「桃李不言下自蹊成」 37年前に他界した祖母が、当時まだ私が子供の頃、この言葉を私への為書きとし自筆の書でプレゼントしてくれた。その書はすでにないが、人を見る目の鋭い祖母が私の性格特性を見透かして贈ってくれたこの言葉は今でもはっきり記憶に残っている。 数年前から、私の年賀状には毎年漢文が並ぶようになった。正月らしさはあまり関係ない。 来年の年賀状は、これでいこう!! 決まり・・・ もうすぐ 正月やなぁ・・・ 《「史記」李将軍伝賛から》桃やすももは何も言わないが、花や実を慕って人が多く集まるので、その下には自然に道ができる。徳望のある人のもとへは人が自然に集まることのたとえ。 |
昨日、私の友人との話のなかで彼がこんなことを言った。 自分のなかには 四人の自分がいて・・・ 一人は 自分が理解している自分 一人は 周囲の人が理解している自分 一人は 自分が周囲にどう理解されているかと思う自分 一人は 自分も周囲の人も知らない自分 ちょっと違うかったかな・・・・ 彼はある宗教団体に所属していて、きっとその団体の教えのなかの言葉だと思うのだけれど、なかなかおもしろい切り口だと思う。しかしこの後どのように教えに結びつけるのかは聞いていない。 私は、自分大好きのナルシストで、世の中が自分を中心に回っていると思っているが、自分が好きな人でないと本当に他人を好きになれないと思うし、自分の思い通りの人生を生きるという意味はすべて自分の責任であると理解している。決してわがままではない。 自分も周囲も知らない自分がいることや、自分が大きなものの一部であることは私にはよく理解できていて、謙虚であるべきだと思っているし、同時に大きな力に結びついていると理解している。 さて、あやしく思われたであろうか・・・ 因みに私は、幸か不幸かこれまでいかなる宗教団体にも属したことはない。 |
今から16or17年前(昔やなー)近くに住んでいたクロアチア生まれのスイス人の女性(当時60歳位かな?)に、私が壁にぶち当たった時「あきらめちゃ ダメ! なんとかなるのよ!なんとか!」と励まされたことがあった。当時すでにクロアチアは政情不安定な国・・・近隣諸国の政治体制の変化に大きく左右される陸で国境を分かつ国々では、一瞬にして戦火に巻き込まれることがある。信じ続ける者だけが明日を手に入れるという信念が血の中にあるのだろうか。私は今でも苦境に立った時、この言葉を思い出す。震災後母国に帰った彼女とは、それ以後会っていない。元気にされているだろうか・・・「あきらめちゃ ダメ! なんとかなるのよ!なんとか!」彼女の言葉が今でも鮮明に私の脳裏に焼きついている。 |
少し前まで、若い頃に経験がない故にだまされた事、裏切られた事、失敗した事等苦い経験を周りの人に知られないよう秘密にしていたが、最近笑いながら、近親者や周りの若い人達に失敗談として話して聞かせることができるようになった。年を重ねたせいだろうか・・・自分のなかに閉じ込めておかねばならない事が多い人生ほど重荷を背負うのだろう。今のような気持ちで20年前を生きることができたら、どんな人生だったのだろう。今のような思いで10年前を生きることができたら、どんなに楽だっただろうか。こんな事を考えているようじゃ、私は未熟ですね。まだまだ若いな! 歳をとると言うことは人前でスマートに自分を晒すことができて、周りを包み込む衣を身につける事だと思う今、このひと時です。 |
20代前半にアメリカやヨーロッパの国々の美術館を巡る一人旅をした。その後観光で数度海外に出たが、最近は遠出することもない。 今私が行きたい場所が三ヶ所ある。 一つは、アメリカ東部のある片田舎。その町には若かりし頃、私が訪れた証が今でも残っている。もう一度訪ねたい。 一つは、アラスカ。私の好きなエッセイスト(カメラマン?)星野道夫が愛した自然に触れてみたい。 一つは、バスク地方(フランスとスペインの境の海沿い)。ある小説に私の住んでいる町(日本)との共通点が書かれていた。感じてみたい。 人生あと何年だろう・・・5年以内に二つは実現させたい。 |
今日は久しぶりで5年前に住んでいた町に行った。町の中央にある教会で催されたジャズのコンサートに行くために・・・町はほんの少し変化していた。新しいマンションができ、お店の名前が変わり、公園が整備され、教会も新しいモダンな建物に生まれ変わっていた。古びた教会の記憶が蘇る。懐かしくもあり寂しくもあり・・・時間の経過が身にしみた。 今日の出演者はニューオリンズからやって来た音楽学校の先生と学生のトリオ。ニューオリンズと言えばデキシーかと思ったら全くのモダンジャズ・・・それは良かったのだが少し退屈な先生のピアノにごく普通の生徒のベース、東洋人とは体格の違うもう一人の生徒のサキスフォンだけはこれから伸びそうな予感。超一級の演奏ではなかったのだが、アメリカが何でも優れていると言う私が若かった頃の神話は遠い昔の話になったのかも知れない。 私は音楽は何でも好き。本格的ではないがクラシックからジャズ、でも演歌はあまり聴かないかな。ショパン・ビルエバンス・久石譲・平原綾香なんて好きかな。支離滅裂?ピアノの音に触れる機会の多い環境にはあるが、ここしばらく一級のコンサートには行ってない。 どなたか、ご一緒いただける方に巡り会えればいいのだが・・・ |
今日は行きつけの宝くじ売場で、オウタムジャンボを全部買い占めた。私にとって初めての快挙だ。気持ち良かった。 実はその売場に残っていたジャンボの枚数と私が注文した枚数がピタリ一致しただけで、それほど多くの枚数を購入した訳ではない。 売場のおばさんが「わーっ これで最後や!」ありそうでないのかなって思ってしまう。きっと、これこそ‘残り福’・・・ それとも、おばさんは次のお客さんにも同じこと言ってたりして。 これぞ人を幸せにする‘最強営業トーク’??? |
今日は、癌保険について保険会社の営業マンと時間をとった。私はすでに通常の医療保険には加入しているが、癌保険には入っていないのでさてどうするか・・・父も癌で死んだし私も備えをしておくか明後日までに決めるつもりだ。加入するかどうか悩んでいるのは入院保険金が無制限のプラン。健康保険の適応外の先進治療に対応するためだ。子供も成人しているし、この世に未練があるわけではないので(死にたいわけではありません)スルーしても良さそうなのだが、やっぱり長生きしたいのかな。営業マンに言わせると癌で死なない時代がすぐそこまできてるらしい。それまでの間加入しておいたらと言うことだそうだけど。‘営業トーク’ものは言いようやなー。 |
私の自己PRで「思ったことは実現するという人生」と書いておりますが、この思いをある人に話したところ「あなたの夢は小さいのですね。私の夢は大きくていくら頑張っても手がとどかない!」と言われた。その人は東南アジアやアフリカで有機農業を根付かせる仕事をしている。確かに大きな夢を追いかけている。そう言われるとなんだか自分が小さくなったような気がしたものだが、このたび、この思いをPR文として書いた事を機に、自分の人生を振り返ってみると、やりたい事業をし、作りたい物を作り、会いたい人に会い・・・自分は本当に幸せなんだと心から思う。ただ同時に多くの失敗をし、思いが伝わらない歯痒さに苦悩し、大切な人が離れていく寂しさに耐え、死に直面する病気も経験した。今は思い通りに行かないことも思い通りの人生だと思える自分がいる。これからも小さな夢を追いかけて実現させていきたいと思っている。 |
先月半ばに10数年前に書き下ろされたある小説の作家に会いに行った。あるルートからその小説の存在を知り読んでみたいと思ったのだが、すでに一般書店になく再版の予定もないとのことで、その作家と交流のある方に連絡先を教えていただき思い切って電話してみた。この場合(手に入らないと言う理由で自分の作品を尋ねられた場合)無碍にされることはないとの目論見どおり数日後にはその方の自宅の門をくぐる。1時間半の滞在中に話が盛り上がりちゃっかり目的の本を頂戴した。有難いことです。おまけに私が調べている英国人の手がかりとなる情報もいただき、後日メールでも関連資料についてご連絡いただき、それを元に今日市立図書館に行き貸し出し禁止の本のなかから数ページコピーをして帰る事ができた。今日もいい一日・・・。ここで、私が図書館に行きなれていると思われた方もおられると思うが、私は学校以外の図書館を利用したのは今日が初めてである。つい数日前まで公の図書館が月曜日が休館である事を知らなかった。これが急に本を読み始めた私の真の姿である。プロフィールの趣味の欄に読書と記したが所詮その程度なのだ。私が本当の読書家になるかどうか今が瀬戸際かも知れない。 |