なんとかの“研究会”とか、社長一代で築いたお店や会社のほとんどは、数十年経つと、じいさんばあさんの集団になってしまって・・・ある時空を見上げて、存続の為に若い後継者を引っ張ってこなくちゃ・・なんて考え始めても、もう遅いんだろうな。その点、大企業とか大学の研究室のような組織は若い人たちが入ってくる完成した再生システムが出来上がっていてるんだと思う。一般のお店や会社では、トップの人達が自分自身が年を取っていくことを自覚できず、リニューアルシステムを作る機会を逃して、不安になってジタバタするもんだから、結局衰退を早めることになるんだろうな。 年をとっていく自分の変化を敏感に感じてないと、世の中の変化についていけなくなるんだ。小規模でも老舗や工房のような特化した技術や商品を扱うところは弟子入り希望の人が訪ねて来て存続するんだろうが・・・そんな職人集団や老舗が受け継ぐ信念は、世の中の変化なんか関係なく、特価した商品を作れば世の中の方が合わせてくる・・・なんていう自信の塊的発想のような気がする。 小学生の時の謎々にこんな問題があった。「12時を指して止まってしまった時計と1時間に1分遅れる時計、どちらが先に正しい時間を指す?」答えは勿論“止まってしまった時計”であるが・・・結局変化に合わせて下手に自分が変われば、ずっとズレっぱなしなんてこともあって、自分を信じてじっとしているほうが、また“いい時代が巡ってきますよ”・・・なんて教訓だと今は理解してる。 再生システムの完成した企業も老舗も、たいしたもんだと思う。自分ではそこまで出来なかったけれど・・・私は今でも自分で自分が若いと思ってる。だからだめなんだろうな。年齢の自覚をもっとしなくちゃー。 組織も老舗も、もう関係ないけど・・・ |
最近のテレビコマーシャルを見ていると以前にはなかった業種が増えてきた。パチンコの新機種宣伝・競馬へ行こう!・よく見ると信仰宗教?・かつらや毛生え薬・新聞を見よう!・痩身器具等・・・昔だったら倫理規定でハネられてるだろうギャンブル系のものも今は大丈夫みたい。企業がテレビや新聞に費やす広告費を削ってるもんだから、業界も相当厳しいんだろうな。固いこと言ってられないんだ。そう言えば、私もネットでニュース見たりしてるし、ただネットのニュースソースは新聞やテレビだったりするから・・・取材、報道関係の人材を雇用してる新聞や雑誌、テレビが衰退したら情報って、どこから生まれてくるんだろう。ネットのなかで生まれる情報や情報源が取材だけで生活が成り立つフリーのカメラマンやライターと言う個人だけになったら・・・情報の信憑性はどこまで問えるんだろうか?嘘の情報が大手を振ってまかり通るかもしれない。真実を見極めていく術をどうして身につければいいんだろう。これから何を信じたらいいんだろう。きっと、今の私には想像もつかない新しいシステムが構築されるに違いない。 自動車産業・石油産業も出版業界も百貨店も例外ではなく、永久に繁栄し続けるものは無い、壊れないものは無い・・・という真理の具現化の時代が急激に迫ってきている。果たして未来はどんな世界になるんだろう。 |
今朝“会社の扉の入り口の鍵を忘れて社内に保管している鍵が取り出せず、展示会の準備に来た人のために展示場の開錠ができない。”との電話が入った。私は朝食を食べることを諦め、朝の体操も途中にして車に飛び乗った。高速道路を利用すると25分で到着する。電話してきた彼には同じビル内にいる筈の予備キーの所持者を教えたが、まだ来ていなかったらしく、立ち寄り先の病院までタクシーで鍵を取りに20分で往復し、私が到着した時にはすでに展示場は開いていた。結局、事なきを得た。問題が起こる時と言うものは、複数のアクシデントが重なる。 今日の場合・・・ 1)いつもなら展示会場の使用者が前日に鍵を取りに来る筈が来ていなかった。 2)スタッフが鍵のある部屋に入るための鍵を忘れてしまった。 3)予備キーを持っている人が、病院に立ち寄った。 4)私が、いつもよりゆっくり家を出る予定で朝の時間を過ごしていた。 これだけの、偶然が重なることは、普通はないと思うが・・・危機管理を考えると、起こるべくして起こったと反省し、改めるべきは改めねばならない。勿論今後の対策も講じたが・・・ 心のなかのどこかで、起こるときには起こるよな・・・とも思う。 世の中に“偶然”なんてないのかも知れない・・・ |
昨年、私の町におそらく日本で一番お客様の少ないスターバックスができて・・・いつ行っても、空席が目立ち、これでは商売になってなさそうだし、利益優先の企業のことだから、いつ撤退するんだろうと誰しも思っていたんだけれど、しばらくすると外人客が増え始め、ゆったりしてるもんだからパソコン持ってきて仕事?している風の人がやってきて、子供連れのお母さん達がテーブルを囲むようになって・・・あれれ、あれれと思ううちに、最近ではこの町で今まで見かけたことのない学生風の人たちが溜まるようになってきた。 何故そうなったか考えてみると、その店は地震で倒壊した文化財指定を受けている建物を、当時の材料をそのまま使用して再現したもので・・・そのなかに、輸入したアンティック家具を空間をとって配置した・・・まさに本物の一軒家の異人館なのである。天井の高い空間、背高の扉、暖炉、光溢れる格子窓に鎧戸・・・本物のなかでゆったりお手ごろ価格のコーヒー・・・“本物を安価で提供する。”人が集まる理由は、これに違いない。不況のなかで商売の一つ形としてお手本になったことは確かのように思う。 それでも、この店が採算がとれているかどうかは定かではないが・・・今では、私も、この店がこの町で存続してほしいと願っている。 |
昨晩、高校の同級生から食事に誘われて夕食をともにした。彼の知り合いがやっている“豚”料理の専門店へ行ったが、もう一度行きたいとは思わなかった。勿論不味くはないのだがインパクトがない。 そうそう、今日は料理の話ではなかった。 彼は、高校を卒業して、プロギタリスト目指して東京へ行き、その後アメリカに修行に行ったのだが、修行中にふらりと入った楽器屋で、遊びでギターを演奏していた小学生?が自分よりもはるかに上手かったので、そのことがきっかけでギタリストの道を諦めた。その後パサディナの大学を卒業し、マフィアのボスもやってくるようなクラブのマネージャー等の仕事をしながら、20数年間アメリカ生活をして数年前に 日本に戻ってきた。日本を代表するトップ企業の代表としての海外生活ではなく、裏のアメリカを生きてきた彼の話は実に面白い。彼の悩みは・・・日本がまだ実力社会ではなく、就職面接でもキャリアの前に年齢で撥ねられてしまうということ・・・英語が話せると言うだけでは、希望する会社にはなかなか就職できないらしい。 私は、投資信託の運用で生活には困らない彼と、アメリカの裏社会を知っている彼と、これからたまに会うことになると思う。次回は坂本竜馬の血を引くと言う彼と土佐の高知で、鰹のたたきを食べよう・・・いやいや、彼のルーツを探る旅に出ようという話になった。 |
カトリックの教えで、水のなかに住む動物で“長いもの”“うろこのないもの”“足のあるもの”を食べてはいけないと言う教えがあると聞いた。具体的に言うと、海蛇・鰻・鮫・海豚・蛸・海老といったところであろうか・・・世界三大珍味に“キャビァ“があるが、古代魚のチョウザメにはうろこがないから、カトリック教徒は食べられないはず・・・カトリック教徒の敬虔な信者は、日本で寿司屋に入ってもあまり食べるものがないんだ。昨今文明人のヘルシー嗜好も宗教的な戒律の前では野蛮人の食べ物でしかない。さて戒律とはいかなるものか、破ったからといって差し支えのないものだと考え一部に例外を認めれば、全てが崩れ去る恐れがある。iPS細胞やクローンなどの研究が進む今の時代に神話をもとにした戒律が存在するのも無理があるように思うが、神話は神話として教えの原点は大切にしながらも、宗教もその時代その時代に応じて辞書のように改訂版が生まれればいいのにと思う。ひょっとしてそうしてるのかな・・・私の知識不足かな・・・ そうしないと、いつまでたってもヘルシーでおいしい寿司が食べられないもんな・・・ |
昨夕、私の離婚後、長らくご無沙汰している方のポストに私の思いを書いた手紙を投函した。その人は離婚した私の元伴侶の“おばあちゃん”にあたる・・・。おばあちゃんと今一緒に住んでいる元・・の叔父さんと、元・・の母親とその長男との関係が険悪であるため、私の長男とおばあちゃんとの交流も断たれてしまっていて、私はともかく私の長男も、かれこれ7年間ほどお会いしていない。聡明な方であったと記憶するおばあちゃんはかなりのご高齢の筈である。7年間の我々の生き様と、長男の卒業の報告・・・機会があれば長男と話ができる関係を再構築して頂きたいとの願いを綴ったものであるが・・・さて、どうなるだろう。子供の電話番号は書いておいたが住所も私の連絡先もない手紙・・・予想としては、“何も変わらない・・”が8割くらいかな。“縁“というものは、理由があって切れるもの・・・その復縁は簡単に叶うものではないだろう。ただ今回の場合、“血の縁”だから、長男のために私ができる小さなこと・・・ 今更、私のやったことは、余計な事だろうか、甘い事だろうか、人々の心を険しくすることだろうか・・・などと頭の中を巡らしても仕方ない。犀は投げたんだから、すべての結果を受け入れよう・・・ |
心から会いたい人には、会える・・・と私は思っている。なにか作りたいものがあって、技術的な知識や推論のうえでの裏付けがほしい時には、私の望む人、私の望むものを持っている人や、持っている人を知っている人が目の前に現れる。今まで思いを叶えてこれたと思う私には、“Dreams come true.”の人生なのである。 この“Dreams come true.”の実現スキームのポイントを自分なりに考えてみた。 1)まず 叶えたいことを絞り込むこと 2)叶えたいと強く思うこと その思いを継続すること 3)既に起こったすべてのことが 望むものを手に入れるための必然であると思うこと 4)失敗を恐れず 諦めないこと 5)後悔を引きずらず 悔しさをバネに変えること 6)世の中が自分を中心に回っていると 信じること 7)巡ってくるチャンスを捉えるために 常に身構えていること 8)そして 努力すること どうだろう、これを全部実行できたら、夢は叶う・・・と思いません? こんなことを言っている自分が大好きだ。 それにしても、出会いたい女性にはなかなか会えない・・・ |
“大変だ!”と叫んだときでなく・・・“大変だ!大変だ!”と心の中で二度叫んだ時・・・少し心が冷静になった・・・その時に考えないといけないことがある。今までの生き方、今まで信じてきたこと、今までの正義、今まで“そうでなければならない”と思っていたすべての事を・・・一旦フリーズして、融けていくのを眺めてみる。 そうすると、今まで当たり前だと思っていたことを“なにか変えなくっちゃ”と気がつく・・・ “大変“の意味は・・・“大きく変わらなくちゃー”と言う意味なんだから・・・ “大変だ!大変だ!”と、心のなかで二度叫んだ時、“なにか変えなくちゃー”・・・と、あなたの心が叫んでいるのを・・・ あなたは、ちゃんと聞こえてますか・・・ |
小学生の頃 こんなことを考えた・・・ 自分の住んでいる地球があって、その周りには自分の知らない大きな宇宙があって、その宇宙の果てには、海の中から空気中に出たときくらいの変化のある違う世界があると思った。 自分が、海に飛び込んで、深い深い海の底に向かって進んでいくと、小さな光る物体があって、その物体をすごい顕微鏡で覗いてみると、その光の周りを回る一粒の丸い玉があって、その玉をもっとすごい電子顕微鏡で覗いてみると、そこには小さな人間が住んでいると思った。 自分が住んでいる地球は、自分の想像力の及ばない大きな大きな動物の鼻の淵についた鼻水のなかの一つ細胞のようなもので・・・その動物が小さなくしゃみをしたら、私の住んでいる地球もその周りの宇宙も、海のなかの小さな光る物体も、一瞬にして“0”になってしまうんじゃないかと思った。 だから、その大きな動物が、くしゃみをしないように・・・毎晩祈った。 実は今でも、ほんのちょっと・・・世界はそんなもんかも知れないと思っている。 |