おっにぎーりおっにぎり、は詰めずにサンドイッチ。
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どうでもいいけど子どもがよろこぶおかずがひとつも入ってないよねあの歌。刻みしょうがにごま塩、れんこんごぼうしいたけ、ふきって。あんな地味な弁当持たされたらへこむ。
同居の女3人でお寺の公園まで散歩してお花見。
おべんとばこじゃなくジップロックコンテナ。わーアメリカ人みたい。
「長屋の花見」というこの時期の古典落語がある。ある朝、貧乏長屋の大家が店子を呼びつけると、景気づけに花見に行こうとの誘い。店賃の催促だとばかりおもっていた一同が大喜びしたのも束の間、なにせ貧乏なので玉子焼きの代わりにたくあん、かまぼこの代わりに大根の香香をお重に詰めて、毛氈と称したむしろを敷いて一升瓶に入れた番茶で酔っ払えと無茶を言う。やけくその住人たち「大家さん今年はこの長屋に良いことがありそうですよ、酒柱が立ってます」みたいなお話。
これを以前、自分主催の落語会でやっていただいたときにこの花見弁当を出したらわりとウケたのだけれど今回さすがにそういうわけにいかない。事前に同行者の好きな具をリサーチしておいた。けどやっぱ好みあるよね。耳は落とすか、きゅうりを入れるか否か、はたしてたまねぎは、とか細かいところだけど重要だとおもう。とくにわたしはサブウェイでも野菜とピクルス大量派なので、苦手な人の気持ちを察することができないということもあり。
おかげでなんとか好評。
食べられる花は食べられるのにみんなが残した。
ぽかぽかしていい陽気だったな。今日が休みだったおれは勝ち組。
帰宅して、同居のひとりがiPhoneを水没させたのでわたしの昔のを貸すことにしたのだけど、メールやら写真やらデータを消そうとしていろいろ開いてしまい、しあわせだったころの思い出がわんさと出てきてもうたまらず初期化してやった。チッ。
四月ばかも終わりに近づいたころ、同居人が「あっ、今日うそついてないや!」というので、え?今日話してたことほとんどうそだよ?と盛大にうそをつく。うそをつかなかったという同居人の発言がそもそもうそかもしれない。誰をも信じがたくなりつつ35歳目前の春。 |