今日は「情」について少し。 いつだったか、五木寛之の「情の力」なる本に出会う。本屋で何気なく目に留まり、衝動買いした。(多感な時期に文学っぽいものはよく読んだが、しばらくこの類は読んでない。) 次のような内容だ。 いまの日本人に大切なこと。・・・『「情」は「こころ」です。情がかけているというのは、すなわちこころが乾いてひからびていることなのです。・・・「愛」ではなく「愛情」、「友」ではなく「友情」、「熱」ではなく「情熱」・・・「情」という言葉、つまり「こころ」が付くことによって、適度な湿度と重さが加わるのです。・・・』 一度は見てみるのも。 言葉の意味の深さに「う~ん」と。 私見では特に女性には感性として大切な言葉ではないだろうか。というより都合の良い言い分、期待で、多分惹かれるであろうことなのか。 (ひとごとながら、ちょっとした態度、対応といったことに残念だと感じることもある。) 同じ情でも「情報」を意識すること「常」としている。 知らなくて損することはあっても、知って損することはないと思っている。 ある意味、情報とは自分のリスクを軽減する保険みたいなものではないかと。 行動する、自分が事を成すための重要具と思いつつ、奔走し続けてるようだ。 またまとまりがなくなったが、思ったことを口に出す性分なので兎も角いってみた。 |