『人間心に一つ事情、さあ身上からいかな事思う一つ理、これまで遠く長らえての道と言う。一つ心容易ならんが身上不足なってどうする。何か一つ日々であるで。道にこうして居れば、さあ/\十分である/\。それは日々の心である。一つ通る中に、よく事情何かの処も思いやってくれにゃならん。どうでもこうでもというさしづして貰うても、心だけ運んでという事情どうもならん。どうせいこうせいは言わん。それは心やで。一つこれはという心定め替え。さあ/\人間というは一代と思うたら違う。生まれ更わりあるで。事情さあ/\よく心を定めるなら又暫くとも言う。さあ/\一つたんのうしてくれ。これまではどういう事もこういう事も、いかなる理もあったであろう。さあ/\皆思い出して運べば道は万劫末代という理、よう聞き分け。道という道、事情一旦心に嵌まり切ったら、どんな事でも心に治めにゃならん。治めば楽しみ、楽しめば未だ暫く、とも言う。この理を、早く諭してやってくれ。』(M39.03.28 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『さあ/\皆々寄り合うた中というは善い事も一つ、思やんも一つ、これ第一よく心得てくれにゃならん。皆々話した理は誰に怨みもあろまい。一つ事情又この理、どちら一つ理合わせようにも、誰に遠慮気兼は無い。道何処にも障りは無い。世界応法及んで、あちらへこちらへ、なか/\この全国という所へ一つ理映すは、なかなか容易の理でない。よう聞き分け。これが一つ証拠。これが頼りに治め。どんな日もある/\。難儀不自由日もある。又、頼もしい日がある/\。ばったりと心に煩わんよう。これだけ、しっかり心に定めてくれにゃならん。』(M37.03.27 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『さあ/\通りよい道は通りよい。通り難くい道は通り難くい。通り難くい道ある。これだけ順序の道に諭し置こう。情に流れなよ、と言うた日ある。情に流れて了てからどうもならん。今日までいろ/\の理を拵え、それではならん。皆心一つなら、何も言う事は無い。なれど心という、二つ三つ散乱の心あってはどうもならん。頼り無い。長らえて胸の内、たゞ一つの心で、今日の道。口説き話一言、歎き話一言、言うて置かにゃならん。通りよい道は通りよい。通り難くい道は通り難くい。細道は通りよい、往還道は通り難くい、と言うてある。まあどうで一日の日があると、前々諭してある。何でも彼でも一日の日がある程に。』(M37.03.27 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『………そこで、どうしたらよかろうこうしたらよかろう、と思うやろ。皆揃うて、皆精神一つの力丸めてくれ。皆丸める理が、日々世上へ映してある。皆揃うてどうと言うや、どうもするで。中に居るだけではいかん。不足と不足とでは丸まったとは言わん。不足の無いのが真ん丸の理である。皆成程と心に治まれば、それは道である。何かそも/\ではいかん/\。どうなろうとも成る道である/\。胸の内に包む事要らん。精神心の結んだ理だけ。しっかりと。』(M37.03.27 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『さあ/\/\尋ねる事情/\、尋ねる事情は余儀無くであろ/\。さあこれ一つしっかりした話して聞かす。皆々しっかり胸に納ってくれ。よう聞き分け。これまでいかな事もどういう事も、いろ/\の道通り来たる。通り来たる中に、もうどうなろうと思た日も、どんな事もあろう。よう聞き分け。いかな事も何言うも彼あ言うも、じっとして居た分にゃ分からん/\。呼びに来る、出て来る。出て来い、行く。出て来る。これは皆神がして居る。これをよう心得にゃならん。道という、道あればこそと言う中に、いろ/\の道、一つ/\事情にて一般皆々開けてある。皆目こうのう無いものなら開けやせん。天の理であればこそ、万国まで一寸付け掛けてある。万国一体世界一体いずれ開いて見せる。どう成っても風の便りのようでは、頼り無い。それはそれだけの力しか無い。神の力は容易やない。どうなっとするで。』(M37.03.27 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『一時成る成らん、日々不自由、よう聞き分けて思案、分からんであろ。じっと身の内治まった処たんのう。誠の誠十分を受け取る。いかなる心十分思う。尽せども、一時一寸思う処聞き置き、いかなるも世上世界を眺めればいかなる人もある。一時何も不自由無く、たんのうの心分からん。心のたんのう心第一。めん/\天のあたゑ十分にあるものじゃ。今までどういう事も世上聞き置く。神の道思いを取り直せ。理を聞き分けて、心と神の道と身の内話聞き分け。第一身の処不自由年々不足と聞き分け。何不自由無き処聞き分け。たんのう誠、一つ取り直せ。心早く急ぐ。』(M20.08.16 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『これまで何も/\分からん。分からん間そのまゝ。身の内理上神のかりもの、聞いて/\一つ理を聞き分ける処速やかならん。尽す一つ理上ある。まあこうして月々年々暮らす。一々不自由、一寸心のたんのう。身の内一つ不足、十分心持ち、身のかりものこれを聞き分け。十分理まえよう聞き分けて置かねばならん。まあたんのうして十分たんのうの心の誠より無いものである。』(M20.08.16 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『さあもう十分日が詰み切ってある。もうはじけんばかり。もうせえつうが来たるから、この間から角目々々の話聞いて居る者もあり、すうきり知らん者もある。よって知らん者には聞かしてくれるよう。見れば否や、思えば否や、言えばそのまゝ見える道に成りてある。さあ/\家内それ/\の処、さあこれはどういう事や知らん、どういう道になろう。さあいよ/\綾や錦仕事に成りてある道、さあどんと心落し付けてくれにゃならん。さあふでさきの角目々々、又これまでに聞かしてある話の角目、よう思やんしてくれにゃならん。』(M20.03.24 おさしづ〔神様のお言葉〕) ※もうせえつうが来たるから=もう時節がやって来たので |
間違って昨日の記事を再アップしてしまいました!!m(__)m 誠にすみませんでした!!m(__)m ひろ |
『さあ/\一時尋ねる処/\、思う処暫く見定めて治まるがよいで。今こうしたらなあと思う。これでなくばと思う心、ころりと間違うで。人間一人々々のあたゑというものがあるで。成るよ行くよう成ろうと思うても成らせん。この理をよく聞き分け。どれだけのものや、これ程信心するのに、というような心の者皆多い。これではいかん。誠無い。受け取るものは無い。不足思えば不足になる。たんのうの事やが、受け取る事出来んで、不足思えば皆不足になるで。たんのうより受け取る事出けん。誠あればこそ、たんのうの心定まる。そこで、たんのうより受け取るものは無い。たんのうは誠、誠は天の理や。天の理なら誠より偉いものは無いで。この理をよく悟ってくれ。』(M23.05.13 おさしづ〔神様のお言葉〕) |