尊敬する大学教授の家にお伺いすると、その年の人生の標語が毎年変わって壁に貼ってあることに気づく。今年は“peak to peak”という言葉があった。 昨日山の上のイベントでの帰り道…彼女に“peak to peakとは常にトップを目指すということですか?”と、問うてみた。 “少し違って、頂上に登れば、次に目指す頂が見てくる…という事です。”と彼女は答えた。 彼女が目指すところは、トップではない。次なる高みの目標であると理解できた。 彼女が優れた研究者であると、改めて思った。 |
今朝、イギリス系の英語学校に行ってきた。理事長は日本人だが英語で話しかけられた。校長はイギリス人の女性で英語しか話せない。 理事長に通訳してもらい私の言いたいことは校長に伝えたが、普段英語を習っているのにまだまだ語学力がないことを思い知った。 知り合いの大学教授が、語学は勇気とか根性だと言っていたことを思い出した。外国語で伝えたいことが伝えられないのは、自分が伝えたいと思う気持ちが小さいからだ…。伝えたいと思う気持ちが強ければ相手に伝わる…と、言っていたことを思い出した。 私には、勇気と根性がまだ足らない。 |
マダムに25年前に出版された、知人の短編集をすすめた。そうするとマダムは自分のブログに最後の一言を紹介していた。私も忘れていたその文章だが、その当時…他人との関係をこうありたいと思ったことを思い出した。 なれなれしさやおせっかいではなく、 きちんと距離を持ったあたたかさで訪れる人を迎え、 激しくはないけれど、静かに深く哀しみやつらさ、そして楽しさを知り、 共に、わかち合える大人でいたいと願っています。 今でも、こうありたいと思う。 |
マダムの店に行った。 入口近くの飾り棚の上に、私のデザインした店のフライヤー置かれていた。その横に見慣れない小さな本が置かれていた。 表紙の色は私がマダムをイメージして色だししたフライヤーのベースカラー・オリーブ色と、ほとんど同じで親しみを感じ、目に留まったわけだ。 マダムの詩集が出来上がった。 大きさはA5の変形サイズで小さな本だ。 マダムに“おめでとうございます。”と、言った。マダムはにっこりほほ笑んだ。 画家の絵とも上手くマッチングされ、うまくデザインされていた。 なかなかの出来である。 早速2冊をもとめ、マダムにサインをお願いした。 マダムは、はにかみながら日付と名前を記した。 マダムは現在、69歳。 素敵な女性である。 |
目の前の人と話をしていて、その人が突然、涙を流し始めたことが何度かあった。 私はカウンセラーを気取るつもりはないし、他人に救いの手を差し出すつもりはないのに...。この間なんぞ、ヒーラーでセラピストをしている人が泣き出した。 普通は入りこまない人の心の暗部に、知らぬ間に入り込んでしまう私の 軽率さが涙を引き起こすのだろうか? それとも、女性の武器と言われる涙で私の心を揺さぶられているのだろか? 私なんぞをいじっても何も出てこないだろうに...。 言葉には、気をつけよう。余計なことはしゃべらないことだ。 背負えない荷は担がないほうが良い。 身の丈...身の丈...。 |
私には尊敬していた人がいた。過去形の意味は…今は尊敬していない…と、言うことだ。 35年間彼を見ている。彼の人生は自分のやりたいことをやり通し続けた人生に思える。40才になってそれまでやってきたことに一旦けりをつけてフランスに渡り10年間思う事業を続けた。阪神淡路大震災とフランスの景気低迷の影響を受け50才になって日本にもどり、その時には全ての財産を失くしていた。それでも人生を受け入れ、久しぶりに他人の下に働きに出て12年後に、また独立を果たした。 彼は今、68歳である。現役で働いている。8年前に20才差の奥さんと再婚をし、いっしょに頑張っている。 私が尊敬していたその人は、自らの思うままに生き抜いた…まさに尊敬に値する人生を送っていたのだが、最近周囲の人に愚痴を言うようになってきた。年をとったせいだろうか?疲れてしまったのだろうか?今の自分の人生が精彩を欠くのは世の中が悪いから…誰かが悪いから…と、常に愚痴をこぼすようになった。 他人の愚痴は聞きたくないものだ。 そんな彼を見ていると、話したいと思わなくなり、疎遠になっていく。 彼には、もっとかっこよく生きてほしいものだと心から願う。 |
私が生まれてから今までに見たもの、聞いたこと、出会った人、すべての経験はこの世界の全てのうちのほんの一部に違いない。 そう思ったら…今、私の目の前にあらわれる初めての出来事や出会う人たちのことを、深呼吸して理解しようという謙虚な思いが自分の内側に生まれてくるような気がした。 |
“ハリーポッター”が年をとって、おじさんになったら“ハラーボッテー”になった…と、おやじギャグを思いついた。 ある人に話してみたら、案の定馬鹿にされた。 自分では、なかなかの出来だと思うのだが、“おやじ”だと言う自覚はある。 これからは、ギャグを思いついても自分の腹の中にしまっておこうと思う。 |
歴史研究家からメールで第3次原稿というタイトルで原稿が送られてきた。前回のものより詳しく、1870年代の情景が描かれていた。だがしかし…語尾が研究発表口調である。ここのところを直さないと私の思う一般人向けの作品にはならないのだが…。研究家は私の趨勢点を納得するだろうか? 11月5日に出会って研究家から説明を聞くことになっている。なんとしてでも私の狙いを理解してほしいものだ。 研究家は人は良いが堅物だという私の常識をぶちやぶりたい。 |