私は自分の思いも良くまとまらないし、なおさら他人の考えも分からない。分からない者同士が話し合って結論を出そうともがいても、なかなか良い答にたどり着かない。 そんなときは、たいがい相手に本音を言え…とせまるけど、言っている本人が本音を言わない。 自分から先に話し出すと、責任をとるはめになるから、最初に相手にしゃべらそうとする…。 本音で語るって難しいことだね…。 結論なんて一つだけじゃーないし、ともかくどんな答えにたどり着いても、問題はその次に答えに向かって動き始めた時に、みんで責任を分担できるかどうかの方が重要だと思う。 例えうまくいかなくても、お互いが “お前が悪い!”なんて言わないで済む覚悟でいたいね…。 そんな思いの人が集まって、事を起こせば大抵の事はうまくいくんじゃーないかな…? 大人はね…自己責任で動かないとね…、他人の責任にしていたら、なにも手に入らないと思うけどね…。 決めたことは、途中で振り返らないことだね…。 あなたは、どう、思う? |
図面や地図を見て、完成した家や部品を想像したり、地面の起伏を感じたり川の流れる音が聞こえる人がいると思う。しかし、ほとんどの人は“平面上に描かれた線”にしか見えないのだろう。 私は、設計家ではないので、図面を書くことはないが、子供の頃から頭のなかでいろいろなことを空想するのが好きだったから、一般人にしては、完成予想の能力は高いほうだと思う。 私は、未来に起こり得る危機に対する不安を他人より早く察知する能力があると思う。直感的に危機に対して備える時期が普通の人より早いかもしれない。 私と同じように先を見ることのできる人は私の周囲では少なく、その点私が彼らに危機を説明しても誰も理解できない。その人たちの特徴は、物事を個別に見て判断する傾向がある。 未来を見るということは遠くの山をボーッと眺めるようなものだ。神経質過ぎても視力が良すぎてもダメだ。それほど良くない頭の程度がちょううどいいのかも知れない。 “静座観雲起” (ここに書くのは今日で二回目になる) 私の好きな言葉だ。 この言葉の意味を理解する人が、私の周囲にいてくれたら、どんなに幸せだろう。 しかし、未来を知らずに生きるほうが幸せ…という考えも一理あるかもな…。 |
私の“世界の七不思議”のなかに、女性の“ネイルアート”と言うものがある。 粗を隠しで顔を白く塗りたくって唇を血の色に染めたり、不健康そうなブルー系の色にしたりする行為は、メスの群れのなかで強いオスを引き寄せるために効果的な手段であり、このことは、より優れた種を次に残すための地球上の生物のなかで自然発生した営みの一つだと理解している。 ところが“ネイルアート”が化粧の延長にあるかと言うと私はそうは思えない。そもそも男が女性のネイルを見て魅かれるわけがないと思うし…、“ネイルアート”は女性特有の自己満足の境地のなかだけにあるもののように思う。 女性の心理がまだよく分からない私には、どうしてそこに時間とお金をかけるのかよく分からない。 私が未熟で変人かもしれない…とも思う。 ネイルアートに時間をかけている女性を見ると、仕事も家事も中途半端な人のように思い、避けて通りたくなる。 いずれにせよ、高度な(?)人間である私は、化粧を透かして見たその人の素顔をみて、お付き合いしたいものだ。 なんてことを言ってたら…“お前、口髭剃れよ!”なんて言われるかな…? |
昨日ある話し合いがおこなわれた。 “本音を話せ”と言われた。 私は躊躇した。 上っ面の話をしたつもりはないと思った。 “あなたは甘い”と言われた。 私は躊躇した。 そう言った本人は、現状の正確な認識なく 第三者の立場で気楽に言っていると思った。 言われると、言い返す私がいた。 しばらくして、落ち着いた時 私に向かって言い放った人たちに “興奮して、言い返した自分自身を恥ずかしく思ったので 反省している。言われたことのなかで心当たりのあることは 反省し改善する…。”と伝えた。 私がそう言わずに、彼らと話さないでいると亀裂がどんどん大きく、深くなると思うから… そうなりたくない大切な人だから…、私はすぐに手を打った。 いちいち言われたことに悩み、一人で思い巡らす時間を持つことは無駄に思うから…。 謙虚かつ冷静に他人の話を受け止めようと思う。 自分の時間を大切にしたい。 |
私はビジネスの第一線から離れたので他人と名刺交換することがあまり無くなったが、それでもプリンターで出力した会社名と名前だけが入った名刺と、創作活動に使う…やはりシンプルな名刺を携えている。 その二種類の名刺の共通点は、苗字の二番目の文字の中心が名刺の四隅の対角線の交点になるように配置しているという事だ。これは、昔ある人か“成功者の名刺の多くがこの法則に従ってデザインされている。”と、聞いたからで…、私はかたくなにこの法則に従った名刺を使い続けている。 その効果がどれほどのものかは、私の経験上…他人にお勧めできるほど実感できていない。 すなわち、成功する運命を持ち、成功に向かって努力できる人が、この法則に従った名刺を持つと効果があると考えたほうがいいのだろう。 因みに、私は頂いた名刺を手に取ってみて、過剰デザインのもの・名前がやけに大きなもの・肩書がいくつも並んでいるもの等を渡されると、その人を信用しようとは思わない。反面名前の大きさが適当な大きさをもち、シンプルで名前が美しく見えるものを渡されると信用する…という判断 基準をもっている。 さて、あなたは、どんな名刺をお使いだろうか…? |
友人のパン屋が17~18年ほど前にできた商業施設に完成当初から入居していたが最近撤退した。その町は埋立地で、市の威信をかけて造成した人工島である。外資系企業や外国語学校や、町を代表する画家の作品を展示する美術館を有し、人工運河に水の流れる美しい公園を配置した年収1000万円程度の所得層の人達が入居するマンションが数棟建ち並ぶ大阪のベッドタウン的未来都市として、完成当時、公園には子供達の声がこだまし、飲食店街には沢山の外国人ビジネスマンが闊歩していたが、子供達は成人して町から離れ、介護産業が栄えるほど老人はおらず…、それに外資系企業が日本を撤退していくものだから、この町はすでに風化が始まっている。 気の利いた小物やインテリアショップやブティックがなくなり映画館がなくなり、レストラン街も寂れ、従って町のあちこちの施設で閉鎖フロアーが目立つ。 “ブティックや小物店が撤退した跡に、家具屋が入居しているからまだましだね…。”と友人に言うと、“彼らは固定家賃ではなく売上歩合で契約しているはずで、大きなフロアーを手っ取り早く埋めることができるのは家具屋しかないのさ…。商業施設に家具屋が入ったら、その施設は末期症状だよ!”と、なるほどと思える答えを返してきた。 私の友人がこの町に見切りをつけた気持ちもよく分かる。 企業が10年継続することが難しいというが、新しい町は15 年足らずで確実に衰退期に向かうように思う。 それでも、町が一度は栄えた時期もあったことだし、友人も潤ったこともあったのだろう。一度も栄えず閉鎖されていく施設があることを考えれば、撤退して存続の道を探れることは幸せというものだろうか…? 縮小出直しをはかる友人の巻き返しを祈りたい。 |
そろそろ車を買い換えようと思い、最近やけに見かけるプリウスだけは止めておこうと思いつつ、トヨタの販売を30年経験して最近独立した友人の車屋に相談したら、やはりトヨタを薦められた。 ネットで調べてみると“アベンシス”と言う車種が気になったので尋ねてみると、その車は逆輸入車で、ほとんど国内では売れず減税対象車ではないので割高だと説明を受けた。それを聞いてみんなと一緒が嫌いな私は、余計に興味を持ったのだが…、車長を見てみると私の家の駐車場でオートシャッターを閉めるとギリギリ過ぎて諦めた。そして次に彼が勧めてくれた車は、会社の立駐の高さ制限で引っかかり…諦めた。 駐車場の改修は予算がかかりすぎて考えられないし…“帯に短し襷に長し…”である。 と…いう事で、トヨタでは選択肢が最初に乗りたくないと思ったプリウスしかなくなった。 この度、私の小学校の友人のおススメで決めることを大前提にしていたから、まぁーいいかな…と言う感じだ。 ハイブリット車は信号の多い平地で走行距離が伸びるらしく、山間部や高速道路ではあまり効率的ではないと言う。私は毎日山間部を走っているから、プリウスにして正解かどうかは疑問も残るが、どうも最終的にはプリウスに落ち着きそうだ。 それにしてもスピードやデザインより燃費が重要な時代になったのだと、新しく車を購入するとなると良く分かる。 次はどんな車の時代になるのかな…会話できる車なんて、もうできてもおかしくない時代だし…。 会話相手のバリエーションが沢山あって、気の利いた答えをする車が決め手になる時代もやってくるのかな…? 酒を飲んでいるとエンジンがかからないとか…もできそうだな…。 居眠りすると自動で路肩に駐車する…なんて車もできそうだな…。 もうすぐ車が家電専門店で販売される時代が来るらしいから…車の機能を持ったスマートフォンもありそうだな…。 何でもありやな…。 |
今日の午後、当てもなくドライブに出た。ひたすら海を目指して走った。埋立地らしい平地を抜けると延々と続く堤防に先を阻まれた。そのため向こうに広がる大阪湾は望めなかった。 堤防の切れ目にある駐車場の入口の満車看板の前に順番待ちの車が何台も並んでいた。車を置いて数m歩けば海を見ることができたのかも知れないが、待つことが苦手な私は彼らを横目で見ながら、埋立地の一戸建ての住居群の間を抜ける陸地へと進路を変えた。 堤防の高さを越える津波がきたらこの町はどうなってしまうのだろう…と考えた。 運河を渡る橋の下を、何艘かのプレジャーボートが疾走していた。バブルの時に私はクルーザーに乗っていた。もちろん当時は、船舶免許を持っていた。しかし更新しなかったから失効してしまっている。ふと当時のバブリーな生活を思い出した。 もう船を操縦することもないだろうから…改めて免許をとることもなかろう…と、思った。 しばらく走ると、車中のラジオの音と車外の音が同調していることに気が付いた。目の前に甲子園球場が見えてきた。考えればこの球場には小学生以来、半世紀足を踏み入れずに過ごしてきた。 私は、阪神ファンである。しかし熱狂的ではない。私は太鼓やラッパを鳴らしての応援とか、みんなで風船を飛ばすことがあまり好きではない。静寂のなかで白球がバットに当たる乾いた音や選手の息遣いを聞きたいと思うからだ。 しかし、これは阪神ファンには叶わぬ願いかもしれない。 球場の横を、ラジオを消して通り過ぎた。 喉を潤すためにマダムの店へ向かった。 マダムの店では薔薇ジュースを飲んだ。薔薇ジュースは食用の薔薇の花びらから抽出したエキスを水で割ってジュースにしたもので、おまけに今日は特別に花びらを一枚グラスに入れてもらった。 ジュースを飲みほした後で、花びらを口のなかに入れた。 なんてことのない、平凡な一日がもうすぐ終わろうとしている。 今日は、早めに眠りにつこう…。 |
私が社会人になった年に小・中学生の友人が車のセールスマンになって訪ねて来たことがあり、その時久しぶりに出会えて嬉しいと思う気持ちと、その反面営業も兼ねていることが見えたので打ち解けて話が出来なかったことを覚えている。 当時、私は車に乗っておらず、乗る予定もなく、彼の期待に応えられそうにない私は、特に彼を避けたと言うことはないが、先日開かれた小学校のクラス会までの35年間連絡不通の日々を過ごした。 その間、中学生の時に洪水で両親を同時に亡くし、妹とともに祖父母に引き取られ、苦学の末、セールスの道を進んだ彼の思いに添えなかったことが心のどこかに、ひっかかっていたのだが、クラス会での再会を機に話ができ、独立して車の販売を手掛けている彼に来週の月曜日に出会い提案を受けることになった。 私の心のなかの、もやもやとしたものが、また一つ消えて行きそうだ。 人生には、取り返しのつかないことも多々あるが、できることは、少し止って振り返ったりしながら、取り返せる思い残しを修正しつつ、これからの残りの人生を生きていきたい。 それにしても、最近急に学生の頃の同級生に会う機会が多くなった。 この年になると、みんな子供の頃を懐かしく思うのだろうか…? |