“釦のかけ違い”とはよく言ったもので、世の中にはよくあることだと思うが、結局同じシャツやブラウスを着るうえでのちょっとした間違いであって…、一度全部外して最初からやり直せば、問題が問題ではなかったことに気付くものだが…。 かけ違いというものは、第三者の目で見ると明らかにおかしなことなのに自分では気が付かないことが多く、他人の目が先に気付いていたと分かると恥ずかしくて自分の非を棚に上げて誰かのせいにしたくなる。 たかが釦とホールの間の簡単な問題が他人の目を気にすると引くに引けない大問題に発展する…なんてことになるんだろう。 権益を表立てて戦争が起こることは理解できるが、私の常識では考えられない宗教戦争なんてものは、私の神が正しく、お前の神は偽物だと言ってるわけで…私の神が強くて、お前の神は弱いと両者が言い合っているわけで…。 第三者の私にすれば、どっちもどっちだと思うし、もともと神は同じじゃーないの…と、言いたいけれど、敵を作りたくないノンポリの私としては、公の場で“宗教の話・応援する野球チームの話・支持政党の話・天気の話?”をするなと言うから、この話はここだけにしておこう。 今日私は、町のボスと行政担当者の間に入って、ボタンの掛け違いを修正しようと奔走した。 先ずは両者の言っていることが互いに間違いではなく、どちらも正しいのだと考える事が原則である。そこからスタートし直して一つの着物をうまく着るためにはじめよう…と伝えることができたなら、うまくいくと思うのだけれど…、それこそ、そうはうまく事が運ばないのが世の常か…。 間に入っている私だが、例え事前工作がうまくいかなくても、自分ががっくりこないように、心の覚悟だけはしておこうと思う。 私は弁護士ではないし…。私の権益には関係ないし…。 |
今日、小学生の時の親しかった同級生から電話があり、明日同じ同級生のライブがあるから、いっしょに行かないかと誘われた。その同級生が思い出せない。従ってどんな音楽ジャンルか全くわからない。 ライブより友人に会いたくて…“行く”と答えた。 今日、6年前に私が事業継続を断念した会社に最後まで残ってくれた女性社員から、この秋に結婚すると電話が入った。彼女は、いつも私の経営していた会社が今まで働いた会社のなかで一番好きだと言ってくれる。有難いと思う気持ちと継続できなかった後悔が蘇る。 彼女と明日の昼に会うことになった。結婚式にはできるだけのことをしてあげたい。 先ほど、昨夜行われた会議で私にお叱りの言葉を放った町のボスから、facebookで友人リクエストが届き承認した。 明日、自分の考えを整理してメールで伝えておこうと思う。 みんな、私のことを覚えていてくれる。 有難いことだ。 これからも、彼らを裏切らずに生きていきたい。 |
昨日音響の知人が突然訪ねてきて、私にコピーを頼んだCDがパソコンでしか見ることできず、自分もコピーを納品した先もまだ一度も見たことがないから、DVDプレヤーで見ることができるようにしてくれと少し怒って詰め寄ってきた。その映像はあるシャンソン歌手のコンサート動画であり、すでに2年前ほど前の話である。 私に渡した見積もりにはDVD作成費となっていて、その分の費用は払っているから何とかしろ…とクレームととらえて、えらく不服そうに言うのだが、当時の記憶を探ってみると私がCDを渡す時にパソコンでしか見ることができないことを話したように思い、そのことを伝えると、えらく不機嫌そうに“じゃー自分でやる!”と吐き捨てて帰って行った。 寝耳に水の話である。私の記憶のなかではコピーは私の息子に任せたように思う。費用も私が受け取ったわけではない。時間が経過しすぎて不確かなことが多い。 私より15才年上の音響の知人とは長い付き合いで、先ほどのやりとりでの不穏な胸騒ぎを押さえたくて電話したが…出ない。 とうとう彼の事務所まで押しかけて話をした。 “謝りにきた。先ほどの私の受け答えは良くなかったと思う。ただ私は嘘を言っているわけではなく、あなたが嘘を言っているとは思わない。時間が経って不確かなことがあり、その当時の真偽を今からどうこう言っても仕方ないことだと思う。それより今私が何をすべきかを考えて、息子に連絡して焼き直しができるか確かめたら画質は悪くなるけどできると言ってるので、渡したコピーをもらって帰る。あなたとの関係を今まで通り続けたいと思うから、今、謝る。” 私がこれだけ言っても、まだ違う話を持ち出して私の非を突こうとしたが、すべてうまく答えたもので話すことが無くなって大人しくなった。この場に違う話を持ちだすなよな…私が丸く収めようとしているのに…。 私は、他人に謝らないと言う欧米人ではない。時と場合によって、どうして自分が謝らないといけないかと思いながら頭を下げることのある日本人だ。 まったく、みんな子供なんだから…。 |
私の町に数年前から“町の活性化検討会”という集まりがあり、私も参加してきたが、これまでの会合での意見の擦り合わせの結果、本年7月から“○○町のいいはなし発掘隊”を歴史学者・住人・商業者・行政を巻き込んで組織化しようとするムーブメントが動きはじめる。そして町に関わる歴史・文化・暮らしに関する情報をとりまとめ一般にそして将来に伝えて行こうというわけだ。 私は、そこで事務局を任されることになりそうだ。いつもなら表だって行動することは(特に商業的活動)避けているが、このたびの活動の趣旨は非常に文化的であり、歴史学者との交流も深まり、未来に歴史小説を書こうとする私にとって捨てがたい興味があるため引き受けようと思っている。 しかし、あまり大声では言わないが、町が活性化するか否かは、私にはあまり興味がない。 ただ、町の活性化のためには、そこに関わる利益の異なるすべての人々(住人・学者・商業者・文化人・教育者・行政)にとって、町に対する最大公約数的目標が必要であり、その目標は“自分たちの町を誇れる町にしよう”と言う呼びかけ以外に私は思いつかない。 その点、この度のムーブメントのまず歴史をしっかりと認識しようとする順番は正しいと思う。 現在世の中に溢れる、新しく人工的に立ち上げた町が20年後に目標を失い衰退する様子をつぶさに見るにつけ、私の関わる町は、歴史的資産を有する点ではるかに将来の可能性をもっている。 さて、どこまで力を尽くせるだろうか…。 どこまで馬鹿になれるだろうか…? |
ギターの先生に、前回私がちゃかした答えをして、先生の真意を聞き損ねたことを尋ねてみた。 “もし無人島に行くことになり、なにか三つのモノしか持っていけなかったら何を持っていくか?”と言う先生の質問に私が“女3人”と答えた件だが… 以前先生の弟子が先生にこの質問をしたそうで…、先生がギターを持っていくと言わなかったのでホッとしたというやりとりがあったらしい。 その弟子は、他にもう一人のギターの先生がいて、その人に同じ質問をしたら、すぐさまギターを持っていくと答えたらしい。その答えに生徒はがっかりしたと言うのだ。 生徒は、この質問には仏教の教えがあり、誰もいない状況に置かれた時には、ギターは必要ない…と答えるほうが正しいと話したらしいのだが、詳しい理由は先生も覚えていなかった。 先生の話を聞いて、私は“じゃー私の答えは、イスラムの教えですね。”と答えた。 先生は“どおして?”と、聞き返した。 “一夫多妻はイスラム教でしょ…。” 先生と私の話は、仏教とイスラム教の教えに触れていた。 壮大な会話が小さなギター教室で生まれていた…。 |
私は、月末に日本酒を抱えて神社を訪ねる。もちろん神社の境内で酒盛りをするためではなく、毎月一日の早朝に氏神様の宮司が月初のお祭りをする際のお供物にしてもらうためだ。 この習慣はかれこれ20年近く続いており、このままだと私が死ぬまで通い続けるように思う。 外国で信仰がなにかと尋ねられ、無宗教だと答えると信用されないと聞くが、そこのところを考えに入れると私は仏教と答えるだろう。家に仏壇があり、盆に祭りごとをし、寺に先祖の墓があるからそう答えることになるが、私は墓や仏壇に手を合わせることのない形式上の仏教徒であって、多くの日本人がそうであるように無宗教と答えたほうが正しいかも知れない。 ところが、私は毎月氏神様にお参りをし、毎朝この世の創造主と世間一般に言う神と、ご先祖様と家族と、そして私に関わるすべての人々に感謝している。毎朝毎朝同じように感謝している。 感謝することが信仰であるとするならば、私は良き信仰者に違いない。 今日も神社の近くの酒屋で酒を買った。もっと安く酒を手に入れるところはあるが、氏神様に供える酒は氏神様の近くで買うべきだという私なりの哲学があり、値段だけには釣られない。 この発想で日本人が国内生産物をしっかり購入すれば、内需は拡大するに違いない。 良き信仰者の私は良き日本人のあり方を考えている。 それはそうと、お供えした酒は、その後誰かの胃の中にはいるのだろうか? 全部お神酒になるのだろうか…? 余計なことを考えるのはやめておこう。 |
今日の夕方、スマートフォンの受信履歴に2回続けて残っていた知人に電話した。最初にかかってきた時には取り損ねたが、いつものように、どうせ大した要件でもないと踏んで、しかとした。二度目となると連絡しないわけにはいかない。 彼は、元私の部下であり、人生を熱く生きている。熱しやすく自滅するタイプである。計4回の結婚履歴もその当たりのところに原因があるようだ。 話を聞いてみると、やはりあやしい内容で…近頃facebookで、ジャン・レノと友達になったと言うのだ。何語で会話しているのか聞いてみると、イタリア語だと言う。彼がイタリア語を話せるなんて、いままで聞いたことがない。因みに彼は物事を面白く誇張して話すことはあるが、嘘つきではない。そして頭はとても良い。 そこのところを鑑みて、私はある一定の距離を置いて、彼の話を聞くことにしている。そして10分近く話を聞いてやると、満足して電話を切る。 私は、他人からジャン・レノに似ていると言われるが、ジャン・レノと友達になりたいとは思わないので、今日も適当に話を合わせていた。 彼の、話をまともに聞く暇人は私以外にいないのだろうか…?少なくとも私は彼の良き理解者に違いない。 そして、元部下が、たいしたことのない電話をかけてこられる自分に今日も満足している。 |
昨日、私が会社を辞め初めてビジネスを始めた時にパートナーだった男性がやってきた。身長185cmで体重は100kg近くありアメリカナイズされた彼にはたいそう遊び心があり、大人になっても子供心を持つことの大切さを教えてもらった。 3年ほど経って彼の独立を機に一旦離れたが、10年以上経ってお互い本業を持ちながら、また違うビジネスでパートナーになったが結局二人には経営センスが欠落しており、15年前に二度目の分かれが訪れた。 以後、いつも彼から会わないかと連絡が入り個人的な付き合いを続けている。 今年初めての出会いであった。彼はいつもと変わらぬでかい体でやってきた。前回会った時にはジャン・レノに似ていると思ったが、昨日は鶴瓶そっくりに見えた。因みに私もジャン・レノに似ていると言われる。 話を聞くと昨年末に脳梗塞になり、今でも少し顔面に麻痺が残るという。健康そのものに見えた私より若い彼は今では、二か月に一度のMRIの検査を続けなければならない体になっていた。彼を含め私の周囲の連中の老化が気になる。 今朝私は半年に一度、手術の執刀医に診断を受ける定期検診にでかけた。造影剤を投入してのCT検査・レントゲン撮影・血液検査・血圧脈波検査を行った。結果はすべて良好で喜んだものの…、そのあとで“主治医は血管が少し拡張しているね。50mmを超えたら手術せなあかんかも知れんな。そのときは私がしてあげるけどね…。”と、さっき撮影したパソコンのCT画像を説明しながら楽しそうに話しかけてきた。 心臓血管外科の名医は、すでに1320例の手術実績をもつ…。大先生は私の体を切り開きたくて仕方ないようにみえる。 他人のことを心配するより、自分のことを心配しないとだめだ。 5年前に倒れたおかげで、血圧・体重・食事に神経を使うようになった。 二度目の手術を回避するため、生活の節制を心がけようと改めて思った。 |