葬儀に出て感傷に浸ってしまった。貴重な人をなくした思い、彼女が自分と同じ病気で死んでしまったと言う縁、今日のこの気持ちを深く胸に留め、前に進んで行きたい。 出会いがあれば、別れがある。 さあー行くぞ! |
忘れてしまいたい事、無かったことにしたい事、切り捨てたい事あるけれど… なかなかうまくはいかない。 うまく行ったように思えても、なにかの拍子に顔を出す。 ちゃんと、身に付けて、付き合っていくしかないのかな。 この人生、逆戻りはできないのだから。 |
昨日、訃報があった。いっしょに活動しているギリシア人の奥さん(50才くらい)が一昨日の夜に亡くなった。 病名は私が10年前に患った“大動脈解離”である。私と彼女の違いは、倒れた時に私の周囲には人がいて、彼女の場合は誰もいなかったということ…。 彼女が味わった悶絶する痛みが分かる自分がいることと、私があの痛みに襲われた時、そばに誰もいなければ死んでいたと今更ながらに理解した。 電話もできない痛み、助けも呼べない痛み、そんな痛みが、突然やってくると言う事を、決して忘れないでおこうと思う。 |
世界は一神教のもとで、数千年に渡る宗教的対立を続け、多くの血を流してきた。どうしてそのような神に人々はついていくのだろう? “イスラム国”と、対立するもの、そして“エクソダス”を観てそう思った。 私は無宗教だけれど、感謝の気持ちは持っている。それだけでいいではないか…と叫びたい。 世界から宗教対立による殺戮を失くすためには世界中の人々が日本神道に改宗すれば良いと言った欧米の宗教学者がいると言うが…、この時機、やけにその通りだと思えてくる。 世界から殺戮と言う文字がなくなるように…。 |
私達の活動の取材をお願いするためにテレビ局の記者に電話した。 一昨年ある番組で取材を受けた時に出会ったその記者は、電話の向こうで気の乗らない様子で対応し、メールで資料を送るように言った。 10分間の面談もできないと言うのだが、そこまで話をするのに5分間が過ぎた。こちらが思うほど価値のない情報だと思い知る良いきっかけになったと同時に、電話やメールではなく面と向かって話をすることを大切にしたいと思う気持ちも大きくなった。 目を見て話をしないと伝わらないこともあると思うから…。 |
昨日の書き込みをすっかり忘れていて… 先ほど気が付いた。 残念なようで、幸せ感もある。 また、時間を後戻りさせて、この投稿を差し込んでおこう。 |
昨日、私の管理する会場で、40人弱の方が集まりある方の“偲ぶ会”が行なわれた。しめやかな音楽、涙まじりの回想、マイクが渡りそれぞれの思い出を語る。 この日の主人公は遺影である。私も面識のあるその人は、果たしてこの場をどう思って眺めているだろう。 …などと、あり得ない状況を想像してみる。 人は死を迎えれば、次の旅に旅立つと信じている私は、少し滑稽さを感じ会の様子を陰から伺った。 それでも、私も死んだら私を肴にみんなが飲み食いするのも悪くない…と、思った。 |
世界には、私の常識の及ばない人達がいて… 日本にも、私の常識の及ばない人達がいて… この町にも、私の常識の及ばない人達がいて… 私の横を、私の常識の及ばない人達が通り過ぎて… ひょっとすると、目の前のあなたも、私の常識の及ばない人かも知れない。 常識なんて、大多数の人達の考え方だろうが、 基準となる枠が変われば、常識なんていつでも変化するものに違いない。 二人の日本人のご冥福を祈りたい。 |