今まで行ったことのある城の旅日記の続き。 いよいよ四国を離れ「岡山城」へ。 ここは関ヶ原で西軍の主力となって戦った宇喜多秀家が治めていたが 敗戦・流罪により新しく城主となったのが東軍に寝返った小早川秀秋である。 その秀秋もまもなく亡くなりお家は断絶、その後は池田家が治めた。 いわゆる五大老(徳川、毛利、前田、上杉、宇喜多)の中で唯一家名が残っていないのが惜しい。 城は黒壁でカラス色から烏城(うじょう)と言われ姫路城の白鷺城と比較されるほど黒が艶やかである。 戦国時代に想いを巡らすと城の防備が薄く平坦で攻めやすい地形ではある。 広大な後楽園もあり戦国というよりは太平の時代を想わせる。 次は山陰「松江城」へと。 この城も黒塗りで威風堂々とした城郭である。 聞くところによるとより戦いに適した城作りをしているらしい。 城内にある石落としなどの仕掛けが残っている。 旅行の見どころは近くの武家屋敷や宍道湖であろう。 小泉八雲の怪談話も有名だ。 今度は一転広島を目指し西へ。 広島の前に「福山城」へ立ち寄った。 白壁に五層の天守閣がそびえたつ。 車で行ったのだがJR福山駅のとなりにあるため割と行きやすいだろう。 目的地は広島だったので時間がなくあまり長居は出来なかった。 天守に登ったかどうかも記憶にない。 城をバックに写真は撮ったような。。 「広島城」に来たものの実はあまり強い印象が残っていない。 その前に見に行った原爆ドームの雰囲気が少し旅行気分を冷ましたようだ。 写真を一枚とシャッターを切ったがここで記念写真はそぐわない気がした。 ドームの生々しいがれき跡や丸い骨組みを見ると惨劇を思わずにはいられない。 広島城も原爆により一瞬にして消失してしまったのだから。 ここから秀吉の中国大返しじゃないが九州へは渡らず一気に東へと向かいます。 実は九州は博多どんたくや長崎など何度か行っているのだがうっかり城巡りをしていないという始末。 いつか天下の名城・熊本城だけは行かねばならぬ! それでは次回は関西編でござる。 |