仕事、家庭内のこと、人間関係でも、整理する時間が必要だ。一日のうちでも、一週間のうちでも、一月のうちでも、一年のうちでも、一生のうちでも、それぞれの単位で整理する時が大切だ。 なにが、自分にとって大切な物か、捨てさるべき物かを考える時間が必要だ。 誰しも、経験した全てを袋に入れ、引きずったままでは、進んでいけないのだから。 前に向かって歩んでいくためには…必要なのだ。 |
私の人生を振り返ると、窮地に落ちた時に救いの手があったと思い当たる。その方達にいつまでも感謝の念を持ち続けたい。例え、時が流れ私を追い詰めようと向って来た人であっても、感謝の気持ちを忘れないでいたい。感謝の気持ちを持ちながら戦うべきときには戦い、感謝の気持ちをもって相手を叩くことのできる自分でいたい。 |
全ての人にとって美しいものも、醜いものも無く、 絶対に正しいことや、間違っていることは無く、 永遠に輝いているものも無くて、 完全なものって、どこにも無くて、 絶対や永遠や完全なものなんて、この世の中には存在していない。 絶対や永遠や完全という手に入らない理想をもとめて でも、努力し、もがき、悩み、苦しんで生きて行けばいいんだ。 |
1880年代に大阪で発行されていた新聞の記事を確かめたくて、Web検索できなかったから大阪府立図書館に電話で尋ねてみた。すると、丁寧に調べてくれて、地元大阪では保存されておらず、香川県の市立図書館か東京の図書館にあると教えられた。 東京の図書館は “東京大学大学院法学政治学研究科付属近代日本法政資料センター” と、教えられた。 なんだか、距離も遠いが、名前も遠い存在だ。 香川県も遠いが、今月中に坂出まで行ってみることにしようと思う。 |
教授から私に次のセミナーで、あるテーマでしゃべるように言われた。そのテーマについて“私は専門ではないので、違うテーマで喋ってもいいですか?”と言ったら。“あなたが以前まとめていた事だから心配しなくてもできるわよ。…と、言われた。私だって完全に理解していることだけ話をしているんではなくて、喋って頭を打ちながら成長しているんだから…。”と、言われた。 また、勉強した感がある。教授はそのように実践し、今の教授になったのだ。 やりながら成長する。 今からでも身に付けたい生き方だ。 |
死にかけても、今、生きているということには、理由がある。 もう一度やり直すチャンスか与えられたのか? 助けてくれている誰かに感謝するためか? まだ、やり残していることがあるからか? それとも、それが運命だからなのか? いずれの理由も正しいに違いない。 それら全てを理解して、自分も周囲の人々も愛おしく思い 生きていくべきなんだと思う。 今、生きているということは、それだけで本当に幸せなことに違いない。 |
36才のバレエの先生と話をした。彼は、16才から海外でバレエ修行し、現在もイタリア・スウェーデン・香港等のバレエ団に所属している。 彼が、イタリア人と親しげに会話する様子を見ていた私は、‘イタリア語はベラベラですか?’と誰もがしそうな質問を投げかけた。すると、‘みんな、私に通訳してくれと頼むんですが、僕は全くできないんです。’‘会話はできても、通訳となると言葉を返還しないといけないでしょ?僕にはそれが全くできません。’と言った。 下手に英語の文法を覚えると、会話力が伸びないと聞くが、それに近い感覚だろうか?言葉というものは頭で覚えるものではなく、体で(耳で)覚えるものだということだろうか? はやりのスピードラーニングの考え方が分からないではない。 下手に知識を持っていると、柔軟性や応用性、閃きに欠けるということだろう。 時と場合はあるだろうが…。 勉強は必要だろうが…。 |
昨日の祭りは生憎の雨。祭りの間だけ雨が降っていた。誰に愚痴を言うでもなく、天に怒りをぶつけることもなく。人々は自分の仕事をこなし、あまりしゃべることもなく片づけをして帰って行った。 みんなは知っている。どうしようもないことがあることを…。 そんな時は、次に頑張れば良いと言うことを…。 思いが外れた時にそう思えることも、経験と言うのだろう。 |