が真剣に作られていないというわけではないが、付けすぎれば外せばよいわけだから、幾分緊張感が緩和されるように思う。
今日、マダムが先の日曜日にバスをチャーターして会いに行った木版画家の小品を自宅から持ってきた。眺めていると、緊迫感を感じる。木版も彫刻の分類に入るのだろう。マイナスすることで形が出来上がる。削り過ぎれば、修正すなわち誤魔化しとなる。

自分の人生に置き換えてみた。私の人生は足らないものを付けて行く人生か・・・それとも持っているものを削る人生か・・・若いうちは、何でも吸収するプラスの人生を生きたように思う。しかし今、人生の残りが少ないと思えば、見てくれを気にせず、間違えることなく余分なものは脱ぎ捨て、持ちすぎたものは振り落とさなければならない歳になった。後戻りする時間は年をとるともったいない。自分が緊迫感のある作品を残さなければならない誤魔化しの利かない年代に入ったと思った。
June 07, 2010 22:46:43

饂飩

カテゴリー: 日記
昨日の四国のイベントは、我が町に本社工場を持つ会社の季節行事である。香川県さぬき市と京都府綾部市と三箇所に工場を持つ主に車の部品を作っている会社である。昨日私が接触した社員の方の印象は、皆さんまじめで善人ばかりと言う感じ・・・私が社会人のスタートを切ったのも綾部市の工場であったから、工場での研修生活を懐かしく思い出した。工場での生活には都会では見かけない強いコミュニティー意識があり、団結力が存在する。昨日も綾部工場と本社工場から300名位の社員がバスを連ねて集結していた。工場では休みの日でも社内イベントが頻繁に行われる。多少参加意識も評価されるだろうが、この人たちを見ていると上から言われて参加しているのではなく、自分達で楽しんでいるように思えた。私が就職した会社の工場の人たちと、とても似た人種に思える。質が高く優秀なメーカーイメージを世界で勝ち取った日本製品を作り上げるためには、この勤勉で正直なコミュニティーの存在が必然だったのだろう。工場所在地の市長、副市長、政党幹部等のお歴々も顔を出す一企業の季節イベントは、地域との関連も太く強く(事業税の高額納付にもよるだろう)、強い組織力、政治力を感じずにはいられなかった。
今は一匹狼の私には、地方都市のコミュニティーが新鮮に感じられた。人が善人であることは刺激が少ないが、安心であることは間違いない。

昨日のスタッフために用意された弁当は、普通の幕の内弁当であったが、社員の司会者の女性がゲスト用の手打ちのさぬきうどんを差し入れてくれた。うどんはさすがに美味かった。来年も声をかけられたらお伺いしたい思う。うどんに釣られる私である。
June 06, 2010 21:45:40

呟き

カテゴリー: 日記
この四日間、通勤途中に毎朝・・・わが町の市街写真を撮るため、車での通勤で途中下車し、ある山の上から写真を撮っている。今日は四国行きのためいつもより早く朝6時前にその山に着いた。それまでの三日間は晴れていたので、手前の山はクリアに撮影できたが、市街は薄靄がかかり納得いく写真が撮れなかった。だが今日は山の木々の鮮やかな緑色と市街は90点・・・埋立地と空港は80点位・・・大阪湾は朝靄がかかっていたが、紀伊半島に拡がる山脈は90点・・・綜合点で85点位の得点かな・・・。ある意味合格点と納得する。
四日間、私のなかに毎日違うイメージの市街の画像がインプットされていく。60点の日もあれば85点の日もあり、毎日違う町が私のなかの記憶となって蓄積されていく。これからしばらく撮影を継続するつもりであるが、そのなかで私が人に見せるために選択するのは1枚の写真だけ・・・撮影した場所のオゾンいっぱいの空気感や塩分を少し含んだような海からの風も、私の体験として私の記憶のなかに仕舞うだけ・・・他人には私の感じた経験のほんの少しだけしか伝えられない。100点は望まなくとも95点くらいの写真を求めて、私は明日も山に登ろうと思う。自分以外の人には伝えられない多くの経験と記憶を増やしながら・・・

人としての器を大きくするための自分のための継続を、これからもやっていきたい。今日は車で350km走ってきた。慣れない長距運転で疲れた・・・神戸の市街写真以外にも今日はいっぱいの記憶が私のなかに蓄えられた。“今日も一日有難う。“と、誰に伝えたい訳ではなく呟いた。
June 05, 2010 20:26:12

未練

カテゴリー: 日記
私の人生で6月6日は、いろいろある日で・・・明日も、やはりいろんなことが重なった。一つはマダムの主催するイベントで、小型バスをチャーターし、あるご高齢の有名木版画家に会いに行くという催し。もう一つは、ギターの先生の年に1回(or2回の)コンサート。(初参加なので行きたかった。)そしてもう一つが、香川県で行われるイベントの音響の仕事。(仕事と言っても、それほど収入になるわけではないのだが、友人の音響の先生が今春に心筋梗塞になり、一人で遠征するのが心配で付き添うことが目的だ・・・)結局、四国行きを優先することにした。6月6日は23年前に記念日となったが今ではそうではない。オーメンと言う映画をご存知の方は、ダミアンの誕生日・・・この日は、今年も私にとって、いろいろ重なる日だ。

音響の先生とは明日6月6日6時に待ち合わせをしている。6の3並びはあまり深く考えずに明石海峡大橋を渡って、野山と海を眺めてドライブ日和の気持ちの良い一日にしたいと思う。
それにしても、木版画家との出会いと、ギターのコンサートも捨てがたい。今日は未練たらしい私である。
June 04, 2010 20:40:04

一流

カテゴリー: 日記
本日午後2時に我が町のスタバで歴史研究家との今月最初のミーティングを行った。彼は先月末から2週間に渡って長崎に出向いて再調査を行っていた。その間に私は彼から預かった画像資料に手を加え簡易製本できる状態に仕上げた。今日はそれを前に置いての打ち合わせである。研究家はほぼ満足したため、簡単な修正を加え1週間以内に製本に向かうことになる。それを携え彼は今月半ば過ぎから海外に飛ぶ。イギリスでの継続調査と研究対象のイギリス人が生まれた町、生活した町でこれまで調査に協力していただいた方に簡易本を贈呈するためである。その後居留地研究会の主な研究者にお披露目し、7月にさらに練り直した、しっかりと装丁を施した“本”にするため数回の打ち合わせを行うことになった。その間、7月13日にオーストラリア在住の歴史研究家が日本に戻ることもあり3人で郊外に散らばる史跡の探索を行う。今年の夏は面白くなりそうだ。私自身の調査、構想の展開は一時休止状態であるが、わが町の居留地時代を研究する今が旬の研究家からのお誘いを断る手はあるまい。ここまできたら2人の研究家の研究家魂をとことん見させていただこう。

音楽にしろ、歴史研究家にしろ・・・最近その道の今最も充実しているスペシャリストに出会う機会が増えてきた。今まで動いていなかった私の感性がより研ぎ済ませれていく快感を感じる今日この頃である。
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