今日も図書館へ行った。グリフィスさんの滝近くの洋館を探しに・・・。結論から言うとまだ分っていない。昨日調べたのは、“Japan Directory”の1920年代だったが・・・今日調べたのが研究家に教えてもらった“Chronicle Directory”の1928~1942のもの・・・ここにはアドバイス通り日本在留外国人の居住地も記されていた。1933年以降は、グリフィスさんのお店と同じ番地が個人の住所としても記載されていた。1928年から1931年までは、お店の住所の他にもう一つ住所があったようで・・・それに気が付いたときには、“やっとたどり着いた”と思った。だがよく見ると、かなり西方の海辺の住所・・・簡単に調査研究は運ばないものだ。1927年以前のものを見てみたいのに、一番知りたい年の資料が我が町にはない・・・と言っていたオーストラリア在住の研究家の言葉が重く圧し掛かってきた。さて、どうするか・・・このことで、すぐに横浜に飛ぶほど、私には研究家魂がないし、時間の余裕もない。とり合えず、海辺の住所までは分かったのだから、その近辺の役所を訪ねて当時の住民表がないか調べてみようと思う。一進一退を繰返しながら何年もかかって歴史上の出来事を、今に蘇らせる研究家達の努力と執念が日毎に理解できてくる。明日、昼から居留地研究会が開かれる。私も参加するつもりだが、改めて先輩研究家のアドバイスを受けたいと思う。 |
今日の研究会での発表テーマは二つ…今月初旬に開催された高校生・大学生の研究発表とは違い、プロの研究者である大学教授の‘近代上下水道の創設と居留地’と大学女性講師の‘わが町の洋菓子~その歴史と経営学~’というものだった。どちらも研究発表としては興味深く、優れた内容だった。気になったことは…発表後の発表者に対する質問時間に、質問というよりは否定・攻撃のような内容が多く、さすがに研究者(大学教授が多かった)の多い講演会は、発表者も気が抜けないものだと良く分かった。講演者に対するこのような反応を示すのも彼らの宿命なのだろう。また、丁寧に礼儀正しく紳士的な語り口でありながら相手をズタズタに切りつけている様子は老年大学教授特有の攻撃的姿勢の表れだと理解した。この試練に耐えて研究発表を繰り返した者が、本物の研究者になるのだと思った。 いつも話しているが、私は研究者ではないので、絶対にこの人たちの前では発表などしないでおこうと肝に命じる。 発表会の後で、私の車で例の研究者を彼の自宅近くまで送りながら車中で20分ほど、グリフィスさんの滝近くの洋館についての調査のその後についてアドバイスをもらった。彼曰く横浜に行かなくてもわが町の図書館・文書館で事足りるとのこと…また新たな資料を教えてもらった。さらに法務局で過去の土地台帳を調べてみる調査方法も教えてもらった。まさに研究者の作業は探偵のそれと似ている。 来週中には、住居所在地にたどり着いて、オーストラリアの研究者に報告したいものだ。 |
最近1週間に一度は、ゆっくりと子供と二人だけで話をする機会を作るようにしていて・・・子供から“お父さんも、そうやったん・・・”とよく言われる。どういうことかと言うと、今まで絶対的存在(自分より、よくできた人間)だと思っていたけれど、実は自分と同じように弱くて、まぬけなところがあると気がついた・・・と言っているのだと理解している。そう考えて振り返ると、私自身も子供にこうあるべき(生きるべき・努力すべき)だと押し付けるなかで、よくできた父親を演じていたように思う。今から思えば子供には自分の飾らない生き方を見せるだけで良いように思う。親に備わっていないものを、口だけで子供に求めることは彼らにとっては苦痛であったに違いない。私が素の私を見せれるようになったから、今子供も自分の素の姿を私に見せるようになった。私が飾らない親になれた時、子供は今まで私が言い続けてきて、聞こえなかった同じ私の思いを理解しようとするようになった。今私は、やっと親になれたように思う。 例の我が町の歴史研究家に、オーストラリア在住の歴史研究家のプライベートを聞いてみた。彼女は、仕事で若いときにオーストラリアに駐在するなか、オーストラリア人と結婚し定住するようになり、ハーフのお子さんが何人かおられるとのこと・・・ 私の物語のなかで、彼女の現実の生き方がとても重要に絡んでくる。あまり、現実そのままではいけないし、何故なら私の物語では彼女にインスピレーションを得て登場する女性は実在しない英国人と、プラトニックな絆を持つからである。オーストラリア人のご主人が気を悪くしないように、物語を進めなければ・・・ |
英会話を習うことになった。昨日、知人から個人レッスンの講師(日本人)を紹介され、来週から周一回でお願いすることになった。その講師は、一般にも有名な英会話学校の先生だったのだが、つい最近リストラにあったようで、現在求職中である。我が国の不況を反映しているのだろうか・・・それとも、日本国民が必要とする語学が英語から中国語にシフトしてきたためだろうか・・・いずれにせよ英会話教師にも受難の時代が訪れたようだ。いずれ、私も近いうちに英国に行く必要に迫られるだろうし、このたびの話は私にとって、とてもタイムリーな話だと思う。社会人になった最初の頃に自己啓発のために勧められて以来の英会話レッスンである。少し記憶力は落ちたかも知れないが、物事のポイントを押さえる術は成長してきたと思う。先生の力量を信じて私は自分のベストを尽くそうと思う。 今日は、文書館へ行った。文書館は図書館と少し違い・・・所蔵本がすべて貴重な資料のため貸し出しが許されない。従って、研究者しか見当たらない。2時間ほどかけて1900年から1923年の“The Japan Directory ”に目を通したが、残念ながら今日も不発…住所は会社所在地しか載っていなかった。 明日は法務局で登記事項を調べてみよう・・・あっ、だめだ!明日は祭日だ。 我が町の研究家から我が町の大学に所属する研究家のスコットランド人を紹介してもらえることになった。彼は日本語がしゃべれるのだろうか・・・・・・ |
狩猟民族の習性に、逃げる獲物を追いかけるというものがあると思うが・・・最近の自分自身は、グリフィスさんのことを付き止められず、毎日習性どおりに図書館やらに通っているように思う…。今日も中央図書館に行ったが、案の定収穫はなし…。ここまでくると、最初にインプットされた情報が間違っているのではないかとも思えるのだが、例えそうであったとしても、いまさら怒りを覚えることもないし・・・情報源のオーストラリアの研究家に、あなたの記述には間違いがあるのではないか・・・と言うには、もう少し自分で納得できる調査をしておきたいと思う。自分が犬型人間か?それとも猫型人間か?と尋ねられれば、今日は迷わず犬型だと言う。犬は、獲物を追いかけて捕まえる。猫は自らの臭いを消し、目の前を通るのを待って襲いかかる。だから研究家は全て犬型だ…と今日は思う。 そうそう…私の女性に対しての思いもそうかも知れない。少しは冷たくされたほうが、燃えてくるのかも知れないな・・・だが、本当に嫌われてるのに追いかけたらストーカーになるし・・・そこのところの見極めが肝心だなぁー・・・ |
今日は、私のお休み日…水曜日は、朝から散歩して、スーパーに買物に行って、昼から料理して、酒を飲んで、昼寝して、夕方…評論家の青山繁晴さんのテレビを観て、晩御飯を簡単に済ませ、早い時間に寝てしまう…と言う日課なのだが、今日はわが町の歴史研究家からスコットランド人の研究家を紹介すると言われ、いつものように家を出た。午前中、仕事して…二時から居留地20番にある待ち合わせの喫茶室に行ってみると、知らされた通りわが町の歴史研究家と居留地研究会の事務局長とスコットランド人がいた。念のため言っておくが、私がうっかり遅れて行ったのではない、他の人より30分遅れて来るように言われたからだ。 スコットランド人は日本語べらべら…。その点会話の中に入ることはできたのだが、話題が超マニアック…横浜開港資料館が所蔵している一枚の写真を見て、参加者の推理・議論が続く。歴史に興味を持ってわずかの時間しか経たない私にはついて行けない。今から120 年ほど昔の写真を前に撮影場所、撮影日、写っている人物の特定…その当時の世相へと話題が広がる。私は、この人たちの輪のなかに参加している自分を幸せに思い…歴史研究家に対して、今まで以上に興味を持った。 今日は紹介されたスコットランド人と話をすることはなかったが、いずれ膝を交えての議論を展開すると予感する。 |
25日は給料日…、いただく側ではなく、渡す側で長いことやってきたから残業代もボーナスも関係ない役員報酬を受け取るだけの年月であった。本業以外での収入は特に固定したものはないから、その部分が私のボーナスと言ったところかな…。私の子供が昔から父親の仕事はなにかと訊ねられ、いつも悩んだ…と言っていたが、今では自分のことを、ある程度固定収入のある自由業だと理解している。少なくとも人の下で働くことは、これからもなさそうだ。…とか考えながら…以前より少ない枚数になった給料袋に現金を入れた。 2週間ぶりでギター教室に行った。最近少しモチベーションが下がっている。曲を演奏することより、最初の頃に習っていたような基本の弾き方の練習ばかりで、あまり面白くない。基本は大切だと思うけれど奏法のバリエーションばかり話をされると理解できないし退屈だ。今日先生は最後に“こんなレッスンでええんやろか…”とおっしゃったけれど…正直なところ、それはないよな!…と、思う。ギターレッスンでの第一の正念場がやってきたような気がする。次回は先生と少し今後のレッスンの進め方について話をさせていただこうと思う。今日の私は、レッスン開始半年足らずの生意気な生徒である。 物語のことは、今日はお休みさせていただこう。 |
今日は、夕方からボジョレー・ヌーボーの会…11月の第3木曜日が解禁日だから既にかなり時間が経っているので、もう飲んだ人も多いと思うが(そうそう私も、もう飲んだけれど)まさに遅ればせながらのワイン会だ。それがね…いっしょに予約していた男性が突然キャンセルになったもので、今慌てている。急遽参加できそうな近くの人に連絡を入れているが、当日のこんな間際で時間が空いている人はまぁーいない。すでに私が会費を払っているし、基本的に返金なんて言える状態ではない。このままだと一人分の会費が消えてしまう。もったいない・もったいないと時間だけが経過する。この手の問題が発生すると、結構いろいろなことに支障がでるもので、メールやら電話するだけで仕事が進まなくなった。誰かみつけないと…会費がもったいない…もったいない… 今は、このことで、頭がいっぱい… 1時間半前に、やっとみつかった。1時間遅れだが甥がやってくる。とり合えずこれで仕事に戻れる… |
昨日のワインの会は楽しかった。私のテーブルには、薔薇の先生、謎の京都人、中華料理店の女主人、パリ帰りのフラワーコディネター、ヨガの先生でボーカリストのダンサー、そのフィアンセ?、それに主婦二人…数種類のヌーボーを料理に合わせて飲み分けた。料理はビルの5階のフランス料理店のそ日のための特別料理だ。原価の高い素材は使用していないが、これぞ“料理”という内容であった。お腹も心も満足して会場を後にした(どうやら二次会が翌日になるまで続いたらしいのだが…)。甥といっしょにショットバーへ行った。結婚している甥は精神的に障害があり、外に出て仕事ができない状態だと聞いていたのだが、二人になって話をすると、最近改善して、働きにでれるようなったことが分かった。だから今日も仕事帰りにやって来た。少し身長が高くなったように思い、聞いてみると、奥さんの知っている川西の理髪店で猫背を直してもらったと言う。なんだか変だなと思いながら聞いていると、どうやら少し宗教チックなお店らしく、聞いたけれど忘れてしっまったが“日本古来のなんやら”を習得した人が整体のようなことをしてくれるらしい。おそらく、身体に触る資格がない状態で治療するから、理髪途中のマッサージということになるのではないか…?怪しいと思わず、興味があったら、連絡先を教えると言うのだが…さて、どうしよう。首をみてほしい気もあるのだが…どうしよう。あなたなら、どうする? ともかく、甥が外で働けるようになって良かった。 |
12月1日(水)に、町の新しい商業団体の設立準備委員会の発足式を行う。今日は、その関連の書類を作っていた。 その会の名前を“……Jamの会”と言う。……には町の名前が入る。 今も、そのことで頭がいっぱい・・・その勢いで今日書いた文章の一部をここに記して今日は、ブログの筆をおくことにする(関係ないか…)。 ……Jamの会とは ……というカルチャーエリアのなかで おいしい素材を混ぜ合わせて さらに おいしいJamを作るように 近隣の商業者や団体、学校、さらに住人、行政とも 情報の共有とネットワークの強化を通して ハードとソフトに類い稀な資産をもつ カルチャーエリアとしての認識の普及をおこない “素敵な……”を発信し 地域の発展、活性化を目指す 若手商業者が中心となり設立・運営する会です 2001年12月1日 書くのは簡単…伝えるのは難しい…実践するのはもっと大変… なんとか、うまく離岸させたいもものだ。 |