人間は誰でも、繰り返すことで慣れが生まれる。慣れには良いこともあるし、悪いこともある。 例えば両手に荷物を持った人の前で扉を開けて待っているような紳士の態度もあるし、人からお金を借りて返さず謝罪ばかり繰り返す…なんてものも慣れのうちだ。 良い習慣は身に付けたいものだが、悪い習慣は一線を越える前で踏みとどまっていたい。 概して一線を越えた人は、私の周囲から去っていくように思うのだ。 |
明治初期の調べごとで、図書館へ行った。現在では当時の新聞記事がデジタル化されておりワード検索も可能である。 ある公共農園の開園式の写真がないか探してみた。写真なんて一枚もない。この頃印刷技術も発展途上で新聞に写真を載せるなんて不可能だったのだと知った。 今では当たり前のことが、昔では考えられない夢の技術だったに違いない。そう言えばETCも電車の自動改札機も、つい15年ほど前にはまだ、一般の誰も予想しなかった技術だったように思う。 新しい技術が、すぐに当たり前になっていく人間の順応性の高さ、その技術を使いたがる貪欲さ、これがあるから人間は進化してきたと思うけれど、年をとってきた私には、そろそろ限界が見えてきた。ゆっくりのんびり生きていたいと思うこの頃である。 |
来週、急きょ東京行くことになった。 仕事だが、あまりいい話で行くわけではない。 こちらを訪ねると言っておいて、何度もすっぽかされると、よほど私に会いたくないのだと思ってしまう。二度と会うことがないように、決着をつけたいものだ。 早く終わらせ図書館へ行って調べ物をしてこようかと思う。 生きていく上で、息抜きも必要だから・・・ いい機会、いい機会・・・ |
世の中には、ソムリエとか言う味の微妙な違いを見分ける能力の長けた人がいるが、どうも私にはその能力がないらしく、よほど酸化している…とかない限り何を飲んでもそこそこ美味しく飲めてしまう。 考えたら、あまり考えずにたくさんの美味しさを感じられる私のほうが、問題のあるもが分かってしまう人達より幸せかもしれない。 などと、思いながら… 1.ラベルの確認 2.コルクのチェック 3.目による確認 4.鼻による確認 5.舌による確認 6.サービスにワインの可否を伝える を、毎回やっている自分が笑えてくる。 |
自分は、他人に比べ劣っているところはあるが、負けないところもある。 私は、そう思って自分を励まし生きているのだが、テレビを見ていて大きな障害のある娘を持つ母親が“私の娘には人に勝るものが何一つない。”と冷静な口調で語った時、言葉を失った。 世の中には、自分の常識では計れない別の尺度の世界が存在していることを思い知った。 どれだけ年を重ねようと謙虚に生きていたいものだ。 |
山中教授に出会ってみたら、お話しをすることはなかったが、シャイで可愛さのある表情に親しみを感じた。でも研究中は厳しい顔になるんだろうな…。 サインをもらったり、握手をもとめたりに興味ない…、有名人でも私には関係ないと言っておきながら、山中教授に会えて心躍る自分がいた。 実は自分でも気が付いているのだが、結構私もミーハーである。 |
概して白色人種と黒色人種の外気の適温というものは違う。芸術でも古典的なものが好きな人とアバンギャルドが好きな人は違う。なんだかんだ言って人は、それぞれ、好みの異性も環境も倫理も正義も違う。 自分の信じるものを持った価値観をもったうえで、自分とは違う価値観をもった人の考えを理解しようとする自分でいたい。 |
ひょんなことから、明日山中教授と会うことになった。私は有名人のサイン、いっしょに写った写真、握手などにあまり興味がない。今までの経験から、そんな方に出会うことが億劫である。 出会うことが本当に実りある経験となる方に変わってあげたいのだが、立場上キャンセルするわけにもいかず、今から小さな悩みをかかえている。 音楽家には音楽家が…、学者には学者が会って話をすればよい。今の私では誰と出会っても、お互いの人生のプラスにはならないように思う。 偉人と出会って志を高くもてる人に変わってあげたいと心から思うのだ。もう表舞台には出たくないと思うのだ。 |