『知らず/\の道、分からず/\の道、みす/\の道ある。これ三つ出掛けたらどうもならん。盛ん程めん/\心を静めて掛かるから盛んという。心の理があれば勝手の道という。勝手の道は盛んとは言えようまい。暗がりの道が見えてあるから、諭さにゃならん。』(M24.07.04 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『一時堪えられんという身の障りでも、こうという精神一つの理さえ治まれば、速やか治まる。どうせにゃならんとは、言わん言えん。たゞ心次第の道という。身上痛めてなりと、どうしてなりと治めようという理を、心に楽しんで定めるなら、さあさあ楽しみ/\の道諭し置こう。』(M30.03.29 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『成ろうと思てもならん。しょまいと思ても成りて来る。これ一つ“いんねん”の理を聞き分け。なれど、“いんねん”と言うて了えば、それまで。いかなる“いんねん”も尽し運ぶ理によって果たす、切る、という理から思やんもせねばならん。一代ではない程に。末代という理なら、大きい理である程にある程に。』(M30.10.05 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『一二三と言う。一と言うたら一、二と言うたら二、三と言うたら三、一つ/\組むようなもの。成程という理治まれば、十分神が守護する。』(M39.05.20 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
以前にも、少しだけ書かせていただいていましたが、毎日とはいかないと思いますが、エドガー・ケイシーが語るカルマ(いんねん)について書かせていただきたいと思います。(^0_0^) 15才の時に交通事故にあって、それ以来ずっと車椅子で生活しなければならなくなった人のライフリーディングです。 彼は、直前の前生では、アメリカ独立戦争の時に兵士として戦い、その時の人生では、困難な状況に遭遇しても、それを快活さと忍耐をもって最善の形で克服する能力を培ったと評価されました。それによって彼は、精神的にも霊的にも成長することができたようです。 彼が半身不随というハンディキャップを背負うことになった理由は、それよりもう一つ前の前生にありました。 リーディングは語ります。それは、初期キリスト教時代のローマで彼が作ってしまったカルマにありました。彼が捕らえれたキリスト教徒と闘技場で戦うことを楽しみとし、何の抵抗も示さずに屈してしまう人々に嘲笑を浴びせていたのだそうです。 つづく |
それゆえに、今生では半身不随となり、その時に、なんのためらいもなく捕らえれたキリスト教徒を苦しめ嘲り笑ったという、嘲笑のカルマが原因だったそうです。 ここまで読まれて皆さんは、なんか不思議に思わないでしょうか?どうして、直前の前生ではなく、もう一つ前の前生のカルマが今生において出てきたのかを………。 なぜこのカルマ(いんねん)の話を書いたかと言いますと、大きな理由があるからです。 エドガー・ケイシーが語るのには、ローマの直後の人生にこのカルマが出てきていたとしたら、その重荷に耐えることができなかったからだと。それで、次の人生では、そのカルマの重荷に耐え、償うことができるだけの精神力を鍛えることに費やされたのだと………。 エドガー・ケイシーは言います。「たとえあなたがその重荷を引き受けて償おうとしたとしても、神は、それを許したまわないと………。」 魂が、それを背負い償い切れるまで成長していない場合は、カルマの負債は延期される場合があるようなのです。 つづく |
すなわち、現在の人生において何らかの身体的な障害を持っている人達は、たとえそれが前生のカルマによるものであったとしても、それを背負うことを神に許されるほど、精神的にも霊的にも成長した魂であるということのようです。 また、エドガー・ケイシーは言います。そのハンディキャップを背負った人の両親にも同じことが言えると。 なぜなら、「宇宙は、高貴な魂を育てる役目を信頼して任せたのだと。そして、あなた達は、この暗い世の中において、人々に多くのものを与えるであろう偉大な魂の養育を任されたのだと………。」 (眠れる予言者エドガー・ケイシー 光田 秀著総合法令出版刊より) |
1926年に二十四歳の若者が、車が壊れたため首から下が麻痺している、と言ってリーディングを求めました。それまで三回手術をしましたが救いにはなりませんでした。明らかに難点一部が見つからなかったのです。 ケイシーはこの若者に肉体的リーディングを与えましたが、それが語るには、 つづく |
「さて、現在の肉体平面を通っているこの実体の経験は、地上の経験をくぐりぬけている発展途上の実体として見ると、肉体的状態よりも興味深い、というのはこれらは、助力や救済はもたらされるかもしれない一方で、疲れを知らぬエネルギー、骨折り、忍耐、そして根気によるのでなければ、体の通常の力をもたらすという点では、ほとんど何もできることはない、という性質のものだからだ。というのも、頚椎と第一脊椎に、脊椎の間の軟骨性の力の一部が押し潰されたという状態が過去に於いて存在していたことを見出だすのである。エネルギーの流れをそらしたり、ふせいだりするよう状態をもたらすくらいで、脊髄を直接傷つけるには不十分である。」(33-1) つづく |
勧められた治療は、主にマッサージと今一度の手術でした。厳密にリーディングに従えば、最終的に(前かがみの姿勢ではあるが)体の運動機能を持てるだろう、と彼は告げられました。リーディングの終わりは次のようなものでした。 「最善の発展を築くような状態に心性全体を保て、というのも、見てきた通り、こうした状態の多くは体の心的力及び霊的力の作用による報いとして受けとるものだからだ。だから最初に与えられた通りなのだ。見るがよい、これはネロだ。」(33-1) 最後の分は、ほとんど聞こえない小声で述べられました。 つづく |