『………悪を善で治め、“たすけ”一条、千筋悪なら善で治め。悪は善出る処の悪の精抜けて了う。』(M22.02.07 おさしづ〔神様のお言葉〕) すみません!!m(__)m 文字落ちがありました。 いろんないやがらせや、困らされるようなことがあったとしても、「ああこれでいいんだ!!」としっかり“たんのう”させていただいていると、知らぬ間に、相手の悪の精が抜けて治まってくるようになる、ということです。(^0_0^) ひろ |
『………これまで艱難(かんなん)苦労の道を艱難と思うなよ。いろ/\の理から一つの理を聞かさにゃならん。どんな処も悪い処も善い処もある。理という、どういう事も聞かさにゃならん。結構の日もどんな日もある。案じる事は一つも無い。』(M22.01.24 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『………身の不自由、不自由の勤(つとめ)が“こうのう”の理という。よく聞き分けさゝにゃならん。暫(しばら)くという。身の不自由は行(ぎょう)。よう聞き分け。身の行は心に理を持って通るであろう。不自由々々々日々に“こうのう”尽す“あたゑ”。身の不自由が“こうのう”/\の理をよく聞き分けささにゃならん。』(M22.10.29 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『………そこで日々の処身上に切なみ回って了(しま)う。そんならその者に迫ればよいようなものや。なれど一つの竜頭(りゅうず)に皆掛かる。………』(M23.06.20 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『………慎みが理や、慎みが道や。慎みが世界第一の理、慎みが往還や程に。これ一つ諭し置こう。』(M25.01.14 おさしづ〔神様のお言葉〕) ※昨日のおさしづの中の“竜頭”とは、昔の時計の竜頭(りゅうず)というものから、来ているようですが、意味合いは「肝心要なもの」=「肝心要な者」ということで、家庭にあっては家長、教会にあっては教会長ということになります。(ひろ) |
『………この所は親里………。遥(は)る/\゛遠くの所から出て来れば、暑ければ暑かったであろう。寒かったら寒かったであろうなあ、という。麦という、麦に太白を入れて、何でも一寸(ちょっと)々々出さねばならん。………満足さすが親の理………。』(M23.06.23 おさしづ〔神様のお言葉〕) ※ここで言われる麦とは、大麦をひいた“はったい”粉のことで、太白とは白砂糖のことです。(ひろ) |
『……………陰から尽す理は十分受け取る。人の事の理はどれくらい思えども受け取れん。めん/\尽すだけはめん/\。内々いろ/\心ある。事情いろ/\ある。一寸理では大きい事情治まりてある。多く事情に世情の理、めん/\一人幾重の事情に、長くは先の楽しみ、短いは楽しみ無し。これ俄(にわ)かに咲く花は、切って来て床へ挿してあるも同じ事。これは“のじ”の無いものである。さあ/\これ根のある花は遅なる。なれども年々咲く。又枝に枝が栄える。根も踏ん張る。こゝの道理をよう思案してみよ。さあ/\身上はすっきり案じることはないで。』(M24.11.01 おさしづ〔神様のお言葉〕) ※俄かに=急に、突然に、“のじ”のない=ちゃんとした下地がない、長持ちしない |
『……………善い事すれば善い理が回る、悪しきは悪しきの理が回る。善い事も切りが無 けねば、悪しき事も切りが無い。………理は見えねど、皆帳面に付けてあるも同じ事、月々年々余(あま)れば返(かえ)す、足(た)らねば貰(もら)う。平均勘定はちゃんと付く。この道は聞き分け一つで 治まった。皆話を聞き分けば皆分かる、めん/\の理が現われる。………』(M25.01.13 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『……多くの中に澄んで/\早く汲みに来んかいなと、水を澄まして待って居る。これは千日の間に出来たのや。それぞれ話、濁った水の所では、一夜の宿も取れようまい。澄まして居るからそれ出来る。わしが“におい”を掛けた、これは俺が弘めたのや、と言う。これも一つの理なれど、待っているから一つの理も伝わる。………』(M25.06.04 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『………どんな理も諭し、成るも成らんもいんねん。いんねん聞き分けて定めるなら、一時定めてくれ。いんねんという、余程定め難くい世上において人々中という、いんねんという理定める者少ない。一代二代三代替わり/\、これ聞き分け。又先々生まれ更わりという事情。たゞいんねんというだけ聞いて、どういう理でなるという、これ分かりた者は無い。生涯末代と言うて、無くなるも“いんねん”、生涯安楽楽しんで暮らすも“いんねん”。皆同じように成るは“いんねん”。そこで、すっきり美しい洗い切りて暮らさしたいは、“いんねん”の理にあるのや。そこで“いんねん”聞き分け。』(M25.07.04 おさしづ〔神様のお言葉〕) |