今年もの残り僅かというのに、世の中に逆行して1日忙しかった。 ストレスのためか、はたまたお酒の勢いで気分が良くなったのか突然書いたこともない日記を書いている。 現案件は半年以上前に決まっていた案件で○国向けの比較的大きなものだ。 ○国は確か数年前の○海の経済絶頂期に数ヶ月滞在した。○国へは昔一度、○里の長○に登りたくて行ったとき以来だ。 この時は残念ながら霧のため周囲見渡せず残念な思いをしたので、再トライと行きたかったところだが忙しくて行けず。 ただ地方と比べると○海は大都会だ。少し外れるとまだ異臭が強い、色んなものが転がっている(不衛生)ところが多い。(上下水道環境整備の不備で特に川の近くを通りかかると鼻が取れるのではと思うくらい強烈だ。昔日、台湾がそうであったかのように) それでも物価がまだ極端に安く、夕食のため同僚と円卓を囲んで中華三昧、ビール三昧しても数百円で済んだ。) 仕事が一段落した際、通称東洋のベニスなる蘇州(中国語でSUZHOU)へ行ってみた。(ここは世界遺産が多い) タクシーは日本のバスなみに安かったので1、2時間かけて日帰りで行った。 突発的行動だったため下調べはせずとりあえずいって見た。 駅付近で自転車を借りて古い建造物を見て回った。 お薦め箇所を廻る市内観光コースがあったので途中参加してみた。 そのうち船頭付き船で市内周回があった。福岡で言えば柳川の豪華版といたところだ。 なぜか一番印象に残ったのは史跡住居のようなところでやっていた時代劇物の撮影だ。 近くで見ると目に刺さるような民族衣装、民族劇独特の化粧なぜか印象に残っている。(雰囲気に呑まれたのか?少なくとも同僚が記念と言って何とか雑技団を見ようと行っていたが行かなくてよかった。) ○海に戻り、たまに行く飲み屋に行くと、そこのママ(自分より確か10ぐらい若かった。商売が楽しいと言って学生の時から働いていたとのこと)が「先に行ってくれたら私が案内するか、店のコに案内させたのに」と言われたのを思い出す。 ああ昔はついついよく出かけてたなあ・・・。 |
今日も少しほろ酔い調子で何か書いている。(癖になってはいけない!) 何か心の底から感動できる映画に出会えないだろうか?そもそも学生のときから映画はよくみる。 いつしか廃版になったスクリーン、ロードショーといった映画専門雑誌をよく買って見ていた。当時TVでは西部劇、アクションその他多くのジャンルの映画が流れていた。「さよなら、さよなら、さよなら・・」でおなじみの淀川長治だ。これを聞くと週の終わりを感じたほどだ。 たぶん自分の世代の男は例外なくブルースリーを崇拝していたような気がする。その後ジャッキーチェンなる輩が登場していたか、一向に惹かれない。(いやむしろ大嫌いだ) 意図的だろうが半分ジョークのような、あの姿勢はどうも好きになれない。 最近で言えば、李連ちぇ(ジェットリー)なんかが好きだ。 欧州のほうではジェイソン・ステイサム。(nice!) 映画とは関係ないが年を重ねるにつれ感受性が豊かになってきた気がする。なぜか感動的なシーンを見るとつい・・・となってしまう。なぜだろ 邦画は好まないが、1年ぐらい前?の台湾出張で高速バスの中で見た「佐賀のがばいばあちゃん」になぜか感動した。 今は日本製の新幹線が開通したが、それまで南部主要都市へは台北から国内線に乗り継ぐのが便利な手段だ。 国内線は中古の小型機を使用する(プロぺラ機も)が、信用できないため乗る気がしない。(他の地域も同、これでも某航空機メーカの設計にいたことがあるので少しは詳しい) ということで4~5時間かけてバスに乗る。バスと言っても日本の窮屈なシートと違い欧米の大型バス(個々にマッサージ機能、液晶画面付き、ビジネス・ファーストクラスなみのリクライニング)なのでゆっくりと快適だ。普段は洋画を見ていたが、たまたま面白そうなものがなかったので少ない邦画を選ぶと、「佐賀の・・」だった。 あと映画人生の中で実話の最高傑作と思うのが「シンドラーのリスト」である。これは人に映画の話をするときは大抵奨める。 以前たまたま訳本で見ていてその後映画になったので見た。直視できないようなシーンも数多くあるが、深く考えさせられる作品だ。(何度見ても飽きない。まだ見てなければ是非周りにタオルをおくことを奨める。自分だけか?) また日記を書いてしまった。まあいいか。 それでは さよなら、さよなら、さよなら・・・・・・ |
今日は少しお疲れ気味だ。 昼に起きて、来て3ヶ月(生後4ヶ月)になる子犬を洗ってやった。 最近、いす、ソファーに飛び乗るなど生意気になってきた。 昨日は仕事納めで、会社の数人と時期遅れの忘年会をする。 飲み行事はたまにしかでないが同世代かいつもの定年前後の年配者とでかける。昨日は若手が混じっていたようだ。 自分以外は全員妻帯者だが、夫々の人生・生き方についてどうこうないが、自分の考えた生き方さえしっかりとしてればいいと思っている。いつも同じスタンスだ。 昔からそうだが飲み会では、サービス精神なのか周りを盛り上げようとして、話題に自分の考えを交えて面白おかしく(事実)話そうとする傾向がある。 たまには皆さんと騒ぐのもいいが、最近1人で好きな酒をのんびり飲むのを好む。 出先で飲みでると、店内が空きに近い状態でないと入らないか、人が増えるとすぐ出てしまう。 どうも人が多いと騒がしく落ち着けない。 よく店の片隅でじっと飲んでることが多い。(何度か行ったところは、こちらの気分を見て適度に構うか、放置するかしてるようだ。) 余談だがカラオケで楽しそうに歌っている人がいるが、少なくとも人前で 歌うのだからちょっと練習してから歌えないものか。雑音レベルも多い。 (ちなみに自分は気が向いたときしか歌わない。歌いだすと周りが静かになることが多い。たいしたことがないのに自慢のつもりか!) 一人の年配者が今度、北海道に行くと言う。(2回目だそうだ)前回は西側に行ったので次は東側に行くそうだ。自分の経験からすれば、自然を満喫するのは東側がいいと思う。(自分は車とバイクで其々ぐるっと1周したでけなのだが。風景もいいが、野生の鹿、どさんこ(馬)に出会うことも) 国内でのお薦めは北陸、東北地方だ。北海道は確かに自然がきれいだ。しかし、歴史的に開発されたのが新しい地域であるため、歴史・文化面で本州以下の地域に劣る。ここでは多くを語らないが感想としては東北・北陸、日本のおへそ辺りがいいと思う。 おいしいりんごの産地を1つ。 酸味の強いもの食べて以来好んで食べない。 東北・長野付近でもなく甘味、食感どれをとっても美味いと感じたところがある。 富山の穂積というところだ。 出張時、周辺にりんご園ばかりあるので聞いてみると、名産らしく全国に配送しているそうだ。 お土産で会社のおばさん、うちの母親に持ってかえったが、「こんなりんご食べたことがない」と口をそろえて言っていた。 今日もとりとめもないことばかり書いてしまったが正月はその辺に転がっている読みかけの本でも読んで、ゆっくりしようかな。 |
この時期になると会社の人と連れ立ってよくスキーに出かけたものだ。 大小併せると日帰り圏内に数十はあったと思う。 岐阜北部方面は近接する場所には1.5時間程度で行けたが、シーズンとなると時間帯によっては5時間もかかった。(1本道が多く、まるで正月の高速なみ。現在、東海北陸道開通で解消?) 週末となると周りの同僚(当時社員寮)と渋滞回避のため夕食をそそくさとすませAM3:00起床、出発していた。(全国地方から集まった者が多く、物珍しさからか冬はスキー、一色だった。) しかもリフト始動から夕刻の停止まで皆まるで憑依のごとく、狂ったように滑走していた。(周囲の素晴らしい景観を楽しむ余裕がない) 寒い場所で寒い思いをして何が面白いんだ?と感じつつも周囲の説得に屈してしまい、経験者につれられたのが事の始まりだった。 現地に行くと皆同性に対しては鬼のように冷たい。いきなり最頂部につくや否や、一言二言のたまったのち、消えてしまった。おかげで最初の頃、降りた時はいつも雪だるまになっていた。 (苦労あってか今ではアルペン選手なみの気分で滑れる。) 飛騨高山方面で滑った帰りは、よく下呂温泉の無料開放所で浸かったものだ。 この時期、国道41号で高山方面を走ると飛騨川(木曽川の支流)沿いの雪景色が絶景で、好きだった。 ついつい回想となったが岐阜辺りは周辺に自然、観光名所が多く、ちょっと出掛けるには利便性の高いとこだった。 身近に合掌作りで有名な白川郷、下呂温泉、飛騨高山、乗鞍岳、上高地(その他方面にも京都など)何処に行くにも比較的近い。 因みに乗鞍、上高地など自然保護のためマイカー規制(途中からバス、タクシー)、開放時期が限られるといった所も少なくない。 また、珍名所だが養老の滝(居酒屋ではない)、三重の伊賀忍者屋敷(本物)などある。 岐阜県根尾村というところがある。 季節外れだが、桜だ。薄墨桜なる種だが蕾は淡紅→開花後薄墨色なる。 あとで知ったのだが、2大(分類によっては3大)巨木桜の1つらしい。 なんとも荘厳、興味深い桜だった。たまたまバイク・ツーリングして立ち寄ったのだが桜と言えばこの桜を思い出す。 食べものは内陸地方の性か、海鮮物は希少で漬物の類が多い。この頃食べた野沢菜はいまだに好んで食する。 漬物と言えば京の漬物だ。あっさりしていて何か品があり食べやすい。大阪経由での出張の際は必ず駅(新大阪)で買って帰る。 ああなつかし! 余裕ができたら久しぶり訪れよう。 |
世の中、戦国時代に代表される日本の騒乱期が好きな人は多いだろう。 私もその一人だ。 歴史小説家として独特の歴史観、知名度は今更でもなく多くの人に惜しまれて亡くなった司馬遼太郎。 数々の著書は未だにファン層が厚く、面白いものが多くよく読んだものだ。 著者の紹介をしたい分けではないが、最近この人に自分が共感するところが少し思い当たる節がある。 ただ歴史について書物を調べるのではなく、常に、自分の足で見て、聞いて、感じて、そこで当時の人物像の虚像になって考えようとしていた。 自分はそういう興味はないが、直接自分で見たり、感じたりして初めてのものに遭遇する刺激、驚きを持つことに強く共感していたような気がする。 食一つとっても、他人の評価が良とは限らない。自分の経験したことのない体感の中にすばらしいと感じるものだ。 ここ数年物欲、所有欲はない一方、どこかで心の豊かさをの望んでいるかもしれない。 また、思うところを書いてしまった。 |
冬真っ只中。久しぶりの感覚。 昼間外出しようと、我が愛車の前を見るとうっすら雪を発見。 周りは積もってないようだ。ひと安心。 前愛車は冬装備せずとも、2、3000Mの雪山を平気で登っていた。 今はチェーンはあるがほとんど使わない。 数年前、仕事で韓国に行ったのこと。釜山から北に列車に揺られること2時間(首都ソウルまでは少し離れてる)、小さな町に滞在していた。 (北海道くらいの緯度だったか) 道路があちこち凍結している。(この時期湿気が少ないらしく路面に水溜りがないので、ほとんどの車がノーマルタイヤで走ってる。) タクシー待ちで外にいると体の露出部分が痛い。顔に覆面したいほどだ。 以前、雪山で吹雪かれたときの感覚を思い出す。 目を疑った。幅数百Mはあるだろうという川が凍結していた。ホテルの受付兼、送迎運転手に聞くと外はマイナス十数度あるらしい。 まつげや鼻に水分があるとすぐ凍ってしまう。(鼻水も凍る) それでも韓国の住居はオンドル(所謂、床暖房)装備のため、部屋内は快適だ。まだハングルは難解だ。 唯一通じる「チゲ!」、「ビビンバ!」といって同じものばかり食べていた。(ちなみに普通のビビンバは料理用のボールででてくるので美味くなく、石の器を指差して石焼きビビンバを食していた。) 「ラーミョン?」(ラーメン)はどの店も日本の即席乾麺に赤いスープででてくるので食べる気がしない。 焼肉で味付けしてないものは「焼肉のたれ」ではなく、味のないゴマ油かみそに付けて食べる。 それでも、料理を注文すると例外なしにサービスの前菜(色々な種のキムチ、のり、付き出し)があるので、これだけで満腹感で満たされる。 寒いところの話は今日はこれ位にして・・・ それにしても今日は暖房の効きが悪い。 |
今日は「情」について少し。 いつだったか、五木寛之の「情の力」なる本に出会う。本屋で何気なく目に留まり、衝動買いした。(多感な時期に文学っぽいものはよく読んだが、しばらくこの類は読んでない。) 次のような内容だ。 いまの日本人に大切なこと。・・・『「情」は「こころ」です。情がかけているというのは、すなわちこころが乾いてひからびていることなのです。・・・「愛」ではなく「愛情」、「友」ではなく「友情」、「熱」ではなく「情熱」・・・「情」という言葉、つまり「こころ」が付くことによって、適度な湿度と重さが加わるのです。・・・』 一度は見てみるのも。 言葉の意味の深さに「う~ん」と。 私見では特に女性には感性として大切な言葉ではないだろうか。というより都合の良い言い分、期待で、多分惹かれるであろうことなのか。 (ひとごとながら、ちょっとした態度、対応といったことに残念だと感じることもある。) 同じ情でも「情報」を意識すること「常」としている。 知らなくて損することはあっても、知って損することはないと思っている。 ある意味、情報とは自分のリスクを軽減する保険みたいなものではないかと。 行動する、自分が事を成すための重要具と思いつつ、奔走し続けてるようだ。 またまとまりがなくなったが、思ったことを口に出す性分なので兎も角いってみた。 |
国内唯一足を踏み入れたことのない県、沖縄だった。 海?何処にでもあるし沖縄の海を特別に見ようという気もない。悪意はないが訪れる理由(目的)が見つからない。 そんなとき沖縄マラソン募集との広告が目に留まった。 20代までのころとは違うものの、体力はまだまだとの思いがあり自分の限界を知りたいとの衝動から、またも無謀な申し込みをしてしまった。 もちろんやったことはない。今度ばかりは野垂れ死にするだろう。 しかしそう入ってられない。毎日帰宅すると近くの公園(トラック周りを犬の散歩、健康歩きの人がちらほら)で夜遅くまで黙々と走る。 ちょうどひと月半しかない。時々、20~30km走ることもあった。 いよいよ本番当日が近づいてきた。ところが急に無理したせいか左足の裏に痛みがはしる。(3、4日安静にしよう。) 沖縄へは前日入りし少し観光しよう。バスで首里城へ行く。思ったほどの大きさではなくこじんまりしている。艶やかな民族舞踊をみて帰る。 いよいよ本番だ。今のところ足の具合は何の問題もない。エントリーカードをみるとNoが12000番台。並ぶと後に10数人しかいない。いくら初マラソン・他県者とはいえ虐げられ過ぎではと思いつつスタート。 こうなったらスタートダッシュだ。側道を縫うように前へ前へ。 勢いだけで中間の20km地点500番内ぐらいに入ったようだ。そこからエネルギー切れの上、左足に痛みが走り出す。どうしようやめようか。 側道沿いにはボランティア、住民の励ましが響く。黒砂糖、水、栄養ドリンク、レモンなどランナーに差し出す。中には民俗音楽で声援する人々。 (なんて暖かいんだろう) 体力はまだありそうだが足がついてこない。もうやめようか。何かゲートらしきものが見えてきた。米軍の嘉手納基地だ。中に入ると米人が脳天気そうに自分たちで盛り上がっている。(そう見えるがきっと彼らなりに純粋に声援しているのだろう。) あと7、8キロだ。もう足は半分引きずった状態だ。横に人影と思うとすぐに前の背中が遠ざかって行く。そこへ1人の少女が。すれ違いざまにファイト! 根が単純なので勢いが復活するも、悲しいかな「ファイト」は100mしか続かなかった。 それでもだましだまし意地のゴール。 前半の貯金のおかげで2000番台で終了。証明賞をもらい、ボランティアのマッサージ(まさに至れり尽くせり。ありがとうございました。) 前日の夜からバナナとチョコしか食べてなかったので、麺屋で名物のソウキそばを食し、居酒屋でチャンプルに舌ずつみを打つ。(ちなみにソウキそばと沖縄そばの違いを聞くと豚の角煮?があるかないか差だそうだ。) その後も冬になるとマラソンのエントリー案内がきていたが、満足したので以来行ってない。 |