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SOLILOQUY

ひとりごと

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November 09, 2010 22:27:32

強風

カテゴリー: 日記
朝6時前に家を出て6時半に出社した。7時20分に空港島に行きイベントの準備を少しだけ手伝い8時半には定期検診のため病院で血液検査とレントゲン撮影…診察までの9時までに半日経過したような勢いで時間が過ぎた。検査結果は良好、血液検査の結果は先生がベタ褒め…コレストロール値は低く…絶賛された。しかし、見た目が太ってきたと指摘を受け(本当に体重が増加傾向である。)「いつもと、変わらない食事なんですが…」と言うと、「太ってきた人は、みんなそう言うけどね。私もやけど…年齢とともに代謝が悪くなるから、同じだけ食べたら太るわな…」と返ってきた。思い切って質問してみた。「私が将来、再手術する可能性はどのくらいですか?」「今の状態では、考えなくて良いけれど、肥ったら血圧上がるし危ないよ。解離は今でも残ってるからね…手術の確率は30%…」さてこの30%をどう考えよう。いや考えないでおこう。それより少し体重を落とそうと思った。
先生の話はまだ続いた。「心配ないよ、後10 年は私が手術してあげるから…それ以後は、もうせんと思うけど…」と笑っておられた。有り難い話ではあるが、なんだか重たいような…複雑な話である。

さて病院を出て空港島へとんぼ返りした。イベントの開始時間が過ぎ、来賓が徐々に増えてきた。ミラクルひかる(宇多田ひかるのそっくりさん)・ピアノの弾き語りのおじさん・シンガーソングライターの女性・フラダンスバンド・ロックバンド・南京玉簾等のエンターテイメントが続いた。彼らのことを書こうかと思ったけれど、実はそれよりもっと大変に思うことがあったので書いておこうと思う。ご存知のように今日は強風が吹いていた。しかも、ここは遮るもののない白波がたつ海の上…スピーカースタンドは倒れるは、急遽屋外イベントのスペースが移動変更となるは、ハプニングの連続…風に体温を奪われ震えながらのイベントだった。主催者側もさぞ大変だったろうと推察する。
November 10, 2010 21:44:27

強風

カテゴリー: 日記
昨日のイベントでは、私は昼過ぎまで音響の先生を手伝った。11時開場を前に‘ミラクルひかる’が入念なリハをした。最初に先生から「ひかるちゃんにマイク渡して…」と言われたが誰がひかるちゃんか分からず「どこにいはるんですか…」と聞き直すと「はい、私です。」と目の前の女性が答えた。本物ではないにしても芸能活動をしている人にタイミングの悪いことを言ったような気がした。笑って受けてとってくれたことが救いだった。直後に町の新しい商業団体設立の会議のために会社に戻った。前回の会議とは違いオブザーバーのいないこの度の集まりはかなりの成果があったと実感する。‘二八(ニッパチ)の法則’を思い出した。‘100 人の組織があったとしたら、その組織を実際に牽引するのは二割の20 名である。もしその20 名をなんらかの理由で組織から引き離せば、残り80名の2割に当たる16名が新たな組織の牽引役と進化成長する。要するに組織のなかで本当に組織のために働くのは二割の人だという法則’と言うものだったと思うが…まさに狙い通り…年長の幹部を排除した新しい組織は、思考錯誤を繰り返すだろうが大きな成長の可能性を感じる。
会議が終わり、音響機材引き揚げのために本日3回目の空港島に向かった。埋立地を突っ切る空港への道は信号も少なくまさに一直線…車の距離計がぐんぐん伸びる。橋を渡る車がやけに横に流される。会場には相変わらず強風が吹いていた。音響の先生は一日中、吹きさらしのなか立ちずめで体は冷え切っていた。老体の先生の背中をさすってあげた。結局ミラクルひかるのステージは見れなかった。当日のメインエンターテイナーだけあって衣装の早変わりもあり一番の盛り上がりがあったそうだ。ひかるちゃんを除く出演者全員での合唱でお開きとなった。観客と出演者が去った祭りの後のステージをいつものように黙々と機材撤収した。思ったよりも早く午後8時には帰路についた。風の強さがやけに記憶に残る一日だった。

以前にも書いたが、グリフィス氏の記録は、日本にはほとんど残っていない。神戸で貿易会社に勤めながら、戦前日本に在住した西欧人の生活実態をまとめた文献を残したオーストラリア人のハロルド エス ウィリアムズ氏がオーストラリアの大学に寄贈したウィリアムズコレクションのなかにのみ存在が確認できる。その記録を参考に田村恵子女史がオーストラリアの大学の資金援助を受け2000年代に半年間の日本で検証をもとに…出版された‘Forever Foreign’という本のなかにグリフィス氏の存在を蘇らせた。私も独自で調べてみたが、ほとんど彼の記録は見当たらない。‘Forever Foreign’のなかにグリフィス氏の自宅が滝の近くにあったと書かれていた。ちかいうちに、その場所を特定したいと思っている。
November 11, 2010 22:01:23

課題

カテゴリー: 日記
ギター教室に行った。レッスンの途中で、先週先生に話をした…先生が演奏始めると変化する呼吸法について、今週もかぶせて聞いてみた。「先生は、先週自分の演奏中の呼吸法の変化について聞こえない音や鳴っていない音を聴こうとするからとおっしゃいましたけど、確かにそれはあると思いますが、それだけでは無いように思うのですが・・・」と尋ねると「そうやねん・・・、あなたが呼吸法のことを言うもので、実は3・4日前から演奏で変えたことがあって・・・聞いてみて・・・」と言って、弾き始めた。「分かった・・・?以前はこう弾いててん・・・」と、弾き始めた。「分かった・・・?以前は最初からいい演奏しようと思って力が入りすぎてたんやけど、呼吸の仕方を指摘されて、出だしは軽く弾き始めるようにしてね・・・今、その感じで、他の曲も見直してるのよ・・・」ということだった。それは、先生の演奏が力み過ぎていると私が言ったみたいだけど・・・そうではない。だが反論はしなかった。「先生・・・私が先生に課題を与えたってことですか・・・?」と言うと「そうやね・・・有難うございます。」と先生がおっしゃった。
気づきと言うものは、人から与えられるものではない。自分自身が手を伸ばして掴むものだ。私が先生の気づきのささやかなきっかけになったのであれば喜ぶべきことである。先生が取り違えただけに違いない。私の疑問が直接新たな展開を産んだのではないことは、よく理解しているつもりだ。

グリフィス氏の写真が僅かに残ってる。紋付袴に扇子を持ったもの・・・もう1枚は背広を着て芸者と並んで月見をしている二人の後姿を写したもの・・・どちらの写真も日本文化を愛した彼の精神が表れている。実際に能・茶の湯をたしなみ、日本の歴史・芸術・文学について一般の日本人以上に深い造詣を持っていた彼は、同時に芸者の踊りや唄等を日本の伝統芸と理解し、遊びもおおらかであったようだ。当時珍しかったキャラメルを芸者に配り彼女達から親しみを込めて“キャラメルさん”と呼ばれていた。また自宅での茶話会に芸者達を招くなど、日本での独身生活を屈託なく楽しんだ人物である。
November 12, 2010 21:00:25

左手

カテゴリー: 日記
今日の昼、智内さんのチャリティーコンサートが私たちの会場であった。なんのチャリティーかは分からない。全員で25名ほどが参加していただろうか・・・別室で壁を隔てて聞いていたが、私のレベルでは片手で弾いているというふうには聞こえない。かなり音楽の造詣が深くないと両手で弾いている人の演奏と何が違うか分からないと思う。幾つかのことを感じた・・・一つは、人間が持つ底知れない潜在能力・・・なくした右手の音を半分の指(5本)でカバーできるということ・・・そういえばフランス人でジャンゴ・ラインハルトという左手の指が3本のギタリストがいたけれど、彼も5本健在の人に負けない早弾きで有名だった。もう一つ感じたこと・・・ハンディを持つ人は、最初からその目で見られてしまうが、ハンディを持つ人のなかでハイレベルの人は、健常者と比べても見劣り(聴き劣り)しないレベルまで達している・・・いや健常者にはできない演奏で、聴く人に感動を与えようとしているように思う。智内さんは、世間の目(耳)を充分意識しつつ、いつか“左手だけの”という紹介時のフレーズが消えていくことを、日々切磋琢磨しながら、待ち続けているように思った。
そんなことを考えながら、今日は初めて智内さんのCDを購入して、車のなかで聞きながら帰路についた。
思ったよりも暗かった。

日本が第二次世界大戦に参戦する前年1940年1月にグリフィス氏は、スパイ容疑で半年間拘留された。それは、彼が他の外国人に比べ日本に関する深い知識があり、彼が出版に関わった書物が天皇、武士道、日本人の精神論を解説するものであったこと…、彼の行動範囲が日本の上級士官や政治家と重なるところがあったこと…、それに彼のお店に出入りしていたオーストラリア人がスパイ容疑で先に拘束されたこと等によると思われる。当時日本国内の世相は、前年1939年に火の手が上がった反英運動の流れのなかでスパイに対して非常に敏感になっていた。
November 13, 2010 03:42:27

一日

カテゴリー: 日記
今日は、昼から大阪の堺へ行く予定…イタリアンレストランで催される年に一度の好例の音楽イベントのためだ。音響の先生の車が壊れたので、私の車に機材を積み替えて行く。午前中は会社で仕事して、二時半出発予定…家に戻れるのは、明日になりそうだ。とてもゆっくりブログを書いている時間がなさそうだから、今書いておこうと思って真夜中に起きてきた。そうだ…高速道路の一部が全面通行止めで改修工事をしていることを思い出した。早めに出たほうがいいかも知れない。
今日は、こんな一日…ブログもこの程度にしておこう…
さて、もう一寝入り…
November 14, 2010 21:07:32

深夜

カテゴリー: 日記
昨日のステージは2回公演・・・6時から食事(コース料理)がスタートし7時からライブ開始で8時半終了・・・お客様が入れ替わって8時半から食事がスタートし9時15分ライブ開始(2回目はサービスが慣れているので、お皿だしのペースが少し早い)で10時15分終了の2ステージだ。町場のイタリアンレストランだから、出演者の控室もなく、ライブの間、私は店の外からガラス越しになかの様子を伺いながらラストの曲を待った。周囲の環境は未知の下町の繁華街・・・肌寒さを感じながら一人で数時間、夜空の下でじっとしているのもつらく退屈で・・・途中、座を外しサンマルクカフェでコーヒーを飲み、手洗いを借りた。イベント終了でお客様が席を立たれてから撤収開始・・・今日も、先生と私は他の出演者が引き揚げたその後で我が町へ向け車を出した。高速道路への乗り口が分からず迷ったもので、予定より時間がかかって会社に到着・・・それから家路についたものだから結局帰り着いたのが翌日の1時過ぎ・・・酒を飲まずにこの時間に帰ることは、最近は、まぁー無い。それでも深夜の大坂の町中や、がらがらの高速道路を運転できて良い経験ができた。
肝心なことを言い忘れたが、昨日のボーカルは2000年のジャズボーカルコンテストでクィーンに選ばれた一級のボーカリスト・・・その他、ピアノ・ベース・ドラムのメンバーも関西40歳代のミュージシャンとしては、トップクラスの人達であったこと。そして、私たちのための、まかない料理はさすがにメインディッシュはなかったものの、一般客と同じ前菜とパスタでもてなされたことを書いておこう。料理につられて来年も、またやって来たい会場である。

滝近くのグリフィスさんの自宅場所を特定するため、我が町在住の例の先輩歴史研究家に、調査方法(どこで何を調べればよいか・・・)を尋ねた。彼は丁寧に図書館でどの資料を引っ張り出せば良いか教えてくれた。同時にグリフィスさんの自宅は、英三番館(居留地近く)の敷地内西側にあり、滝の近くの家というのは、検番(ゲイシャ・ハウス)が所有していた屋敷だと主張した。私は、真実がどうなのか悩んでしまった。ともかく、本の作者であるオーストラリア在住の研究家にグリフィスさんの家の情報源に間違いないか問い合わせるメールを送ることにした。
November 15, 2010 22:41:27

抹消

カテゴリー: 日記
ふと考えた。このブログでは登場人物に関しては、勿論私を含め実名を用いずに書いているのに、何故ピアニストの智内さんだけ、名前を出しているんだろう・・・と。智内さんは、おそらくこれから世界に羽ばたく人だから特別ということもあるかも知れないが・・・そもそも私が実名を出さない理由は、もし一人でも名前を明らかにすれば、たどっていけば私が誰か分かってしまうからで(しかし、あなたは、すでに私は誰かご存知だと思うが・・・)・・・、智内さんの名前は適当な時期に仮名に変更しておこうと思っている。この間のコンサートにはNHKテレビがカメラをもって取材に来ていた。彼はコンサートが終わってすぐにNHKのラジオのインタビューを受けるためにスタジオに向かった。そして、夜中には翌日の東京でのコンサートのために夜行バスに飛び乗ったらしい(夜行バスで行くところが庶民的だな・・・もう少し儲かったら飛行機になるんだろうな・・・)。まぁー彼は、近い将来、とても大きな音楽家になるに違いない。はやいうちに映画音楽の作曲を真剣にお願いしたほうがいいかも知れない。

ネットのなかで、私の職場の近くにある山の上にある公園の写真を見つけた。紅葉の山を近景に海上都市を臨む写真だ。この公園には20年近く行っていない。久しぶりで登ってみようと思った。

オーストラリアの研究家から返信メールが届いた。滝近くの洋館はゲイシャ・ハウスではなく、グリフィスさんの家であることは間違いないとのこと・・・この件に関してはウィリアムズコレクションのなかに記載されていると言うのだ。ただし戦後補償の裁判では、この屋敷は対象にはならなかったようで、戦前に違う場所に転居したのであろうとのこと…。おまけに図書館(我が町か・・・横浜開港資料館)で1920年からのジャパン・ディレクトリーを調べてみるように指導いただいた。今週中に我が町の図書館に行こうと思う。この場所が今はどのようになっているか分からないが、自分自身がその跡地に立ってみるという実体験が私にも大切に思えてきた。少し研究家魂が芽生えてきたのかしら・・・
November 16, 2010 22:06:42

辺境

カテゴリー: 日記
私の家にはテレビが4台あるが、すべてアナログ(私の部屋にはテレビはない)である。来月からエコポイントが半減するそうなので、そろそろ地デジ対応のものを一台買おうかと思うのだが、問題は住んでいるところが県下でも有数の電波状態が悪い場所で、通常のアンテナでは電波を拾えない。そのため現在も近くの小学校の屋上に我ら小地区のために少し大きなアンテナをたてさせてもらい、近くの300世帯のみ特別にケーブル回線を引いている。そのため一般のケーブルテレビの進出がなく、このままでは来年夏以降見ることのできない局がでてしまう。選択肢は狭い。すべての放送を見ようとするなら電話の光回線を利用するしかなさそうだ。そう…今日何が言いたいかと言うと、私が住んでいるところが辺鄙なところだと言う事…関西でも有名な温泉街から山ひとつ越えたところだが、ちょうど山陰になっている。テレビっ子なら悲しむべきところだが、そうでなければ空気もきれいし、水もおいしい、夏は涼しく、冬は寒い…まぁー総合的に考えて悪くはない住み処だ。しかし5年以内に引越ししようと思っている。海が見えるところに…

疲れた。町の商業者の会…今日もあった。うまくいっているけれど…疲れた。

私が初めて絵の手ほどきを受けた画家が戦前(1930年代)にグリフィスさんのことを書いたエッセイが残っている。グリフィスさんの店を道路越しに描いていた画家(画家はほぼ同じ構図でグリフィスさんのお店の絵を何度も描いていた)に彼が近づいてきて、画家の参考にと…店を描いた絵の写真を見せたそうだ。その絵の原画は、実はその画家自身が描いたもので、見せられた画家は嬉しく思い、笑いながら彼の話の続きを聞いていると、彼が写真の原画を所有していると言い始めたので、(その絵は発表前の作品で、画家のアトリエにあった)嘘を言ったグリフィスさんに厳しく注意したら、丁重に謝罪したというエピソードだ。翌日グリフィスさんは、お詫びのしるしとして、その画家を店の2階の本屋に招き、洋書の画集等を見せたという。グリフィスさんは、かなり調子のいい人だったようだ…
November 17, 2010 21:06:08

料理

カテゴリー: 日記
今日は、一日家でゆっくりした。午前中にスーパーに買物に行って料理をした。豚のブロックを買って、じゃがいものニョッキを入れたトマトベースのシチューを作った。私の味付けは、体調のこともあり少し塩分控えめだが食べた人の評判は上々…。なにより作った自分が大満足するものだった。晩御飯はあっさり卵と鶏の、ぞうすいにした。それでも昼に食べ過ぎた分…明日朝の日課の体重計測には正直にその結果が出るだろう。私の健康上の敵は体重増加…明日の昼はマダムの店でデトックスランチ(私が写真撮影してポスターやチラシを作った。)を予約している。これから数日かけて体重を落とすことになる。久しぶりの家での休日、昼寝もしたりして…すっかり生命力を回復できたように思う。

明日、図書館に行って例のジャパン・ディレクトリーを調べてみるつもりだ。ジャパン・ディレクトリーとは、日本での在留西欧人の名簿みたいなもので、毎年発行されていた。だから年を追って調べていくと、一人の人物の職業、居住地の移動が分かるというものだ。図書館の係の人に保管庫から出してきてもらう貴重な資料であり、わが町では保管されていない年があるとオーストラリア在住の研究家が言っているように思う。滝近くの洋館がグリフィスさんの家であったかどうか明日わかれば嬉しいな…
November 18, 2010 20:13:56

資料

カテゴリー: 日記
予定通り図書館に行った。調査関係のデスクで調べてもらうと、確かにJapan Directoryという資料はあったが、やはり貸出禁止の重要文献保管庫に保管されていた。1920年代のすべてのものを出してもらうと一冊15cmの厚さの本が8冊になり(2年間2冊は揃っていなかった)かなりの量で・・・ワゴンに乗せたまま貸し出された。残念ながら、グリフィスさんの当時の居住地は分からなかった。掲載されていたのは、彼の職場であったJ.L.Thompson商会の所在地・電話番号・役員・社員名だけであって役員住居の記載がない。せっかくだから社員の毎年の入れ替わりだけは、全て控えてきた。これで振り出しに戻った。これから、我が町の歴史研究家に今日の報告をして、アドバイスをもらうつもりだ。空襲での資料焼失が無ければ国内に残る日本語の住人台帳から分かるかも知れないが、さてどうだろう・・・その線からも探ってみようと思う。
今日は研究家まがいのことをしたが、つくづく私には向いていないと思う。同じ場所にずっと居続けるのは苦手だ。一箇所には留まれない。今日の図書館の予約閲覧席には何人かの閲覧者(研究家?)がいた。彼らは、おそらく一日中資料とにらめっこして過ごすのだろう。私には、そんな気の長さがない。我が町の研究家もオーストラリアの研究家も私とは全く違う人種だと・・・改めて思い知った。

ただグリフィスさんの住まいだけは、なんとか突き止めるつもりだ。気の短い私にもやりかけたことは、最後まで遣り通すという・・・少し熱いところもあるということは分かっておいていただきたい。
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