『人間心に一つ事情、さあ身上からいかな事思う一つ理、これまで遠く長らえての道と言う。一つ心容易ならんが身上不足なってどうする。何か一つ日々であるで。道にこうして居れば、さあ/\十分である/\。それは日々の心である。一つ通る中に、よく事情何かの処も思いやってくれにゃならん。どうでもこうでもというさしづして貰うても、心だけ運んでという事情どうもならん。どうせいこうせいは言わん。それは心やで。一つこれはという心定め替え。さあ/\人間というは一代と思うたら違う。生まれ更わりあるで。事情さあ/\よく心を定めるなら又暫くとも言う。さあ/\一つたんのうしてくれ。これまではどういう事もこういう事も、いかなる理もあったであろう。さあ/\皆思い出して運べば道は万劫末代という理、よう聞き分け。道という道、事情一旦心に嵌まり切ったら、どんな事でも心に治めにゃならん。治めば楽しみ、楽しめば未だ暫く、とも言う。この理を、早く諭してやってくれ。』(M39.03.28 おさしづ〔神様のお言葉〕) |