“身もだえする痛み”という意味を辞書で調べてみると、それなりの説明があるのだろうが、実際にそのような痛みを経験したことが無ければ、文字を読んだだけでその痛みを想像することは難しい。ただ何かの拍子にそれに近い感覚を味わったなら、その痛みは頭のなかでイメージ化される。 “身もだえする痛み”のなかには、死にそうなくらいの痛みもあるし、それほどでもない痛みもあるし、本当に死んでしまう痛みもある。ほとんどの人は経験したことのない傷を負ったとき、その痛みがこの世の中で最もつらい痛みのように思うが、死んでしまう痛みに比べればたいしたことはない。 “身もだえする痛み”を今、感じた時、それまで思っていた“痛み”がそれほどの痛みでなかったと思えるものだ。だから自分にとってそのときに最高につらい痛みはあっても、世の中で最もつらい痛みというものはない。 まだ自分の知らない大きな痛みがあることを知り、今その痛みを感じている人がどこかにいることを客観的に理解することが、謙虚に自分が世界の中心に在ると思うために不可欠な要素に違いない。 あなたにとっても、私にとっても、今知る“心の痛み”は、自分に厳しく、人に優しく在るための小さな糧なのだろう。 |
先日、人に私のあることを褒められ「それを褒められたの初めてや。たいしたことないよ!」と即座に答えた。これを謙遜というのだろうか・・・「謙遜」を辞書で引くと〔へりくだること。控え目な態度をとること。〕とあるが、褒められた対象が私にとってはプロフェッショナルとの比較だったので、控えめな気持ちはではなく心からまだダメと言いたかっただけなのだ。私を褒めたその人にはへりくだっているように思えたのだろう。その人は「褒められた時は、素直に有難うって言ったほうがいいよ!」とささやいた。「謙遜」の意味は、まだよく理解仕切れていないが、これからは先ず有難うと言ってから後を続けようと思う。 私を褒めたその人は、21才の女性だった。おっさんも若い人から教えられることもあると、数分後にため息をついた。 |
リクルートスーツと言うスタイルがあるようだが、私には理解できない。誰もが同じに見えてしまう。ピックアップする面接官からすればスタイルが同じ方がその人自身の本来の資質を見抜けると言う考えもあるかも知れないが、いつもの人格とは違う秀才タイプを演じる演技の上手い下手が判断基準になるかもしれない。面接官も退屈だろうな。 きっと面接時の服装が個性的なほうが良くて、受け答えが形式どおりだと内定しないなって言う企業もあるに違いない。そんな企業は極々少なくて絶対NHKでは話題にならないだろうな・・・ 世の中の多くの人は、一番競争の激しい人生に身を投じる。その人生の勝者は1%にも満たないだろうに・・・99%の人は1%の人の引き立て役を生きる。(この比率は仮定の数字)そういう教育を十数年受けるんだから仕方ないかな。 私は、競争が人生のすべてであったなら1%の勝者にはなれないと自覚している。だが1%の人が持ちえていないものを私は身につけていることも自覚している。このことが私の生きる術となる。人が言うことは素直に聞き、だがしかし鵜呑みにしないで、自分の言葉になるまで咀嚼し、新しいものを作り上げる・・・こんな人生を生きていきたい。 自分自身は学生の頃、リクルートスーツ着てたっけ?と思い返すと、そういえばネクタイは絞めてたかな。でもスーツじゃなくてブレザーだった。周りの人はスーツだったな。私に期待し採用していただいた専務、センター長、人事部長有難うございました。最後までお役に立てなくて、今でも申し訳なく思っています。 |
少年の頃、運動クラブできつい練習の後、次の日は絶対休むな!と言われた。きつい運動の後に筋肉は破断し、その筋肉が再生する時により太く強いものに生まれ変わると教えられた。分裂と再生の繰り返しが上昇するために不可欠と言うことだろう。痛みに対するノーマルな感受性は開発能力の埋没を意味する。痛みを麻痺させる術を身につけること・・・マゾヒスティックな感覚って大切かもしれない。 あなたはどれほどの痛みを経験したことがありますか?叫びたいほどの痛みですか?声もでない痛みですか?その経験の分だけ少し人生が変わったかも知れませんね。痛みから逃げず受け止めコントロールできたなら・・・自分の強さを信じて、痛みに向かっていく気持ちを持てば違うステージに進めるかもしれませんね。次のステージに進むためには1回だけのチャレンジでは無理に違いない。もう一度繰り返すしかないような気がします。 |
「昔から変わらずそこにあって、これからも動くことなくずっとそこにあるように思える目の前の岩・・・ この岩を地球の一生で見てみると、数万年前は海の中の生物だったかも知れないし、数万年後は朽ち果ててそこには何も存在しないかもしれない。 この岩を原子の大きさで見てみると数え切れない原子核の周りを電子がすごい速さで動いている。 あなたにはこの岩が今は動かないように見えるだけ、あなたも含めてあなたの周りで変わらないものは何もない。」 うろ覚えで少し違うかも知れないけれど、昔読んだ本のなかの忘れられない一節だ。 目の前の人だけが変わるのではなく、周りの人と同じように自分自身も変わっていくということ。自分を含めた全てが変化することを前提に生きることが懸命なんだろう。 「諸行無常」ということなんだろうね・・・ |
知人の出演する催しを観るため“兵庫県立芸術文化センター”に初めて行った。たいしたもんや。関西にこんな素晴らしい施設があるやなんて・・・嬉しなってくる。世の中、景気悪いと言いながら芸術のためにこんなに人が集まるなんて日本は文化度高いんやと思うわ。そもそも“文化”なんてものは“エコ”とか“もったいない”なんて言うたら育つわけないし、このホール空間の空調の電気高いやろなとか、こんなところに大きい石置いてなに考えてんのやとか、苦しい庶民の生活のこと考えんとなに無駄遣いしてるんや!とか言い始めたら最悪や・・・ガウディのサグラダ・ファミリアなんか百年かけて、経済活動からみたら無駄の極致を世界中から人が集まってやっとるわけやし、馬鹿ができんと人生面白ないわな。 それに比べて“西宮ガーデンズ”は商業主義の金字塔やね。入り口に白人外人の男の子が日本語で“いらっしゃいませ”言うて入館者を出迎えとったけど。文化度の低さまるだしや。そんなん見たら、このホールの空調費もったいないと言いたなったわ。今日はちょっと疲れとんな・・・ このへんで神戸弁?は終わりにして・・・ だけど、どちらも人がいっぱいでした。私は世の中の人と少し好みが違うと思います。毒舌を吐きましたが、私の方が間違っているような気もしています。ガーデンズを設計した人や、二人の白人外人を含めこれらの施設でプライドをもって働いておられる方々にお詫び申し上げます。 今日は、二つの施設を同時に見ることができ、とても有意義な一日でした。今日誘ってくれた知人に感謝したいと思います。 |
あなたには“ジンクス”ありますか? 私の知人で“街中で坊さんを見た日は、なにか悪いことが起こる。”と真剣に言う男がいた。なにかアクシデントが起こるたびに“今日は坊さんを見た。”と言うのだ。町でお坊さんを見かける確率は、通勤時だけでもかなり高く、毎日出会っていてもおかしくないはずじゃないかと諭しても、聞く耳を持たない。それって悪いことが起こるのはお坊さんが悪いといってるようなもので、経験の薄さとか、予測の甘さとか、備えの足らずとか、事後処理アレルギーみたいな自分の弱さの表れ・・・他者への責任転嫁で自戒からの逃避であると分からせようとしたが、結局彼の転職とともに今は会うことのない縁になった。イライラする実にやっかいな男だった。 ジンクスは、プラス思考のものだけにした方がいい。 私は、世の中が私を中心に回っていてイメージは実現化すると信じているので、絶対に悪いジンクスなどありえない。自己責任のなかで生きている。 因みに、今の私にはジンクスは存在しない。やってくる未来を自然に受け止める術を身につけたかのかも知れない。 |
あなたは“占い”信じますか? 相性占いで単に“お相手との相性がいいですか?” と訊ねることに私は疑問をもつ。人生と言うものは山あり谷あり・・・明日喧嘩することもあるし、半年後にもっと素敵な人が出現するかも知れないし、5年後にお相手が浮気しているかも知れないし、10年後にその人が死んで自分が12年後に再婚しているかも知れないし、二人で頑張って年月を重ねても定年後に離婚するかもしれない。年老いた愛する(もしくは愛の冷めた)人を病院で看取るかも知れない。それより明日自分が死ぬかも知れない。どこを指して相性の良さを判断するのだろうか? もし私が占い師であれば、あなたが望む答えを話すだろう。 もし私が未来が分かる超能力者だったなら、お相手が1年後に死んでしまうことを話せるだろうか・・・ 未来は自分で見つけたい。 |
あなたは“占い”を信じますか? 私は信じています。今までに、本物の占い師と超能力者に出会ったことがあるから・・・彼らに出会って私は、彼らに些細なことも相談するようになったんです。彼らに頼るようになると、そうするとね・・・自分の考えが無くなっていくんです。自分のものではない時間を生きるようになるんです。あるときふと気がつきました。自分のものでない時間を生きることも自分の選択だって・・・彼らは私の人生の大きな流れのなかで、私の気づきのために、つかの間現われた存在だって・・・ 今でも、私は“占い”を信じていますが、信じるから近寄らなくなりました。人生というものは“経験が生む経験”だと思っています。何が起こるか分かりませんが、何が起こるか分からない人生を出迎えたいと思います。こんなことを考えるのも経験のお陰でしょうか・・・ 今日の私は変ですか?危ないですか? 素晴らしい力を持った人たちに出会えたことに感謝しています。 |
今日は、戦時下(?)の国の駐日大使が来られるパーティーに出席していたんですが途中で抜けて来ました。結局大使は本国からの特使が急きょ来日しその応対のために来られなかったんです。その国では、毎日何人もの人が戦いで死んでいます。日本は平和な国ですね。人生の幕引きをする一発の銃弾が飛びかう国に生きる人に比べたら、私の目の前のストレスがどんなに小さいものか・・・世界的視野に立てば私もあなたも、今もっと幸せを感じていいんでしょうね。この世界には自分より、もっと幸せな人がいると同時に、もっと辛い人もいるんですよ。そしてその人たちは辛いと思う余裕さえなく精一杯生きてるかも知れませんね。さて、あなたの辛さはどのくらいですか・・・ |