(いつも話が長いのですが、今日はここらが折り返し地点です) 不毛な戦いを、散々し 戦いながら、 走りながら 自分に問い続け 冷え切って どうしようもなくなって やっと、でした。 やっと、です。 やっと、 バカな女が、 バカを認め ダメな自分を、 ダメと認め 不器用をそのままにして 武器を放棄して 不毛な戦いを、終わらせることが、できたのです。 おかげで、 色んな「人」に出会い 色んな「経験」を得ることができました。 おかげで、 欲しいものは、 手にいれました。 手に入らないもの (=縁のないもの)があることも 体で知りました。 その先で 「何も要らない」 ということに、気がついたのです。 何者か、に成ろうと 不毛な戦いを、戦い尽くした先で 「そのままでいい」 と、思えたのです。 ..... すみません。 ここからは、 おせっかい、を申します。 まだ、何もしないのに 「今のままで幸せだと思いましょう」 「そのままでいいのですよ」 のような、 気休めにもならない スピリチャルや ○○思考法や ○○メソッドが 今、世の中に溢れています。 そんなもので、 考え方や 思い方を操作して 「何も要らない」と 「思おう」 「幸せだ」と 「思おう」 「このままの私でいいのだ」と 「思おう」 だなんて、やってみてもよいでしょうが 「思おう」としなければ 「思えない」のだから 『本音』は、 「まだまだ欲しい!」 「私は不幸!」 「このままじゃ嫌!」 なのです。 「不満」 なのです。 その不満を、 正直に吐き出し 吐き出した「汚いもの」を見て それが、 自分の腹の中に在るものなのだと その汚さ、 その醜さ、 その弱さ、を 「そのまま」 ガン見してやることからしか、 始まらないのです。 ........ 「不毛な戦い」を、し尽くしてこそ 見えてくる「姿」があります。 ダメな自分を、 デキる自分に「矯正」する戦いを経て ダメな自分を、 ダメなまま「生かす」戦いに挑みはじめる。 今、どっちの戦いをしているのか わからなくても、いいのです。 寂しさを埋めたい人なら 寂しさを埋めようとし尽くして それが埋まらないことを 「体で知る」ことです。 誰かのように凄い人?になりたいなら その無意味を「体で知る」まで 思いついたことを 恥ずかしげもなく やり尽くすしかないのです。 やり尽くさなければ、 自分がいかに馬鹿で 自分がいかにダメで 自分が いかに弱く いかに汚く いかに醜いか 「そのまま」の自分を知ることなど、できないのです。 あなたは、 自分に問い続けていますか? 体で、知ろうと していますか? 馬鹿な自分を ダメな自分を どのくらい、知っていますか? 馬鹿でダメだから、 可愛いと思えるようにもなるのです。 誰かのように、優れているから? 自分を認められるようになる? ではないのです。 ハダカの自分。 飾りも、武器も、捨てた自分。 カッコ悪いです。 無防備で、恥ずかしいです。 そんな自分に会いたくて あなたは あなたに 問い続けている、のではないでしょうか。 今日の違和感を 今日の不満足を 今日の不甲斐なさを どうぞ、大切に味わって。 あなたが あなたに なるために。 終わり |