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SOLILOQUY

ひとりごと

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May 04, 2010 21:09:23

ギター

カテゴリー: 日記
私の周りの多くの人は、自分には人より秀でたものがなくて、取り柄なんてないと思っていて、他人の才能にコンプレックスを持っている人がいっぱいいるけれど・・・私からみれば、そんな人のほとんどは、それぞれに素敵な才能を持っていて、ほんの少し真剣に取り組んだら、すぐに普通のレベル以上になるのに・・・と思う。私自身が全くそう信じていて、自分の興味のあるものは、すべて平均以上のレベルで自分の物にできると思っている。その代わり、その道でのトップになれないことは分かっていて、ある程度上達すれば、次のものに気が移ってしまう。そんなレベルのものが、いくつか複合して自分の個性になると思っているので・・・私の場合、その道のトップになることは目標にはならない。
個性というものは、トップになって得られるものではなく、普通のレベルから優れたレベルになっていく間でどのように自分の立場状況を受け入れていくか・・・そんな時に形になるのではないだろうか・・・

そんなことを言っている私だが・・・

私の青春時代にはみんなギターを弾いていた。私もギターを持っていて、フォークソングのコード弾きやら、楽譜を読めないくせに超長時間かけて映画音楽を奏でたもんだ。しかし、ここしばらくギターは弦も張らずに埃を被っている。正式な演奏法を習ったことのない独学であったことが、今でも頭の片隅でコンプレックスになっている。そう、私にもコンプレックスはあるのだ。
昨日、ネットで調べて、仕事の帰り道にあるギター教室に電話した。一度見学に行くことになったが・・・
数ヵ月後に、青春時代から弾きたかったギターの名曲が弾けるようになっていたら、その時はここでご報告したいと思っている。
May 03, 2010 21:09:14

仮装

カテゴリー: 日記
私の町では、5月1日・2日・3日とチューリップの花びらを道路に敷き詰めるイベントがあった。私は、この祭りとは何の関係もないが(少し協賛しているが)年に一度、数十万人が訪れると言う祭りに、仮装して普通に町を俳諧した。そのスタイルを紹介すると・・・

①カーボーイハットにジェーソンの仮面を付けて白いカッターシャツにサスペンダーの黒パンツ、片手に黒いバイダーと書類をかかえるの図
②黒いスーツに黒いカッターシャツでシルクハットをかぶり、オペラ座の怪人に出てきそうな金色のアイマスクをつけるの図
③その他、鬼の面・おたふくの面・びっくりメガネも用意したが、この祭りには相応しくないと思い、これらは使用しなかった。

祭りには高靴を履いたプロのピエロやコスプレ少女も参加していたが、私の狙いは彼らと違い、目立つことが目的ではなく、普通ではない人格が普通にベンチに座っていて、気が付く人だけが気が付いてくれれば良いというような狙いであったわけで、思い通りの通行人の反応に自己満足した。
こんな話をすると、私がコスプレが趣味ではないかとか、女装趣味があるのではないかと想像豊かにされる方もおられるかもしれないが、全くその気はない。
ただ、ただ、祭りを私なりに楽しんだだけである。

昔読んだ安部公房の小説で“他人の顔”とか“箱男”という作品があったけれど、全ての人に今の自分の人格ではない違う自分になってみたい・・・と言う願望があって、私はそんなささやかな願望を祭りをだしに実行してみただけである。
因みに、この経験で満足した私は、二度と仮装しようとは思わない。
May 02, 2010 22:53:31

異常

カテゴリー: 日記
町を歩いていて、ギャラリーのショーウィンドゥに飾られた一枚の絵(版画)に目が留まった。なかなか洒落た私の好きなタッチの作品だったので、部屋の中を覗き込んだ。すると展覧会の主催者と話していた一人の老齢の女性(声楽の先生)に名前を呼ばれた。さらに歩を進めようとしたが、異常を感じ立ち止まった。ギャラリー内に展示されていた額が全て同じ傾きをもって壁に掛けられているのだ。額と額は平行だが、すべての額と床は平行ではない・・・思わず震災を思い出した。激震の当日、町へ出た私は崩れかけた建物と倒れかけた電信柱を前に、めまいを覚え吐き気をもよおしたあの日の記憶が蘇った。知人の女性を前に「この部屋は異常です。私は入れない。」と言って外へ出た。

私の平行感覚を狂わせたあの日の記憶が15年経過した今も私に絡んで離さない。それにしてもギャラリーの主催者(作家本人ではないと思う)は、預かった(販売目的か?)作品をもっと丁寧に扱うべきだと思う。
声楽家の先生には、私が入らなかった理由をちゃんと説明しとかなくては・・・

May 01, 2010 22:51:36

資質

カテゴリー: 日記
春の居留地研究会に出席した。研究会といっても余程の常識はずれとか、暴力団でなければ無審査で入れるものだから、それほど格式のある会とは言えない。しかし、会員の多くに大学の教授がいて、年齢も70歳位の人たちが中心メンバーだから、端から見ると重たい会に違いない。この間の講演者は、先日横浜の外人墓地探索の際にごいっしょしていただいた60歳の男性であった。大阪のあるホテルの経営を昨年までやっておられて、今は若くして?引退された方で、会員のなかではまだ若く社会的にも現役感の残る方である。8年前に居留地時代にホテルを営業していた英国人女性のことを、ある文献で知り、興味の果てに長崎、横浜の博物館や図書館に保管されている資料やオーストラリアの大学まで出向いて調査、研究した成果の披露である。写真も現存しない女性のために膨大な時間を費やし・・・名探偵シャーロックホームズのように細い糸を辿って、推測と実証を繰り返し謎を解き明かしていく講演は、聴衆を引き込んだ。研究家とはすごいもんだ。120年前に描かれた1枚の漫画の出来事の年月日を特定するため、当時発行されていた英字新聞を数年分読み漁ったようだ。私には考えられない熱意と根気・・・私自身に歴史研究家の資質がないと納得させられる。
その研究家から、研究成果の製本化について、私のデザイン力と校正力に関する協力を要請された。その代わりに私の小説製作に関する実証面での全面的協力を約束してくれると言う。この申し出・・・勿論了解した。歴史家の仕事の進め方を吸収し、協力を得て、私のイメージを具現化できるチャンスだと思えば悪くないコラボだと思える。

バックアップしていただけるメンバーも揃ってきたことだし、そろそろストーリーの具現化を始めなければと思っている。
April 30, 2010 22:05:34

中国

カテゴリー: 日記
私の関わる町の真ん中に、今度新しくコンビニができる。フランチャイズではなく、300坪ほどの土地に建物と駐車場を併設した直営店である。企業の顔となる新業態のコンビニである。全体像は出来てみないと分からないのだが、関東では、最近増えてきたカフェ機能を備えたショップになることは確かなようだ。
私は先日、ある人を通じて、そのプロジェクトの担当者に敷地コーナーに町の公的施設までの距離表示の案内板を設置することを提案したのだが、それが実現化されそうな状況になってきて、私の感性で簡単に取りまとめることになった。
最近、日本の観光客は英語圏の人よりも、中国語圏の人のほうが確実に多い。横浜や函館を見てきて、町の中に中国語の表示がいたるところに見られた。確かにわが町でも、通りを歩いている人の10%くらいは中国人のような気がする。だから、言語表示は、日本語・英語・中国語・韓国語での表示を提案するつもりだ。

最近の中国の国力増大の影響が、わが町にも確実に浸透してきている現実を、深く感じる今日である。
April 29, 2010 20:32:26

贈物

カテゴリー: 日記
私が高校2年生の時、喧嘩で頭に重症を負った友人を見舞うため病院に行ったとき、その当時私が好きだった作家が書いた小説をお見舞いとして持っていった。実は、内容を知らずに作家名で選んだわけで・・・このことが後で私の人間性に対する彼の不信を呼び起こした。当時彼が付き合っていた彼女は体調が悪かった。読んでみて分かったのだが、その小説のなかの主人公の女性は病気で死んでしまうという終末を迎える・・・彼は、内容を知ってその小説を選んだのか、私に問うたことを今でも覚えている。
私が20歳代後半の時、ある女性から“夜と霧”という本をプレゼントされた。彼女はベルリンでバレーの修行をしていたが、足の怪我のためにバレリーナの道を断念して日本にもどってきたところだった。“夜と霧”とは第二次世界大戦中のユダヤ人捕虜収容所でのドイツ軍の虐殺を描いたノンフィクションの歴史的価値の高い本であり、残酷な描写が延々と続く。読み進めるなかで、何故彼女が私にこの本を渡したのか、疑問が膨らんだ・・・だが本人に確かめることもなく、それ以降会うこともなかった。
本のギフトは、よほど慎重でなければならないと肝に銘じた。

この度の旅行中、ホテルのギフトショップで一冊の絵本を手に入れた。絵のタッチの柔らかな、装丁の美しい本である。内容を見ずにプレゼントとして買い求めた本は、プレゼント包装ではないがホテルのシールで封印されている。後で読んでみるつもりだったが、そのシールを剥がすことにためらいが起こり、読まずに贈ることに決めた。果たして、この度の本のギフトは、今までのような問題を伴わずに喜んでもらえるだろうか・・・
April 28, 2010 21:51:37

聖地

カテゴリー: 日記
日本のトラピスチヌ修道院の最北端である函館のトラピスチヌ修道院を訪ねた。函館の中心部を九時半にレンタカーで出て、30分程で到着した。1898年にフランスからやってきたという8名の修道女によって設立された修道院の門をくぐれば、そこには別世界があった。カメラを片手にした大勢の観光客が大声で楽しそうに徘徊している。ただどの人も中国語を話している。まさにそこは日本ではなく中国だ。違和感を感じながら施設を見て周り、有名なクッキーや飴などのお土産を売る売店に入ったが、入り口正面に修道女達の生活を特別に撮影許可されたカメラマンの写真が展示されており、私は買い物のことは忘れ、飾られていた写真を1枚づつ丁寧に見て回った。そしてやっとここが聖地であることを感じることができた。マリアの像があるからではなく、厳しい戒律のなかで生きる彼女達を感じることができたからであった。私は、献金箱にお土産を買うために握っていた札を入れ、写真集を買い求めた。売店から外に出ると中国人の団体は一人もおらず、爽やかな静寂があった。

私は門を出たとき振り返り、手を合わせ「ありがとうございました。」と心のなかでつぶやいた。この度の旅で、もっとも心が安らかなひとときであった。
April 27, 2010 21:41:17

頂上

カテゴリー: 日記
北海道旅行で知り得たことに、サミットの日本開催がこれまで5回あったということ・・・勿論2008年の洞爺湖での開催は記憶している。そう言えば2000年の小渕総理のときに2000円札が発行された沖縄サミットがあった事を思い出した。その前に79年・86年・93年と東京で開催されたようだが、どうも記憶にない。私が政治に関心がなかったからかも知れないが、この手のニュース報道が以前は今より少なかったに違いない。
当時実際に洞爺湖サミットに関わった人から聞いたエピソードを幾つかを書いておこうと思う。
メイン会場へフランス大統領の乗る車の後ろを護衛官を乗せて走ったタクシーの運転手さんの話・・・大統領の乗っていた車の窓ガラスの厚さは5cm以上あった。多分防弾ガラスだったのだろう。
大統領夫人たちのファーストレディーサミットのときにサービスしたレストランのサービススタッフの話・・・メイン会場であるホテルの周りには当時自衛隊の地対空ミサイルが数箇所配備されていた。ニュースではこの手の映像は一切露出してなかったな・・・
サミット記念館の解説員の話・・・大統領と首相の違い・・・大統領は国の元首、首相とは天皇・女王・総督という元首?の代理折りで政治上のトップということになるそうだ。
サミットとは“頂上”という意味から“頂上会議”・・・日本・アメリカ・イギリス・イタリア・カナダ・ドイツ・フランス・ロシアの8か国(Group of 8, G8)により毎年行われる民主主義国家による「先進国首脳会議」を指す・・・だから、社会主義の中国はサミットには参加できないらしい。ロシアは今は民主主義らしい???

“サミット“を少し身近に感じた・・・ちょっと国際的になった私である。
当時大統領の座った椅子にも座らせてもらったし・・・なんやかんや言って充分観光客してきたようだ。
April 26, 2010 21:04:15

再会

カテゴリー: 日記
19年振りに函館空港に降り立った。前回この地を訪れたのは私が経営していたフレンチレストランの料理長の結婚式に主賓として出席するためであった。昼の披露宴に間に合うように朝早くこちらを発って、披露宴の終了後、函館山に夜景を観に行っただけで翌朝には空港・・・とんぼ返りの旅であった。
その2年後、料理長は退社し、しばらくして“タトゥー”というレストランのシェフとして東京へ移っていった。この度の旅の目的の一つに、16年振りに彼に再会することがある。私と6才しか違わない、まだ未熟な二人の間で、彼が東京へ発つ前にもう少し話をしていなければならないことがあったのでは・・・と、長い間心残りだった。
驚かせよう思い・・・妙な気遣いをさせないように、彼の経営するレストランに偽名で予約を入れた時間より少し早めに扉を開けた。「エーッ」という言葉が、厨房から聞こえ続いて「まさかーエーッ」・・・
久方ぶりの出会いは、彼に思い通りの驚きを与えたようだ。
あとは、友人との再開のように当時の記憶が蘇って話しをした。しかし立て込んでくると話もままならず、ホテルへもどったが、彼から電話が入り翌日の朝市で彼の息子もいっしょに朝ごはんを食べることになり、食事をしながら私の16年間の乱高下の生き様を話した。この年月の間に彼にも私の知らぬ山や谷があったのだろう・・・友人のように話をした。話し足らなかったことがいつの間にか埋まったような気がした。

私と彼は、やっと友人になれたのかも知れない。私の旅の目的が一つ達成された。
April 25, 2010 23:45:59

経営

カテゴリー: 日記
私の尊敬する師の一人に、15年前60歳を過ぎた高齢であるにも関わらず、将来のネット社会到来を予見し、ホームページの作成も自分でやってしまうような老舗の会社の社長がおられて・・・その方が“経営”とはなにかを私に語ったことがあった。「経営に、割算・掛算、関数は必要ない。必要なのは足算・引算だけでいい・・・入ってくるものが出で行くものより多ければ良い。」というものであった。まさに当たり前の話であるが、当時私は感動したことを今でも覚えている。同じ売上げでも経営を継続できる人と泥沼に入っていく人がいる。日航の新社長も先ず手掛けていることは、この簡単な論理に添うのであろう。日航の旧体制には足算・引算が出来なかったわけで、長い間その慣習を引き継いだ内部には企業再建は不可能であり、だからその任は部外者に託される。外部に再建を託せない個人企業は倒産する運命しかない。年商1億円の企業も年商数千億円の企業も同じ論理の“経営”がある。

さて、私は師の教えを守ったから今があるのだろうか・・・それとも、守れなかったから今があるのだろうか・・・今は答えを出さずにおこう。数年後に検証するつもりでいる。

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