寒くなると温かいお湯で緑茶を飲む機会も多い。子供のころからの習慣か 以前は冬でも冷たい麦茶を飲むことも多かった。(因みに麦茶は「茶」といっているが茶葉を使用してないので正確には分類上、お茶ではない。玄米茶なども) 飲み物には意外と気を使ってきた。清涼飲料水の類はできるだけ飲まない、果物ジュースは100%など。(酒については全然気を使わないのだが 元々、茶は中国を発祥として世界各地に広まったものだ。イギリスの紅茶とは言うがこれは茶葉を完全発酵させたものが普及したものだ。英語の「tea」の語源は中国の一地方の「テェ」からきている。(緑茶は酸化発酵させないもの、烏龍茶は適度に酸化発酵させたもの) ヨーロッパでも広くお茶は飲まれてたがコーヒーが入ってきてから(硬水がコーヒーの方に合うとのこと)、あまり飲まれなくなったそうだ。 日本でも中華料理の席にはジャスミン茶が出てくるし、中国・台湾でも料理の席では一般に出る。自分は昔から独特の香り(花)がだめで飲まないのだが。このジャスミン茶は花茶として愛飲されるが、茶葉に花弁を混ぜたものなので純粋にお茶には分類されない。 中国では草として料理に使用されていたのが最初で次第に今のように茶葉を煎ってお湯でだし汁を飲むようになったとされている。 台湾に行った最初のころペットボトル飲料が普及しておらず(日本でも缶主流)、会社に哺乳瓶(もちろん飲み口は違うのだが)のような容器に茶葉と湯を入れて持ち歩いてるのをよく見かけた。 また、上部に茶漉しのついたティーカップの縦長版のような陶器に茶葉を入れ、お湯を注いで飲んでいるのを見かけた。(急須が要らず、個人で飲むには合理的。容器を土産に持ち帰り使っていたこともあった。) やはり本場だ。お茶の歴史が長いだけあって習慣、飲み方など知らないことが多い。 中国茶には日本で愛飲される緑茶をはじめ、原種ほか産地・製法(発酵のさせ方)の違いだろうか、烏龍茶(種類が多くある)、高山茶、鉄観音茶、プアール茶といったものがある。 (このへんは台湾でよく目にするものだが、中国にも多種ある。) 日本で高価な緑茶といっても知れてるが、向こうのいいお茶になると考えられないくらい高価である。(値段の桁が違う) 何度か飲ませてもらったことがあるが、特にいいものになると味はもちろん香りが違う。 烏龍茶は一度、会社の土産に持ち帰ったときどうやって飲むか聞かれたことがあった。普通に緑茶と同じように言うと烏龍茶は冷やして飲むものかと思っていたと言われたことがあった。 仕方ない。元々日本には飲む習慣がなく、近年ダイエット効果?ならぬ、うたい文句でペットボトル入りの一飲料として普及したのが始まりだ。しかし、緑茶と同様、本来純粋にお茶としての飲み方で味わうものだ。(マスコミの原因による間違った伝来だ。) ここで一度教えてもらったお茶の飲み方を一つ (日本の茶道は知らないが、お茶のちゃんとした飲み方の一つだろう) まず、各茶器が用意された。中国茶用の茶器は小ぶりだ。(正式?) 茶盤という「すのこ」がついた2層式の台に茶壷(急須)、茶杯(お猪口のようなもの)、聞香杯(香りかぐためのもので、お猪口を縦長にしたようなもの。台湾のみ?)が準備された。 最初に各茶器に湯をかけ温める。その後、茶壷に葉を多く入れ容器から湯があふれるほどに注ぐ。蓋をしてさらに茶壷の上から湯をかける。少ししてお茶を聞香杯に注ぎ、そのまま捨てる?か茶杯に移し変える?。(うら覚え) 中身のない聞香杯を鼻に近づけ香りを楽しむ。 そして二煎目のお茶を茶杯に注ぎ味わい、さらに残った香りを楽しむ。 比較にはならないだろうがワインのような楽しみ方(飲み方)だろう。 まあ、こういったところだ。 主催当人はこのとき「日本人はお茶の味が分からない。飲み方を知らない」などとのたまっていたが、「はいはい」と聞き流しつつ飲んでいた。確かに香りはよかった。 最後に 高校時分、伝統高なんだか知らないが通っていた学校が近くに茶園を所有していた。毎年、茶摘の時期になると全校生徒が茶畑で葉っぱを摘んでいたとゆうかちぎっていた。 さらに自分たちで収穫?したものを買わされていた(あくまで希望者のみだが)変な伝統はいらないとつぶやきながら採取したものだ。 |
白洲次郎 最近NHKでドラマ化放映された。 前宣伝で楽しみにしていたがうっかり第1回を見逃してしまう。残念。 第2回は見逃さないようしっかり録画。(それにしてもTVにハードディスクとは便利な世の中になったものだ。) さておき、白洲次郎が持つ日本の男にかつてあった「気概」、「実直」、「正義感」、「毅然」・・・・のような言葉はどこにいったのだろう。 昨今の政治家その他公職人にはないのだろうか。 打算的な損得勘定で行動したり、長い物に巻かれろではないが保身一辺倒はどの世界でも多い。 白洲次郎は自己の主義主張、信条を大事にした人として共感できまた、尊望する。(世の中には根拠なき自信の類はよく目にするが) また、数々のエピソードはあるが相手の地位・身分(上位、下位)問わず言動が終始一貫しているところがすばらしい。 白洲次郎の人となりを表す言葉で興しろい言葉を二、三。 ・占領統治下のGHQに対して 「われわれは戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない」 ・日本男性に対するメッセージ 「今の日本の若い人に一番足りないのは勇気だ。「そういう事を言ったら損する」って事ばかり考えている。」 (“若い人”は昭和時代なので今現在なおさらであろう。) ・妻正子との結婚を承諾してもらうため、正子の父に言った台詞 「お嬢さんを頂きます」 (さすが!) 余談だが、白洲次郎とまではいかないにしろ昔の人には少なからず、こうゆうすばらしい面はあったと思う。 今はいないが子に多くを語らなかった父親について思い当たるところが朧ながらあったような気がする。 (後に母親から聞かされ知ることも多かった。不肖ながら息子はたいしたことがないのだが。) 福岡市内で今週末より白洲次郎と正子の世界展とのことなので気が向いたら足を延ばして見よう。 |
見聞の限り、男と女には次のような違いがあるのではないか。 ・行動姿勢 男性の「積極性」、「自発的」、「行動的」に対し、女性の 「受身」、「依存」 ・思考 男性の「論理的」に対し、女性の「感情的」 ・特徴的な感情 女性の「母性」に対し、男性の「父性」?(正確には母性に対比する 特徴は残念ながら男性にはない。) ・本質的な「強さ」 男性より女性が数段上だ。(男にはやはり母親の存在は大きく、世の 男性諸氏が相手の女性に頭が上がらない大きな要因だろう。) 女性は「ロマンチック」なる言葉・状況を好む。相手の女性にロマンチックでないと言われたことがある。これは女が頭の中でイメージする傾向にあるのに対し、男は知らず知らずのうち常に行動すること自体が「ロマン」だ。だから、あえて特別に「ロマンチック」な状況を作る必要がないのだと思う。 最後に一つ引用を。 「男はもともとどうしようもなく弱くて、生まれつきやさしい。だから、子供のときから 強くあれ、強くあれと育てなければならない。女は生まれつき、強くてこわい。だから、やさしくあれ、やさしくあれと育てなければならない。」 なるほど。 |
酒田市。 「おくりびと」が日本の映画史に残る快挙を残した。 その内容については見てないので分からない。きっといい作品だろう。 雑感ながら、今のご時世、米国を始めナイーブになっており、日本の伝統文化の一つに目新しさもあって共感したといったところだろうか。 日本人が創る日本の純朴さをうたった他の作品も数々あるが。(なお、とある有名な評価所では他作品がダントツだったそうだが。) 今回はその撮影地となった酒田市について かれこれ訪れたのを忘れるくらい前のこと。会社の同僚と談笑(当時社員寮)していた時だ。 夏の連休に岐阜から下北半島までぐるっと一周する同行者を募っていた。 言い出し含め2人いたがガソリン代節減のため、もう一人いないかとのこと。そのうち一人が年上(同期だが大学院卒で3つ上のKさん)だが同郷が近かったよしみもあり、仲良くしていた。 で、いつの間にか一緒にいく羽目になってしまった。 (旅は複数だと、個々の意見を尊重・調整する必要がある。基本は一人で出かける。好きなときに好きなように行動できないような行動の制約があると、旅の醍醐味が半減する。もちろん、多人数での楽しさはあるのだが。) まず富山方面に出て日本海沿いを北上した。 一人は大の酒好き、Kさんは酒好きだがすぐ酔っ払って寝てしまうこの二人が是非、酒田の酒蔵に行きたいと訪れたのが最初だった。 印象はというと漁港をもった日本のどこにでもある平凡な街だ。 そもそも三人の共通点は酒が飲める(自分は日本酒は好まないのだが)、新鮮で美味い海の幸を好むことぐらいだろうか。 酒田に寄ったのはこの単純な理由からだった。着くや否や二人の目的の酒蔵に行こうということになり(半ば連れて行かれた)、市の中心部に現存する唯一の酒造所に行った。 当方の勝手な都合にも関わらず、酒造所の方が懇切に対応頂いた。Kさんは何かと好奇心旺盛な人で根掘り葉掘り質問攻めしていた。 毎年、酒の品評会に出すこと(吟醸酒:米の良いとこ3割のみ使用して製造)、杜氏による手作りメーカとして酒田最後の一軒であること(他メーカは全て機械化に換装)など興味深い話を聞けた。 ちなみに一度、全国品評会で受賞した吟醸酒を頂いたが、日本酒のだめな自分でも水のような感覚で味わえた。良いものは癖がないというが実感した次第だ。 わざわざ宿は海辺近くの民宿を選んだ。やはりこの辺りの日本海の魚は一味違う。かきも広島産とは違い、どちらかというとカナダ産に近いほど大柄だ。 翌朝、漁港市場に行く。新鮮な上、考えられないぐらい安い。入り口付近で保冷庫らしきものがあり、覗くと溢れるほどのシャコ入っている。聞くと横のざる一杯すくって1000円。(記憶が定かでないが300円だったかも)。蒸してもらい即食べる。 先に行くと拳大のホタテ3つの串焼きが、150円。 (なおこの北陸あたりは周辺各地から越前かにの日帰りツアーが多い。生のかに刺身など) 今でも強く印象に残る。 東北地方の特徴か。 独特の訛りとゆったりとしたどこか素朴な話し方は心地よい。 冬の北陸というと豪雪のイメージがあるが、海岸沿いは雪が積もらないらしい。海からのすさまじい強風のためだ。道路沿いにはこの地方独特の防風壁がある。 2度目に山形を訪れたときは寒い時期で、海から少し離れた場所でも突き刺すような風に見舞われたのを思い出す。 なにはともあれ、よいとこだ。 |
村上春樹氏のエルサレム賞でのスピーチ全訳が下記サイトにあるので一読を。 すばらしい内容だ。 http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php |
(台湾 食べ物編 その1からのつづき) 言葉について気になったことを思い出した。 よく日本で使うカタカナ中国語を現地の言葉だと思い込まれていることが多いが、外来英語みたいなもので現地では通じない。多々あるので誤解なきよう。因みに焼き飯(炒飯)は「チャーハン」ではなく、「ツァオファン」だ。また、日本に方言があるように中国圏でも方言が多い。(香港は広東語で「ホンコン」で、北京語では「シャンカン」だ。 北京オリンピックのときだった。NHKを代表する男性アナウンサーがさよなら(再見)を「ザイチェン」と言っていた。また、別の日に現地にいる有名な女性アナも同じような発声をしていた。 「ツァイチェン」だ。濁らない。たぶん、ピンイン(はっせいおん)の「zai jian」をローマ字読みしたんだろうが、最初何を言ってるのか分からなかった。 言葉はできるだけ正確に発音しないと相手に伝わらない。特に中国語は同じ文字に対し、発音一つでまるっきり意味が変わる。 現地実況にも関わらず、四声とまでは言わないがアナウンサーともあろうものが挨拶ぐらい正確にできないのかと思った次第だ。 脱線したが、最後に一つ。 1~2年前だったか。仕事の一区切りで客先始めとする関係者の食事会があった。地方の老舗風の専門店だった。最初のうちは食べたことのある定番料理の品々が次々と出された。酒ばかり飲んでいて、料理にあまり手を付けずにいた。酒も入って周りが賑やかになったころ、半透明のスープが出てきた。小皿にとって食べると未体験の味だ。でも、味に深みがある。なんだろう?お代りするほど癖になるようで、まわりも盛り上がっているし「ちょうどいいや」と黙々と食べていた。あまりに美味いのでいつの間にか大鍋の2/3ほど一人で食べてしまった。ちょうどそのとき現地人がきたので何かと尋ねると、「フカヒレ」とのことだった。 さすがに中国三大珍味の一つと言われるだけあって、ひたすら頷きながら変に納得していた。 |
一般に中華料理は火を通す料理が基本だ。 炒、焼、炸(揚げる)、煮・・・など調理法が多種だ。 特徴の一つが料理に使うの油の量が兎に角多い。 訪台の当初、特に油物を敬遠していた時期で数ヶ月間はチャーハンばかり食べていた。他の料理と比べ油の量が少なく、海老・牛肉・豚肉(ビーマンと和えてチンジャオロース)・玉子などと日替わりにしていた。もちろん、お冷サービスなどなく甘い飲み物が多いので仕方なくコーラとセットにしていた。後で触れるが備付けのお茶はとても飲めたものではなかった。 まず鍋もの屋が多い。夏冬関係なく、むっとくる暑さでもお構いなしだ。 鍋といっても美味いだし、味付けスープは少なく、お湯か深紅の辛いスープ(麻ら鍋)に具材を入れ、醤油または胡麻味噌の漬け汁に薬味(にんにく、ねぎ、唐辛子など)を加えて食べる簡単なものだ。(ちなみに、鍋物を火鍋という)日本にある焼肉食い放題のような店も多く、バイキング式のところも少なくない。 かわったところでアヒルの鍋(チェーン店多い)、漢方(こちらは薬草など色んな物が入っており健康に良いのだろうが独特のツンと鼻を刺激する味がする)など。 具材は一般に食べられるものは質が悪く決して美味いとはいえない。 未だに受け入れられないのがトマト切身を温かい中にそのまま入れることだ。 その他には鉄板焼き(文字通り、鉄板の上で海鮮、肉、野菜などを焼いた料理)も多い。セットでモヤシ、キャベツなどの炒め物が付いてくるがこちらの方が味付けが良い。 最近は店が減ったような気がする。 あと麺をよく食べる。(どちらかというと米より多いかもしれない。) スープは日本のラーメンのように味にコクはなく、薄い。スープのだしなどあまりとってないような気がする。面の材料は小麦粉だけではなく、米粉、冬粉(春雨のようなもの)もある。 もう一つは炒め麺(焼きそば)だ。当然ソースではなく油の多い中華味だ 誤解はないと思うが、ちゃんぽん、皿うどんはない。(日本独自のもの) 店で出される料理は味がしっかりしているが、一般には薄味で、味気ないものも多い。 スープにしても鳥が入っているだけの味や、生姜だけの味(モヤシだけの簡単な具材のみ)といった具合だ。(辛いものは別として素材の味が中心の簡素なものも多い。) 基本的には料理をしない女性が多い。まわりに惣菜や弁当屋が多くあり、買って済ませることも多いようだ。朝など朝食屋(サンドイッチ、麺、饅頭など)で買う人が多い。当人らに聞くと「買ったほうが安いから」とか「便利だから」とか言う。 料理の調味料としてよく使うのは塩、こしょう他、にんにく、生姜、ブラックペッパー、唐辛子、オイスターソースなどだ。 ほとんどの日本人がだめなもの。 臭豆腐、香菜、烏龍玉子だ。 臭豆腐。とにかく臭い。喩えようがないが、外国人が納豆に持つ印象いやそれ以上かもしれない。食べる以前に匂いで敬遠してしまう。(感じとしてはきつい腐敗臭) 次に香菜。これは野菜の葉っぱのようなもので小切りにして料理の風味付けに使う。これも鼻にツンとくるような独特の刺激臭がある。 烏龍玉子。これは、烏龍茶の一種か?なにか分からないが鼻に刺激のきつい煮汁に玉子を浸けたもので(どのコンビニにもおでんのような感じで置いてある)、店に入ると匂いだけですぐ店を出たくなるほどだ。 欧米化、日本食化の影響か? はたまた、敬遠しがちになったのか? 香菜以外は、以前ほど見なくなった。 甘いものも結構多い。お菓子の類(落花生ベースのシンプルなものなど)、紅茶(ミルクテーをはじめ兎に角、種類が多い)、緑茶など。(マヨネーズまで甘い)お茶の話は別の機会にするとして、ペットボトル入りの緑茶、烏龍茶他には砂糖分含む甘味料入りだ。日本で売られている純粋なお茶は希少で、「無糖」、「日本茶」と明記されてないものは全て甘かった。それでも近年健康志向なのか、逆に「無糖」やヘルシアのような「油」に効果のありそうなお茶が増えた。(油分の多い料理、甘いものなどカロリーが高いものを摂取していたので肥満化が社会問題化している。男性は多い) いろいろと負の面ばかり書いたが、美味しいものも沢山ある。 空心菜といわれる野菜の炒め物だ。どこにでもある単純な炒めものだが、飽きない味でとにかく美味い。知る限り日本人で嫌いな人はなく、台湾人も良く食べる。(日本でも最近栽培されだしたという話もあるようだが) 餃子。日本では焼いたものだが、向こうでは水餃子を指す。よく食べていたので自分は食べ飽きてしまった。焼き餃子もよく見かけるようになった。 小龍包(しょうろんぽう:シャオロンパオ)。どこにでもはないが南部に安くて美味しい店があり良く言っていた。(台北に行けば何でもあるだろうが。)千切り生姜を薬味に酢醤油ベースのたれつけて食べるところが多い。 ピーナツ・鷹の爪・肉の炒めもの、たまご料理、野菜料理その他、まだまだ、たくさんの料理があるが、きりがないのでこのくらいにしておく。 (だだ、サラダなど生ものは注意した方がいい。不衛生なのか、水が悪いのか以前は一撃必殺であたっていた。トイレから離れられなくなる。ホテルの洗面所には歯磨き時のうがい用などのためか?どこも水のペットボトルが置いてある。最近はかなり改善され水質も良くなっていると思う。水道水を飲めるのは知る限り世界の中で日本ぐらいだろう) 中華料理! 調理法のバリエーションは多く一つの具材に複数の料理がある。敷居の高いところでなくてもちょっとした大きな店に行くと調理法をリクエストしたり、聞いてきたりすることがあるので味わったこのない料理を体験できる。 暑い地方なのでやはり辛い料理が多いのも特徴だ。ピリカラではないが、好きな人にはたまらないだろう。 (文章が長いので、「食べ物 その2に次につづく) |
今日、話題の日本人が二人いた。 そう、村上春樹氏と中川何某。 かたや表彰式、かたや公務で日本から離れた中東、欧州にいた。 同じ日本人としてこうも違うのか。 中川何某。話題に触れるのもばかばかしいが、なんとも情けない。 もともと欧米人と日本人では体格も体質も違う。 向こうはワインはお茶代わりに飲むほどだし、その他の酒も時間、量問わず飲んでいる。まず、アルコールに対する体の分解・処理能力が比べものにならないくらい違う。 (少し飲んだくらいでは日本人のように酔わない。) それにしても何度となく酒席での醜態をさらしていながら、懲りてないのか。 国内では笑い話で済まされるかもしれないが、世界での大事な会議というのに自制心がもてないのか。(学習能力がないのか) 同じ日本人ましてや要職にある政治家なのだから始末に置けない。 体調不良ならば(幻聴、睡魔ならともかく、呂律のまわらない薬剤症状など聞いたことがないが)、その場を欠席すれば良いだけの話しで苦し紛れにしては往生際が悪すぎる。 言葉にならないほどあきれた話だ。 その一方、村上春樹氏は周囲の外圧を押しのけて、決して望まない環境であえて自分の思いを伝えた。 その言動たるや現地で「詩的」と表現されたり、各方面で絶賛されるほどのものだ。 よく見るブログの一つ(内容は非常に専門的で難解。よく著述・著者を鋭く批評し、人を賞賛するのが珍しい。経済学者)に村上氏を次のように書いていた。 「イスラエル人の前でこのようなスピーチを行うことは、受賞を拒否するよりはるかに困難な決断だ。彼の小説はデビュー作が『群像』に載ったときからすべて読んでいるが、このスピーチは彼の最高傑作だ。よくやったよ、君は日本人の誇りだ。」 これが全てを物語っているように思える。 |
もう過ぎたが、確かクリスマスの時期だ。 周知の通り、欧米では年中行事の一大イベントとしてこの時期を楽しむ。 一度、この時期米国の某大手工場に行ったときのことだ。 いつも通り夜も明けぬうち、眠い目をこすりながら現場に行った。 (当時、向こうの作業者は朝5時ぐらいに仕事を始めて昼の早い時間帯に 帰宅していた。このため、渋々これに付き合わなくてはならなかった。 早く仕事を終わらせて後は家庭サービスなど自分の時間を楽しむとの事) 仕事の進捗を確認していると、何か不自然な光景が目に入った。 おや! 時々、横を三輪車に乗ったメールボーイ(社内便集配のおやじ)が通るのだが目を疑ってしまった。 普通に周辺ラインは稼動しているが、赤い頭巾、衣装をまとったのが平然と横を通り過ぎた。 サンタクロースだ。 思わず噴出してしまった。 しばらくすると、今度は三輪車に乗ったトナカイ(被り物が角のようだったので多分そうだろう)が通った。 なんだろう。今日は平日だし、周りは普通に仕事をしている。自分自身、しばらく状況を理解できなかった。 こんな光景に遭遇したことはないし、決して日本では観ることはないだろう。もちろん実害はない?のだが、これが許されるのがアメリカなのかとつくづく思う。 これがユーモアのセンスの深さ・違いだろう。 ある意味ふざけているが、捉え方によっては感心する。 分野、テーマ問わず講演などうまい話というのは必ず、要所にユーモアが盛り込まれているような気がする。 教養といった他、人間性豊かな人ほどこうゆうセンスが長けているし、人を引きつける。見たり聞いたりするとつい感心する。 やはりどんな環境、状況にでもユーモアは大事ではないか。今更ながら思う。 ただ、いたずらにつまらない話(大半が作り話だろう)を並べた、昨今の風潮・娯楽はいただけない。 ○○首相ではないが、「いかがなものか」である。 もちろん楽しむこともあるし、何でもつまらないと否定するわけではないが、流行か何か知らないが幼稚な笑いといったものが最近とくに多いような気がする。 一度「すべらないはなし」なるものをみたが、明らかにうけを狙った作り話の羅列か誇大話のようで、誹謗・中傷の類の話を面白おかしくしているだけだろう。 当方には珍しく米国人が来客としてきた。(製品チェックのため) 仕事柄、当然中身のチェックは厳しいが、合間にその場を和ませるようなジョークが入ってくる。単調さや一方向に固まりがちな流れの中で、ひと時ほっとする。 (自分でも公私問わずちょっとした事を織り込むように心がけているが。突然、変なことを言いだす思ってのだろう。よく周りは笑っているようだ。) 現状の厳しい環境は専門家が至る所で述べているのでここでどうこう言うことはないが、 彼らは金融危機の震源地の真っ只中にいて、少なからず影響はないこともないだろう。 しかし、見ている限り悲痛な面すら感じられない。(勝手にそう思うだけかもしれないが) どこも周りは深刻な状況だが、現状を受け入れそこに適応していけばいいと自分自身は思う。(楽観的すぎるのか?) 彼らの習慣なんだろうが実際に触れてみると、見習いたいと思う次第だ。 |
最近のレンタル事情について 最近、一部で高級外車、ブランド物といった高級品のレンタルが流行っているそうな。 もちろん誰にでも手に入るものではないし、いいもの?に対する憧れはあると思う。 普段触れることものできないもの、ことを体感できる機会も持つ、願望が一時的に 叶えられるのは喜ばしいことだし本人が納得できるのであればそれでよいとは思う。 もちろん贅沢品が売れなくなっている現状では、売り手の戦略的な意図がありありで 人の興味を誘発しているのは否めない。そこにお金を出す買い手もいる。 で、高級ブランドのバックを数日間借りるのもお手ごろで比較的人気だそうだ。 ちょっとしたイベントに携帯して出かける(男の自分には分からない感覚だが)ためとか。 当人の価値観なのでとやかく言えるものではないし充足感があればいいのだと思う。 その中に近くに買い物かなにかで外出する、友達とのお茶会に1、2日借りて持って行く ための需要もあると。さすがに「う~ん」と思った。 実物を一時的に所有したいがため借りたというなら兎も角、見栄、体裁のためだけなのか。 うわべだけを気にして楽しいのだろうか? 返却という現実に戻ったとき空しくないのだろうか? 素朴に疑問が湧いてしまう。 こうゆう自分も自己満足のためこれまでいろんなお金の使い方をし、そこには明確な目的やちょっとした思いがあった。(後で後悔することもあるが) まあ、これもおしゃれの一環と言われれば返す言葉がないが。(余計なお世話なのか) 器が狭いだけなのか、自分には理解できない世界ということなのだろうか。??????? たぶん一生考えても回答は見つからないだろう。 |