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自然派の気ままに一言

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2009-04-26

今話題の

カテゴリー: 日記
草なぎ・・・の逮捕。
どこをみても同じニュースばかりだ。
偏った報道、様々な意見めいたもの。

感じたことを一言だけ。

ただの感情論だけで物事をみるのは「ちょっと」と思う。
事実を冷静に見る必要がある。

・理由はどうであれ公務の警官に抵抗(妨害)した。→逮捕
・奇声をあげ就寝時の近隣住民に迷惑をかけた。→精神的ストレスを与える

よくあることなどの温情どうのこうの以前に、逮捕に際してあたりまえの(正当な)対応がとられただけだ。
20歳そこそこの人ではない30半ばの大人?なら、酒に対する自分の限界は予め分かっていると思う。
行動についてもある程度予測はできるし、自制を働かせるチャンスはいくらでもある。
(こういう自分も若い自分、酒に飲まれたことはあるのでえらそうに言えたぎりでは
ないが・・・)

間違えは誰にでもある。だが、人に迷惑をかけてはいけない。
いつもながら思うのだが後悔するなら、自分を律することにもう少し気を傾ける努力をしなかったのかと。
謝罪ならば、当事者たる奇行時周辺の住民がまず最初ではないだろうか?

ついこんなふうに思った。
2009-04-23

今考えること

カテゴリー: 日記
このたびのゴールデンウィークは久しぶりのまとまった連休となりそうだ。

それにしても世の中、相変わらずいい状態とはいえない。

ここしばらく一緒にやってきた人が先日、関西へ戻ることになった。
特に親しくしていたわけではないが、いなくなると物寂しくなるものだ。

ごく当たり前のことだが人の血の流れ同様、世の中を創っている人、物、金といったものが、それぞれうまく循環しないとそのものに生命力がなく、つまらない。

ばらばらの小さな流れが、大きくなり増えていくことを願う次第だ。

ゆとりといってられない人も多いが、こうゆう時期にこそ時間について考えるのもよいのではないだろうか。
これまでとは別の視点で、過ごし方、使い方を考えてみることで何かしら楽しみにつながることがあるかもしれない。

なにせ時間は有限である。これは、いつも意識して過ごしてきたつもりだ。

幸い、今熱中して取組めることがある。ない知恵を、ああでもこうでもないと日々奮闘?させるのもそれなりに楽しくもある。
2009-04-18

精神力

カテゴリー: 日記
1週間前のことだ。
早朝に目が覚めることが多かった。
朝、ニュース番組を見ようとするとマスターズの放映があった。
ゴルフに対しては若いころか「年寄りの道楽」と自分に言い聞かせつつ、まるで興味がない。
気軽にできないのが最大の理由だが、一度やり出すとのめり込みそうで意識して遠ざけているかもしれない。

それはさておき、放送画面の鮮やかさについ見とれてしまう。最近、風景を扱う番組はこの種のものが多い。去年、安くなった折ちょっと大き目のプラズマTVを購入した。言い過ぎかもしれないが目前に居るかのような錯覚を起こすほどだ。
(長年使用してきたプロジェクターが去年お亡くなりになった。画質はかなり粗くTVに劣っていたが、にわか映画館の雰囲気だけでもとずっと愛用してきた。)

数少ないアナログ機器がまた一つ身の回りから減ったのは、寂しい限りだ。

とはいってもデジタルHDの臨場感あふれる映像美には舌を巻く。カセットテープからCDに変わったときの衝撃を思い出すようだ。

マスターズの話だが、日本人の片山が孤軍奮闘している。大舞台の圧力に呑まれる選手もいる中たんたんとプレーしている。最終日に残った選手も終盤が近づくにつれ、重圧で崩れる選手が増える。最後まで実力を出し首位争いの一角に残る健闘したのは脱帽する。
堂々たる4位だ。(日本人史上最高位)
WBCでの日本の優勝ほど目立たないが、個人的にはこちらの方が偉業であると思う。

精神力というのは日常訓練で培われるし、また、それ自体を高める努力をしないと「ここぞ」に後悔を残す。
かつて得意分野だった競技、その他の競技でここしばらく日本が世界に通用しないことが多い。
相手側の技術力、身体的な優位性もあるだろうが、なにより見る側に興味を沸かせない。なぜか?
以前、旧共産圏があれほど強かったのは、どんな状況下でも自分を保てる絶対的な自信を持ち合わせていたからではないだろうか。

ゴルフに興味ないが、片山選手おめでとうございました。
2009-04-07

レッドクリフを見ての中国

カテゴリー: 日記
いよいよ「レッドクリフ2」が封切りとなる。三国志を舞台にした映画だが、前作「レッドクリフ1」ではなるほどと感じさせる場面が多く、珍しく足を向かう気にさせる。
まずそのスケールだろう。普段なじみの薄い大河周辺の風景は圧巻だ。
山水画で有名な桂林を思い出した。桂林観光というと漓江下り。左右に望む奇峰を見ながら観光船で河を下る。船着場に着くや否や目に飛び込んできた風景が焼きついている。まさに水墨画の世界だ。筆舌に尽くし難い。幻想的風景とはこうゆうもののことだろう。
いざ、遊覧船へ。当時の珍しい?体験談から。
船上から河沿いを眺めていた。「川べりにうつ伏せの人らしき姿が見えるのですが。」そばのガイドに聞いてみた。「ああ、あれは死んだ人です。」(変わった出来事ですか?のような受け答えに次の言葉が出なかった。)
昼食時のこと。船中で「すっぽん」を初体験した。ゴムの塊のようでなんとも味気がない。(本当にすっぽんだったのだろうか。)
終始ぼんやりしているうち、あっという間に船旅が終わった。

中国の広大さと4000年の長い歴史にある奥深さは直に体験しないと身に伝わらない。(余談だが、学生時分のこと。留学生に「中国3000年の歴史」と安易にいうと「中国の歴史は4000年だ」とよく怒られた。ファン君はどうしているのだろう。)
清最後の皇帝溥儀の物語である映画「ラストエンペラー」。北京の紫禁城(故宮)舞台に撮影されたが、世界最大の宮殿と言われるだけありちょっとした城の比ではない。ぐるっと回るだけでも大汗だ。文化遺産云々よりまず移動が大変だ。
(因みに中国側の文化遺産は台湾の故宮博物館の方にかなりの文化遺産が持ち出されたとされている。)

また教科書で馴染み深い兵馬ようこう。所狭しと掘り当てられた一連の兵馬像(よう)には圧倒される。
当時、周りに露店が並ぶ中、しつこく「扇子10本が1000円、まけて20本が1000円」と売り込んでくるのがいた。(どこに行っても同じようなことがあった。)
シルクロードならぬ絹生産が盛んだけあって、絹製品が意外と安かった。露店でシルク製のシャツを1枚買ったのを覚えている。安かったが手触りが良かったのでまんざら偽者ではなかっただろう。

中国では買い物では注意しないといけない。隙あらば騙そうとする。
規模、集客数いかんによらず観光店は当てにならない。よく目に付くのが掛け軸。日本人がお土産にと買いだめする人がいる。いくら値切っただの何本買ったのだの。
日本語の話せる学生がいて雑談がてら色んな事を聞いたことがあった。彼によると観光店に置いてるものは大抵、寺かどこかでアルバイト学生が描いてるものが多いらしい。自分も経験あるとのこと。ちゃんとしたものは展示会などで求めた方がいいとのことだった。

また、とある観光店でのこと。
横にいた人が硯を購入していた。ショウケースに陳列される中から望みの一品を選び、まさに買おうとしたときの出来事。店員がケースの上で現品を確認。客が頷くと一段下の台で包装し前に指し出した。今一度買うのをためらったのか、店員の手元の動作に不信感を覚えたのか定かでないが、包装を解かせていた。中を見ると安い別物だったらしい。
文句を言って再度包装させる。店員は何もなかったように嘲笑しつつ再包装する。客も今度はじっくり監視していたようだが、相手の言うことを守るなど悠長な考えは通用しない。店員にもう一度包装を解かせ中身を確認する。案の定別物だ。まるで手品を見ているようだ。腹に据えかねたのか、そこの責任者らしき人を呼びつけ自分の目の前で包装させ無事完了。(当人には悪いが、傍から見ている分は喜劇のようで面白かった。)

こうゆう事は程度の差あれ、多くの国では起こりうることだ。セキュリティ面しかり。
他人を簡単に信用するなど感情的に物事を考えがちなのは、ある種日本人の美徳である。だからといって、「まあまあ・・」、「たぶん・・」などと都合の良い解釈をすると痛い目にあう。こういう点は日本人が脳天気とされるだけだ。もちろん騙し盗む側が悪い。しかし、被る側の意識の低さ、隙は当人の責任である。
このような場面に出くわすと「危機管理」にもっと意識を向けるべきだとつくづく思う。

ついでに一言。
世の中にいい話などほとんどないと思っていい。人が利益に繋がる話を簡単に他人と分かち合おうとするだろうか。
兎に角、自分自身で充分確認・納得することからだと思う。
2009-04-06

エゴと迫害

カテゴリー: 日記
他地域と比べ日本は孤立した島国、少数民族という特殊性がある。
一方、世界地図を見ると数え切れない宗教、民族が隣接・混在しているところが多い。
このため有形・無形の遺産にそれぞれの文化・歴史が複雑に重なっている。

世界遺産のあるスペイン アンダルシアの伝統・民俗音楽について特集していた。かの踊り子で有名な文化、フラメンコ。18世紀末にそこにいたイスラム教徒により発展したとされ、たどるとキリスト教による迫害の歴史のなかで生まれたとされている。
そこにいたイスラム教徒は改宗を強要され土地に留ること、さらに北アフリカへと逃れることを余儀なくされた。
人々は生活文化・歴史を守り続け、その一つである伝統音楽を守り続けた。

フラメンコは独特の踊りに目を向けがちだが、民族色の強い音楽である。言葉に歴史そのものへの思いがあり、悲痛な叫びが込められている。
個人の夢、愛、また、一過性の趣向ではなく、土地を奪われ迫害されたことに対する民族の思い、叫び、誇りなど。
画面を通してではあるが、なんだかそこにある奥深いものが伝わってくる。演奏場面では人の魂の叫びという表現をしていた。
それが抑揚のあるリズムとなり、踊りの力強さとなっているのだろう
(よく情熱と喩えられるその中にこういった様々な思いが入っているのだろう。)

思うに日本人にはこういった民族的なもの、心の拠所とするものがあるのだろうか。つまらないことをふと考えてしまった。
都合の良い面だけに目を向け、簡単に多くのものを捨ててしまったのではないか、元々そういう強いものを持ち合わせてないのだろうかと。

形ある遺産はどうだろう。
建造物を見るとき、どうしても外観に目を奪われがちだ。創られるに至った過程にある主体側に陽が当たるが負の面には中々目が向けられることがない。例えば、城そのものに足を向けるが城郭にある生活施設、拷問施設など背景をなすところは見落とされがちだ。

やはり全てひっくるめて歴史、いろんな人の思いを知るとまた別の見方ができるだろうとちょっと考えてしまった。

近くで欧州の雰囲気を見ようとすると旧イギリス領の香港、旧ポルトガル領のマカオがある。何れも中国返還前のことなので最近の事情は分からない。観光目的で訪れたわけではなかったが、マカオはその雰囲気は味わえると思う。
(小さな町なので歩いて散策できる。西洋人と東洋人のハーフも多く、端正な顔立ちに驚いたのを覚えている。)
一方、香港は町がごみごみした上、近代化が進んでいるのであまり好まない。観光客には悪いが日本人買い物観光客にはうんざりだ。
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