『………日々という。遠く所より又年の寄らん者一寸や。若い者寄り来る処厄介、世界から見れば厄介。なれど道から厄介ではない。道から十分大切。道は遠かろが言わん。“たすけ一条”と言う。これ聞き分け。十のもので九つ半大切して、半分だけ出けん。十のもの半の理で九つ半まで消す。よう聞き分け。喜ぶ者は少ない。成る事情“いんねん”である。“いんねん”というは面倒いなる者も寄せる寄せる。皆運ばすも同じ理、出て救けるも内々で救けるも同じ理、“いんねん”ならどんな者も“いんねん”。道の処は重々掛かり、これから先掛かりの者そこで入り込む。年の行かん者我子より大切、そうしたなら、世界からどういう大きい事に成るやら知らん。すれば、そんだら何が間違うてある。日々という、言葉一つという、これ聞き分けてくれるよう。』(M26.06.19 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『………満足々々安心々々気の養いさゝにゃならんというは、これまで何度何度も聞かしてある。人間の心から満足安心、気の養い楽しみの理でなか/\長の年限通してある。二三年の間、ならん中叩き/\て通してある。これ分からねばどうもならん。さあ/\話々々、よう聞き分け。蝶や花のようと言うて育てる中、蝶や花と言うも息一筋が蝶や花である。これより一つの理は無い程に。いかなる事も聞き分け。長い間といえども短い間や。これ一つよう聞き分けてくれ。』(M27.03.18 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『さあ/\尋ねる処、さあ一時以て尋ねる処、身上事情一つ困る。これまで長い間長い間中にこれまではなあ/\、心一つ治め方日々送りたる。余儀無く事情/\、内にはどうもなあ、これ一時である。なれど取り直し、皆為す事情いんねん事情、皆これまで諭したる。又身に掛かれば、これまでなあ思う。そんならこれまでなあ、“いんねん”ならなあと言うなれど、生まれ替わりというは何遍も同じ事、これ聞き分け。心治まらんではない。今一時大変難しい処である。なれど、一寸掛かりてある。早く聞き分けくれねば分かり難ない。』(M28.08.19 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『さあ/\尋ねる事情/\、だん/\これ世界と言うであろ。いろ/\あちらの説、こちらの説、だん/\事情重なりたる処、よう一言話して置こう。皆々の心に聞いて置かにゃならん/\。又話して置かにゃならん。まあ遠い所、それからそれへ伝え、道という、又先という中に、一つの困難という/\中に一つ理これも一つ、よく聞いて話という。又満足さゝにゃならん。満足さゝにゃならんが道という。ただ一つというは、何度の中にも諭し置いたる。同じ一つの中、我がさえよくばよいというようでは、兄弟とは言えん。この理を一つ聞き分けて心に治めするなら、同じ水流れる。力次第、力次第にもだん/\ある。この理よく聞き分けにゃならん。どうでも成るどうでも行かん。国々所々、一寸出て話するにも、聞かすにも、心に満足与えてやらにゃならん。満足与えるに、物を以て一時にどうせい、なか/\そうは出来ん。又一つ所々、そら彼処や、こら彼処や、一々尋ねられる処もある。何ぼ尋ねられても、おめ恐れは一つも要らん。付き添うて行くものある。付き添いは誰がするか 。天より付き添うて居る。こういう道理であると、何を言われても逆う事要らん。逆わずして、この心持って通 るなら、何もおめ恐れは一つも要らん。』(M35.08.10 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『さあ/\よう聞き分け。ちゃんと身の障り、その時/\/\、皆さしづがしてある。急いでもういつやら、今日の今日やら、明日の明日やろうかて、さあ/\自然天然の道を慕う。一代では長いよう思う。心も世界も神の道、今日やろうかて、明日やろうかと、どんと一つの身の障り、一つ踏ん張りの身の障りがある。天然自然の道を踏む日が延びる、月が延びる。天然自然の道というものは、一つ踏んだら一つ、二つ踏んだら二つ、三つ踏んだら三つ。これは一寸も動かん。これが第一の処がある。』(M27.07.26 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『さあ/\いかなる事情尋ねる。尋ねるから聞かそ。大抵の理は聞いて居る。難しい事は言わん。一つの道を見よか、一つの道運ぼか、この理を受け取りある、内々ちゃんと朝は起きる、日々頼もしい/\。それから理を出せばどんな理も出る。睦まじいは誠、天の理である。この順序伝え、皆同んなし理や。けれども一人々々分けて聞かさにゃ、これでは/\案じあるで。そこで一名々々のさしづ、誠の心さいあれば、自由自在。誠より外に理は無い。この理を治め。生涯と定め。未だ/\未だの心治めは誠である。』(M20 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『さあ/\尋ねる処/\、だん/\事情といえど、そらこうもせにゃなろうまいか/\そら思う。よう聞き分け。これさしづという理、どういう理に思うて居る。 尋ねたらそこえ/\さしづしてある。どんな事もさしづ以て善運ぶなら、いかなる日も楽しみ。なれど人間同志運んでやった事情は先々分からん。めん/\苦しみ、傍傍(はたはた)も苦します理にならせんか。これから先は尚々事情よう聞き分け。草生(くさば)いの中から今日の日なら、神の道、神一条分からにゃならん。先々よく/\聞き分け善き善き理治めにゃなろまい。』(M27.01.21 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『さあ/\尋ねる事情/\、身上の処にて心得ん。内々に皆心得んという。心得んやない。一つ諭してやるがよい。所に一つ道/\のため、道々のためどんな事もこんな事も案じる事は無い。要らん事に案じる。余儀無くの事情であろう。なれど心に思えば身上に掛かれば仕様は無い。身上の処より、何でもぢばへ出てと思う。ぢばへ出てと思う理は十分受け取る。なれども急く事は要らん。身に不足なりてはどうもする事も出来ん。心に一つの事がある。めん/\の心に掛かるなれど、はくにはけようまい。はけんから身に掛かる。身に掛かれば、どうも仕様あろうまい。この理を諭してやれ。この理悟れば、身は速やかと成る。』(M24.01.13 おさしづ〔神様のお言葉〕) ※はくにはけようまい=不足の思いを心の中から掃き出して、心をしっかり治めようと思っても、“たんのう”がしっかり出来ないので、なかなか心が治まらない。(ひろ) |
『………この道分からんから曇る。一寸曇れば何にも分からん、始められん。晴れん心にもろ/\がどうもならん。これ一つ何でも晴らさにゃならん。世界一遍に晴らそうと思えど、あちらから雲が出る、こちらから雲が出る。今までの処存命の間、一々一つの事情委せ置いたる。ふでさきにも出てある。十二下りの理にも出てある、十二下り出て居る。この事情からはい/\、この事情から聞き分けたゞ一度の道じゃあろまい。通りたら分かる。三年これまで楽しんだる、世界明らかと言うであろう。遠慮気兼は要らんと言うたる。頼み置いたる一つの理、十二下り一人の身体より治め来たる処、誰が頼りであるか、一人の目当てに入り込んだる、中々大切、誰が大切、いかなる処も仕上げた。入り込んだる身体というは、若き者であろうか、学者であろうか、智者であろうか、よう聞き分け。この道始め掛けたる、草生えの中から始め掛け、どんな事も出てある。もうこれ心さえ曇りが無いと思う。曇りさえ無くば何も怖わき恐ろしいは無い。もう一段一寸掛かり掛ける。一度にも仕上げる。一 時の理一時は一代、一つさあ、一代も一年、一年も一代、これ事情にて悟ってく れ。………』(M26.01.13 お さしづ〔神様のお言葉〕) |
『さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上に掛かりていかなものと皆々思う/\。一日の日尋ねる事情は余儀無く事情である。皆道の中の理幾重中皆々籠もりあるであろ。さあ身上に掛かる処、いかなものいかな事と思う。そら思うやない/\。よう聞き分け。この道は大抵で出けた道やない。これまで一日の日にとってどうなろうと思うた日もあろう。この事思えば、どんな事も楽しんで永く心持って急いてはならん。年限思わにゃならん。年限の中に、どんな事もこんな事も思う事あろ。そら、思うてはならん。一代と思うてはならん。いかな事も思うて、どんな事も取り直せ。道の初めはどんな事も分からん。道これまでとんと分かりて分からん。皆ならん中から出て来るは理と言う。皆心永く心持ってくれ。身上から尋ねたら、こういうさしづありたと。急えてはならん。生まれ更わり、生まれ更わり/\まで聞き分けて楽しんでくれるなら、長く事であろ。長く理であろ。運んだ理のこうのうは、末代の理と思うてくれ。。身上案じる事要らん。目は台と言う。根と言う。どんな事も急えては ならん、急えてはいかん。道は永く心繋ぎ、永く心持って楽しんでくれるよう。身上は案じる事要らん、すっき り案じてはならん。』(M36.02.10 おさしづ〔神様のお言葉〕) |