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SOLILOQUY

ひとりごと

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July 13, 2010 17:32:30

施設

カテゴリー: 日記
外国人墓地に向かって歩いて行くと、100m程先の入口付近で3人の管理職員が忙しなく働いており、そのなかの中年の1人の男性の仕事覚えが悪いためか・・・先輩らしき人が、静寂を破るやけに辛らつな罵声を浴びせていた。近寄りがたい雰囲気の中、歩を進めた。私は彼らにぶっきらぼうに「この近辺に戦争中に敵国外国人の抑留施設だった場所があったことをご存じないですか?」と尋ねた。すると大声を出していた男が「少し戻った公衆トイレの横の管理事務所で聞いて!」と素っ気無く言い放たれたので、引き返して関係者以外立ち入り禁止(ビデオ撮影中)と書かれた入口の門扉を抜けて事務所の建物の中に入った。扉の開いていた事務所の外から大きな声で、同じ質問を繰り返した。職員同士で顔を見合わせていたが、やはり誰も知らないようなので、諦めて引き返そうとしたところ、1人の年配の男性が「近くの寺に行けば分かる人がいるかも知れないなぁ…。」と言うので、礼を言って事務所を出た。その一言を頼りに車で寺に向かった。山門の手前で車を降り、頂上の見えない急勾配の石段を登り始めた。鳥のさえずりが徐々に小さくなり、かわりに自分の呼吸の音が大きくなってきた。足に酸素が不足してくる気だるさを感じたが、本堂まで一気に上りきり息を整えてから参拝をすませた。寺の関係者の気配を探ろうと耳をすませていると、少し離れたところから落ち葉を掃き集める音が聞こえたのでその方角を目指した。寺の血縁者か檀家の娘か分からなかったが幼さの残る女性に“抑留施設”のことを聞いてみた。すると彼女は社務所に入って行き住職を引き連れて戻ってきた。残念ながら住職も覚えが無かったものの、やりとりの一部始終を見ていた落ち葉の袋を運んでいた彼女がお父さんと呼ぶ人が、「そこやったら実業学園の先の1人しか通れないトンネルを抜けた先にあると思うよ!」と横から声をかけてくれた。
住職、彼女、彼女のお父さん・・・それぞれに礼を言って石段を下った。少し先が開けた気がして足取りは軽やかに変わった。 

この日仕事の打ち合わせの時間が迫ってきたので、町に入る道と反対の方向に一旦迂回して町へ向かうもう一つの道に入った。
その日の夕方“実業学園”に電話で問い合わせた。しかし「そんな施設は誰も知りません。」と一言…さて、明日はどうするか、直接訪ねてみるか、諦めるか・・・ 
さて、明日はどうするか・・・   <つづく>
July 12, 2010 23:14:12

崩落

カテゴリー: 日記
2週間振りで山道を通った…と言っても、通勤のために利用したのではない。6月26日の豪雨での崩落復旧にはどうやら3ヶ月が必要らしい。今日は明日予定される歴史研究家との史跡調査の下見のために久しぶりでこの道に入った。進入口に誘導員の姿は無く、道の半分を塞いで掲げられた通行止めの看板の横を抜けて車を進めた。当然のことながら、対向車は見当たらない。町からの車はこの道に入れないのだから…。途中、湖の近くにある外人墓地を訪ねた。年間無休で開いている筈の売店も、その横の食堂にも人の気配がない。私は、これまで何度もここを訪れたが、人も車も全く気配のない湖は初めてだった。耳に入る音は鳥のさえずりだけ…。風の音も存在しない。崩落事故が、私に贈った癒しのひと時…。

崩落事故で誰も傷つかなかったことを祈った。   <つづく>
July 11, 2010 14:39:16

篤姫

カテゴリー: 日記
龍馬も篤姫も自分が幸せかどうかなんて考えなかっただろうな・・・反対に不幸だとも思わなかっただろう。そんなことを考える間もなく、次から次へと目の前に難題が表れ、それらの対処だけで精一杯生きて光を放っていたに違いない。彼らは現代の人々に尊敬され、勇気を与え、これからも生きた証が語り継がれる。今幸せかそうでないかと考える自分に気がついた時、きっとそんな事が頭の隅をかすめる時には、ほっと一息ついていて他人と比較し、客観的に自分を見ている自分がいるに違いない。それに反して、かっこいい人生とか、人に感動を与える人生なんて、休む間もなく愚痴を言う間もなく比較する暇もなく自分に向かって来る問題に対峙し続けなければならない。それも大変だな。だから自分が幸せだとか不幸だと思えることが幸せだと思えれば少し楽に生きることができるかもしれないが・・・そんなにうまく自分を納得させられない。

自分は龍馬になれないし、なりたいとも思わない。だからたまに空を見上げて自分が幸せだと深呼吸し、どうしてうまくいかないんだろう・・・と地面を見詰めて不運を嘆きながら、私は極々普通の私の人生を生きていくと思う。そして、私はそれで充分満足しようと思う。
July 10, 2010 18:08:21

成果

カテゴリー: 日記
今朝起きると、イギリスに調査に行っていた歴史研究家からメールが届いていた。多くの新しい事実を携えて無事に帰ったとのこと・・・その一つに彼が追いかけている(イギリス人女性)グリーン夫人の今まで確定できなかった成年月日と洗礼日が分かったとのこと。
 誕生日 1885(天保6) 年8月11日 火曜日
 洗礼日  〃 ( 〃 ) 年8月17日 月曜日
旧暦ベースで、土方歳三、坂本龍馬、天璋院篤姫と同い年であるらしい。
その他、幾つかの成果が書き込まれていた。
さらに、日本に帰った直後、グリーン夫人のボスであった英国男性の直系(現在アメリカ在住)の女性からメールが届いており、やはり自分も同じ時代に日本で生活した先祖のことを研究しており情報交換がしたいと接触して来たらしい。これからの益々の研究発展が推測される。今、歴史研究家は信じて誠心誠意心を込めて動けば、世界が自分を中心に回ってくるという感覚を実感しているに違いない。

今日は、居留地研究会があった。そこで久しぶりに歴史研究家に出会った・・・彼は晴れやかな笑顔で私の前に立った。「これからも、またよろしく!」と彼が言い、私は「私も、また楽しませてもらいます。」と答えた。人生における良い流れの持ち主には、損得抜きで、おおいに協力させていただこうと思う。

最近停滞気味の私の創作活動だが、久々の彼との出会いで、心機一転頑張ろうと心に誓う。
July 09, 2010 22:35:45

無理

カテゴリー: 日記
今日は、知り合いのフランス料理店のビアパーティーだ。と言ってもマダムの薔薇のジェラートを作ったシェフのお店ではない。今日のシェフは40歳になった時、わが町で経営していた店を部下に任せ・・・自分の夢を叶えるために、フランスに渡りパリ郊外で10年間オーベルジュを経営したことがあった。日本人がフランス人にフランス料理を食べさせるということは、フランス人が日本で寿司を握るようなものだ。今でこそ、それもありの時代になったけれど25年前となると、フランス人からの偏見の目も強かったようで、後日、本人から苦労を重ねたと聞く。パリの名門料理学校“コルドンブルー”の教壇に日本人で初めてフランス料理講師として立った経歴を持つ。地震で日本の店がダメージを受けたことから15年前にフランスも日本もどちらの店も閉め、その後一時自宅で予約オンリーのフレンチ営業をした後、プライドを捨て働きに出た。4年前に私の誘いに応じて再婚した20歳違いの奥さんと小さな店を始め今に至る。言葉、慣習の違う異国に自分の腕試しの真剣勝負の旅に出た侍のような存在として、私が尊敬する人の一人である。彼の口癖は“面白いことしようよ!”である。

本日、40数名のお客様に対してサービスは奥さん一人だけ…それは無理な話や。ほっとけない。お客であるべき私は、お金を払って一滴も酒を飲まずに手伝いに回った。私の尊敬する彼ら夫婦は、お客を見方にする優れた才能を持つ。今日の私は彼らの“面白いこと”にはめられてしまった。彼らは、文化の障壁のなかで戦い続け教訓となった“無理だと思ってもなんとかなる。”と言う大陸的おおらかさを携え日本で戦い続けているように思った。
“無理だと思ってもなんとかなるもんだ。”今日もそうして彼らの一日が終わる。
July 08, 2010 21:16:17

PP

カテゴリー: 日記
一般的には大きな音はよく聞こえ、小さな音は聞こえにくいということになるのだろうが、音楽の世界では一概にそうとは言えず小さな音でも聞き手に鮮明に伝わる音が存在する。楽譜における音の強弱記号にpp(ピアニッシモ)というものがあり、音のレベルで言うと“極めて弱く”と言うことで、私が理解するところ・・・この音を伝えるためには前後の音楽的構成のなかで、聞き手に聞こうとする気持ちを喚起させることが重要に思う。ppp(ピアニッシシモ)“できるだけ弱く”になると技術だけではなく音に対する感性が奏者にも聞き手にも必要に思う。
私が20歳代後半の頃、巨人軍のピッチャーだった人が引退後に経営していたスナックに行ったとき、カウンターに一人で座っていた男性がカラオケで歌った“酒と涙と男と女”の歌声が忘れられない。かろうじて聞き取れる位のささやきにも似た歌は、ひょっとすると私以外の誰も聞いていなかったかも知れないが、強く私の記憶に焼きついた。人生経験を積んだ四十歳後半の大人の男だからこそ味のある何気ない歌声を真似て、当時何度かその歌にチャレンジしたが一度として満足できるものはなかった。
音というものは、言葉も同じく・・・発し手と聞き手の思いの強さや感性によって音量の強弱ではなく伝わるものがあるように思う。きっと小さな声のたどたどしい話のなかにも美しいメロディーが隠れているに違いない。小さな声・・・声にならない言葉を聞き取れる感性をもった自分になりたいと思う。

さて、あれから年齢と経験を重ねた私は、あの時のカウンターの男性のように、誰かに聞き耳を立ててもらえるような囁き声の“酒と涙と男と女”が歌えるようになったであろうか・・・。
July 07, 2010 14:44:30

美味

カテゴリー: 日記
マダムが今夏、“薔薇のジェラート”を作った。いや実際に作ったのは、マダムの店があるビルのフランス料理店のオーナーシェフである。私はそのシェフのことを食いしん坊だと思う。とにかく美味いものが好きだ。自分が美味いものに目がないから、とことん素材から調理法まで拘る。薔薇の花びらは食いしん坊のシェフの目に(いや鼻に)適った。“薔薇のジェラート”の一番大切な要素は、食用として無農薬で育てられた薔薇の花びら・・・花びらを入れたパッケージを開けると部屋中、薔薇の香りが漂う。シェフは自然な香りを大切にして、人工甘味料や着色剤を一切使わずに作り上げる。完成品のジェラートは本当に上品な薄いピンク色で薔薇の香りが豊かに香る。さてここまでの話を聞いて皆様、さぞかし食欲をそそられたのではなかろうか・・・。非常に人気のこのジェラートをマダムは量産しようとは考えなかった。シェフも望まなかった。二人は手作りの良さを知っているようで、量産すれば質が落ちると考えており、あくまで手作りにこだわる。要するに事業家ではなく職人である。
ここのところマダムの話をすることがよくあるが、マダムの近くには面白い人が寄ってくる。商才にたけた人よりも、学者・職人・自由人である。私もマダムの店が居心地良い。だから商売・事業に向いてない・・・?   なるほど。
ジェラートのプロモーションビデオや、お店のホームページもマダムのお客さんが無料で作成した。ジェラートのポスターは私が無料で作成した。きっとシェフもそんな気持ちで作ったに違いない。なにかして上げたくなるようなかわいいおばあちゃんである。

かわいいおばあちゃん(おばあちゃんは怒るかな・・・まだまだ美しいしな・・・)の“薔薇のジェラート”一度食べにいらっしゃいませんか・・・。
July 06, 2010 17:49:45

食後

カテゴリー: 日記
ラジオを聴いていると、ある朝の番組で眼の前の事を何でも早く片付けていく生き方と、急がず回りの様子を見ながら進める生き方とどちらが良いかということについて、学者同士が両極端な意見を述べ合い、自らの考えが正しいと主張し、反対のやり方の非を突くという番組があったが、どちらもなるほどという考えを主張展開し、聞いていて楽しい時間を過ごした。私も今から25年ほど前、「もう少し目の前の事を、早く片付ける習慣をつければ、あなたの人生変わりますよ!」と私より若い人から言われ、周囲の人が私のことをのんびり屋だと思っていると気付き、はっとした記憶があり、その後幾分はやく動くことを習慣にしてきたし、早くこなした方が自分にとっての利が大きいと思って生きてきたが、ここ数年の自分の生き方を振り返ってみれば、即決すべき時と、結論を出すまでに敢えて時間をかける時を使い分けているように思う。即決を避けて時間をかけることで状況が変化し、自然に答えが浮き上がってくる感覚を身につけて最終的に多くの利を得たり、損傷を最小限にとどめることができるようになった。結局学者とか評論家というものは極端な主張を展開して評判を得ることが多いのだろうから、賢明な一般市民としては、自分の人生経験に応じて、“いいとこ取り”をすればいいんだと思う。どちらかが間違っていると考えるのではなく、どちらも正しいと考えて、使い分けるような、最終自分流の生き方ができるようになるのがベストな成長…生き方だと思う。

しかし、早くできる事は早くやっとかないと後がしんどいな・・・このブログも1日の終わりに書き始めると忙しない。今日ははやく書き込めたし、食後はゆっくりできる。穏やかないい1日になりそうだ・・・。
July 05, 2010 16:03:39

胆識

カテゴリー: 日記
今朝、初めて“胆識”という言葉を聞いた。なんのことか分からなかったので辞書を引いた。

<胆識>・・・胆力と見識。実行力を伴う見識。

“胆力”も引いてみた。
<胆力>・・・ことにあたって恐れたり尻込みしない精神力。ものに動じない気力、きもったま。

“見識”も引いてみた。
<見識>・・・物事を深く見通し本質を捉える優れた判断力。ある物事について確かな考えや意見。

ついでに“知識”も引いてみた。
<知識>・・・知ること。認識、理解すること。ある事項について知っている内容。

無理やり順位をつけてみると“知識”“見識”“胆識”の順番かな・・・
“知識”は優れた一般人
“見識”は知識を自分なりに消化して人に教えたり批評する学者・評論家
“胆識”は優れた見識を持って人々をリードする政治家・将軍・経営者・・・と考えると、なんとなく違いが分かる。

今まで知識と腑に落ちるという感覚の違いはなんとなく分かっていたけれど、この三つの順番を理解すると、より明快に自分や人の位置づけができるように思う。

因みに英語では、どのような言葉になるか調べてみた。
<知識>・・・<knowledge>
<見識>・・・<judgement>
<胆識>は私の辞書には載っていない。

今日は、いい勉強をした。
しかし、私には、<腑に落ちて実行する>という感覚が一番『在りたい自分』のように思う。

さてあなたは普段どのレベルで生活していますか・・・
July 04, 2010 16:36:35

遠景

カテゴリー: 日記
今日も、山道は通行止め・・・もう1週間になる。いったいいつ復旧するんだろう。山から市街写真を撮る目論見も同時に休止状態である。ただ、最初の撮影からの一ヶ月の経験のお蔭で実際に山に登らなくても、紀伊半島がはっきり見えるかどうか、朝の散歩の途中に分かるようになってきた。我が家の近くの山がはっきり見えていても、少し離れた山が霞んでいれば、撮影日和としては不適であり、少なくとも遠くの山がよほど近くに見えるくらい空気が澄んでいないと満足な遠景は望めないということだ。
本州から遠く離れた沖縄の南の端に与那国島という小さな島がある。ここから110kmほど西方に台湾があり、この島から一年に2日ほど肉眼で台湾を眺望できる日があるらしい。365分の2という確率は、判断基準によって異なるであろうが、私の感覚では非常に“稀”と感じる。きっと私が待ち望む撮影日和も同じくらい稀な日を待たなければならないことだろう。
私は、明日も明後日も朝見る山の見え方に気を付けるだろう。もし1日怠れば半年待つことになるかも知れない。緊張感を維持していないと望む日に巡り合えないかもしれない。そう思いつつ、きっとやってくる私の願いが叶う日を待ちわびる。

私の願いもあなたの願いも、みんなの願いも叶う確率はきっとその程度のものだろう。でもその日はきっとやってくる。そう信じる者にだけ、その日はやってくる。
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