(いつも話が長いのですが、今日はここらが折り返し地点です。) ................. その「振り幅」が広いほど 自分で 自分に 振り回されるほど ますます 見えなくなるように 感じるかもしれない。 けど、 ジェットコースターや 飛行機が、 激しく揺れるときのように G(重力)のなかで 剥がれ落ちるものがある。 それはときに痛くて それはときに心地悪くて それはときに吐くほどめまいがして 逃げたくても、逃げられなくて 生きた心地など しないかもしれない。 けど、気がつけば 「逃げたい」 「痛い」 「心地悪い」 それらの「実感」を手に入れている。 そうです。 右往左往するほど 「心」を知るのです。 右往左往するほど 「中心」を知るのです。 コマのように、回るほどに 「軸」を知るのです。 「芯」を覚えるのです。 「自分」に目覚めるのです。 .............. 何でも、 何度でも、 やってみたらいい。 それで失うものは はじめから、失うくらいの 結びつきしか、無かったもの。 始めに決めた目的地も 走り出してみて 「やっぱり違う、向こうに行きたい」 と感じたなら リルート、したらいい。 何度、リルートしたっていい。 そうやって、 だんだんと、 「行きたかった場所」の 「見たかった景色」の その匂いを感じ その気配を感じ だんだんと あなたは、 あなたをナビゲートし始める。 今は、何も見えなくて 今は、何の匂いも嗅げなくて 今は、何の気配も感じないのなら そういうあなたなら、 今からが、面白い。 「決めたフリ」で、構わない。 左、に決めたフリをして 右、に行きたくなったら 右、に決めたフリをして。 「右往左往」に飽きたなら、 今度は、登ったり、降りたり。 そして、飛んだり、潜ったり。 それが、 「生きる」ということ。 それが、 「生きている」ということ。 誰かに褒められるような 誰かに認められるような そんな 他人のための目的地を 目指そうとしたって、 『ココロのエンジン』は、 かからない。 今、右に行きたいか 今、左に行きたいか それをココロに聞いて 一歩ずつでも 転がるようにしてでも ココロが進みたいときに ココロが進みたいほうへ ココロのままに、進みつづけている そんな今日が そんな今が 大切になる。 愛おしくなる。 右往左往する、自分が 間違いながら、生きる自分が 愛おしくなる。 すると、同じように 右往左往する人が 愛おしく見える。 寄り添いながら、 生きることになる。 あなたが優れた人だから あなたを好きなんじゃない。 あなたの輝かしい過去を 好きなんじゃない。 あなたが 何を持っていても 何も持っていなくても あなたが 何ができても 何もできなくても あなたの今日が、愛おしい。 あなたが生きていることが、愛おしい。 そんな思いを 自分にも 誰かにも 抱くことができたら。 もう、その足元が 『目的地』なんだと、思います。 さあ、今日も 右往左往、しましょう。 ココロのままに。 ココロ込めて。 ちなみに、 私は散々、右往左往しているので 仕事にも、人との出会いにも おかげさまで、 もったいないほど、 恵まれています。 |