他地域と比べ日本は孤立した島国、少数民族という特殊性がある。 一方、世界地図を見ると数え切れない宗教、民族が隣接・混在しているところが多い。 このため有形・無形の遺産にそれぞれの文化・歴史が複雑に重なっている。 世界遺産のあるスペイン アンダルシアの伝統・民俗音楽について特集していた。かの踊り子で有名な文化、フラメンコ。18世紀末にそこにいたイスラム教徒により発展したとされ、たどるとキリスト教による迫害の歴史のなかで生まれたとされている。 そこにいたイスラム教徒は改宗を強要され土地に留ること、さらに北アフリカへと逃れることを余儀なくされた。 人々は生活文化・歴史を守り続け、その一つである伝統音楽を守り続けた。 フラメンコは独特の踊りに目を向けがちだが、民族色の強い音楽である。言葉に歴史そのものへの思いがあり、悲痛な叫びが込められている。 個人の夢、愛、また、一過性の趣向ではなく、土地を奪われ迫害されたことに対する民族の思い、叫び、誇りなど。 画面を通してではあるが、なんだかそこにある奥深いものが伝わってくる。演奏場面では人の魂の叫びという表現をしていた。 それが抑揚のあるリズムとなり、踊りの力強さとなっているのだろう (よく情熱と喩えられるその中にこういった様々な思いが入っているのだろう。) 思うに日本人にはこういった民族的なもの、心の拠所とするものがあるのだろうか。つまらないことをふと考えてしまった。 都合の良い面だけに目を向け、簡単に多くのものを捨ててしまったのではないか、元々そういう強いものを持ち合わせてないのだろうかと。 形ある遺産はどうだろう。 建造物を見るとき、どうしても外観に目を奪われがちだ。創られるに至った過程にある主体側に陽が当たるが負の面には中々目が向けられることがない。例えば、城そのものに足を向けるが城郭にある生活施設、拷問施設など背景をなすところは見落とされがちだ。 やはり全てひっくるめて歴史、いろんな人の思いを知るとまた別の見方ができるだろうとちょっと考えてしまった。 近くで欧州の雰囲気を見ようとすると旧イギリス領の香港、旧ポルトガル領のマカオがある。何れも中国返還前のことなので最近の事情は分からない。観光目的で訪れたわけではなかったが、マカオはその雰囲気は味わえると思う。 (小さな町なので歩いて散策できる。西洋人と東洋人のハーフも多く、端正な顔立ちに驚いたのを覚えている。) 一方、香港は町がごみごみした上、近代化が進んでいるのであまり好まない。観光客には悪いが日本人買い物観光客にはうんざりだ。 |
いよいよ「レッドクリフ2」が封切りとなる。三国志を舞台にした映画だが、前作「レッドクリフ1」ではなるほどと感じさせる場面が多く、珍しく足を向かう気にさせる。 まずそのスケールだろう。普段なじみの薄い大河周辺の風景は圧巻だ。 山水画で有名な桂林を思い出した。桂林観光というと漓江下り。左右に望む奇峰を見ながら観光船で河を下る。船着場に着くや否や目に飛び込んできた風景が焼きついている。まさに水墨画の世界だ。筆舌に尽くし難い。幻想的風景とはこうゆうもののことだろう。 いざ、遊覧船へ。当時の珍しい?体験談から。 船上から河沿いを眺めていた。「川べりにうつ伏せの人らしき姿が見えるのですが。」そばのガイドに聞いてみた。「ああ、あれは死んだ人です。」(変わった出来事ですか?のような受け答えに次の言葉が出なかった。) 昼食時のこと。船中で「すっぽん」を初体験した。ゴムの塊のようでなんとも味気がない。(本当にすっぽんだったのだろうか。) 終始ぼんやりしているうち、あっという間に船旅が終わった。 中国の広大さと4000年の長い歴史にある奥深さは直に体験しないと身に伝わらない。(余談だが、学生時分のこと。留学生に「中国3000年の歴史」と安易にいうと「中国の歴史は4000年だ」とよく怒られた。ファン君はどうしているのだろう。) 清最後の皇帝溥儀の物語である映画「ラストエンペラー」。北京の紫禁城(故宮)舞台に撮影されたが、世界最大の宮殿と言われるだけありちょっとした城の比ではない。ぐるっと回るだけでも大汗だ。文化遺産云々よりまず移動が大変だ。 (因みに中国側の文化遺産は台湾の故宮博物館の方にかなりの文化遺産が持ち出されたとされている。) また教科書で馴染み深い兵馬ようこう。所狭しと掘り当てられた一連の兵馬像(よう)には圧倒される。 当時、周りに露店が並ぶ中、しつこく「扇子10本が1000円、まけて20本が1000円」と売り込んでくるのがいた。(どこに行っても同じようなことがあった。) シルクロードならぬ絹生産が盛んだけあって、絹製品が意外と安かった。露店でシルク製のシャツを1枚買ったのを覚えている。安かったが手触りが良かったのでまんざら偽者ではなかっただろう。 中国では買い物では注意しないといけない。隙あらば騙そうとする。 規模、集客数いかんによらず観光店は当てにならない。よく目に付くのが掛け軸。日本人がお土産にと買いだめする人がいる。いくら値切っただの何本買ったのだの。 日本語の話せる学生がいて雑談がてら色んな事を聞いたことがあった。彼によると観光店に置いてるものは大抵、寺かどこかでアルバイト学生が描いてるものが多いらしい。自分も経験あるとのこと。ちゃんとしたものは展示会などで求めた方がいいとのことだった。 また、とある観光店でのこと。 横にいた人が硯を購入していた。ショウケースに陳列される中から望みの一品を選び、まさに買おうとしたときの出来事。店員がケースの上で現品を確認。客が頷くと一段下の台で包装し前に指し出した。今一度買うのをためらったのか、店員の手元の動作に不信感を覚えたのか定かでないが、包装を解かせていた。中を見ると安い別物だったらしい。 文句を言って再度包装させる。店員は何もなかったように嘲笑しつつ再包装する。客も今度はじっくり監視していたようだが、相手の言うことを守るなど悠長な考えは通用しない。店員にもう一度包装を解かせ中身を確認する。案の定別物だ。まるで手品を見ているようだ。腹に据えかねたのか、そこの責任者らしき人を呼びつけ自分の目の前で包装させ無事完了。(当人には悪いが、傍から見ている分は喜劇のようで面白かった。) こうゆう事は程度の差あれ、多くの国では起こりうることだ。セキュリティ面しかり。 他人を簡単に信用するなど感情的に物事を考えがちなのは、ある種日本人の美徳である。だからといって、「まあまあ・・」、「たぶん・・」などと都合の良い解釈をすると痛い目にあう。こういう点は日本人が脳天気とされるだけだ。もちろん騙し盗む側が悪い。しかし、被る側の意識の低さ、隙は当人の責任である。 このような場面に出くわすと「危機管理」にもっと意識を向けるべきだとつくづく思う。 ついでに一言。 世の中にいい話などほとんどないと思っていい。人が利益に繋がる話を簡単に他人と分かち合おうとするだろうか。 兎に角、自分自身で充分確認・納得することからだと思う。 |
1週間前のことだ。 早朝に目が覚めることが多かった。 朝、ニュース番組を見ようとするとマスターズの放映があった。 ゴルフに対しては若いころか「年寄りの道楽」と自分に言い聞かせつつ、まるで興味がない。 気軽にできないのが最大の理由だが、一度やり出すとのめり込みそうで意識して遠ざけているかもしれない。 それはさておき、放送画面の鮮やかさについ見とれてしまう。最近、風景を扱う番組はこの種のものが多い。去年、安くなった折ちょっと大き目のプラズマTVを購入した。言い過ぎかもしれないが目前に居るかのような錯覚を起こすほどだ。 (長年使用してきたプロジェクターが去年お亡くなりになった。画質はかなり粗くTVに劣っていたが、にわか映画館の雰囲気だけでもとずっと愛用してきた。) 数少ないアナログ機器がまた一つ身の回りから減ったのは、寂しい限りだ。 とはいってもデジタルHDの臨場感あふれる映像美には舌を巻く。カセットテープからCDに変わったときの衝撃を思い出すようだ。 マスターズの話だが、日本人の片山が孤軍奮闘している。大舞台の圧力に呑まれる選手もいる中たんたんとプレーしている。最終日に残った選手も終盤が近づくにつれ、重圧で崩れる選手が増える。最後まで実力を出し首位争いの一角に残る健闘したのは脱帽する。 堂々たる4位だ。(日本人史上最高位) WBCでの日本の優勝ほど目立たないが、個人的にはこちらの方が偉業であると思う。 精神力というのは日常訓練で培われるし、また、それ自体を高める努力をしないと「ここぞ」に後悔を残す。 かつて得意分野だった競技、その他の競技でここしばらく日本が世界に通用しないことが多い。 相手側の技術力、身体的な優位性もあるだろうが、なにより見る側に興味を沸かせない。なぜか? 以前、旧共産圏があれほど強かったのは、どんな状況下でも自分を保てる絶対的な自信を持ち合わせていたからではないだろうか。 ゴルフに興味ないが、片山選手おめでとうございました。 |
このたびのゴールデンウィークは久しぶりのまとまった連休となりそうだ。 それにしても世の中、相変わらずいい状態とはいえない。 ここしばらく一緒にやってきた人が先日、関西へ戻ることになった。 特に親しくしていたわけではないが、いなくなると物寂しくなるものだ。 ごく当たり前のことだが人の血の流れ同様、世の中を創っている人、物、金といったものが、それぞれうまく循環しないとそのものに生命力がなく、つまらない。 ばらばらの小さな流れが、大きくなり増えていくことを願う次第だ。 ゆとりといってられない人も多いが、こうゆう時期にこそ時間について考えるのもよいのではないだろうか。 これまでとは別の視点で、過ごし方、使い方を考えてみることで何かしら楽しみにつながることがあるかもしれない。 なにせ時間は有限である。これは、いつも意識して過ごしてきたつもりだ。 幸い、今熱中して取組めることがある。ない知恵を、ああでもこうでもないと日々奮闘?させるのもそれなりに楽しくもある。 |
草なぎ・・・の逮捕。 どこをみても同じニュースばかりだ。 偏った報道、様々な意見めいたもの。 感じたことを一言だけ。 ただの感情論だけで物事をみるのは「ちょっと」と思う。 事実を冷静に見る必要がある。 ・理由はどうであれ公務の警官に抵抗(妨害)した。→逮捕 ・奇声をあげ就寝時の近隣住民に迷惑をかけた。→精神的ストレスを与える よくあることなどの温情どうのこうの以前に、逮捕に際してあたりまえの(正当な)対応がとられただけだ。 20歳そこそこの人ではない30半ばの大人?なら、酒に対する自分の限界は予め分かっていると思う。 行動についてもある程度予測はできるし、自制を働かせるチャンスはいくらでもある。 (こういう自分も若い自分、酒に飲まれたことはあるのでえらそうに言えたぎりでは ないが・・・) 間違えは誰にでもある。だが、人に迷惑をかけてはいけない。 いつもながら思うのだが後悔するなら、自分を律することにもう少し気を傾ける努力をしなかったのかと。 謝罪ならば、当事者たる奇行時周辺の住民がまず最初ではないだろうか? ついこんなふうに思った。 |
昨日は連休最終日とあり、日頃使ってない部屋を掃除してみた。 たまに掃除などしているときに、つい置き場の迷った品々はこの部屋へ 行ってしまう。 そろそろと思い恐る恐る部屋を覗いてみた。 案の定、行き場を失った物が山積みされていた。 気分転換がてら、いざ開始。 檻から出したジョンが何に反応しているのか分からないが矢鱈うるさいので再度、檻にかえした。 雑誌などの本がばらばらになっている。まず選別して書棚へ。ひと段落。 ミニコンポのデッキが2台とスピーカが3台。どちらも古いがずっと捨てられずにいた。 おや?スピーカが端数だ。1セットは先日廃品回収に出し、確かスピーカは残していたと思っていたが。どこに行ったんだろう?思い出せない。まあいい。 わきからCDのほかになつかしのカセットテープが大量に出てきた。 人には捨て切れない物があると思う。 もう聞くことはないが、ずっと今まで持っている。小さな歴史だ。 迷った挙句、またそのままにした。 と、女子十二楽坊のDVDが目に留まった。 現地調達したもので、PCでしか再生したことがなかった。 自称ミニシアターで再生してみた。前に見た感じといささか違う。 中国楽器の響きのよさにしばし聞き入ってしまった。なお、中身はライブ 演奏会のものだ。 (いい表現が浮かばないが、会場の雰囲気とあいまって音に「妖艶」 という二文字が重なるようだ。) これは中国作の映画などをみるとよく感じられる。効果音響に各楽器を多用して独特の訴えする。つい感傷に浸ってしまった。 本にも自分の小さな歴史がある。 残っているものには、そのとき興味を持ったもの、色んな準備で使ったガイド、語学書、歴史書など。それぞれに思いがあり、捨てるに捨てれない。 写真もいいが、個々の品々から歴史を感じることもまた味わい深いと 些細なことを考えたのだった。 |
いろんな事情で少しお休みをしてた。ここ1ヶ月ちょっとは入院など。 人生いつ何時、何が起こるかわからない。まずはお世話になった看護師その他の方、ありがとうございました。(個人的には看護師という職業はつくづく大変な仕事と思いました。) やはり今回のようなことがあると、いろんなことを考えてさせられる。 これまで、できるだけ人にたよらずやってきたつもりだが、限界がある。あらためて人のありがたみを知るところだろう。 ところで体重は長年、自分ではベストと思っていたより3~4kg下がっていた。規則正しい?生活のためなのか。栄養士なる人に「ちょっとやせすぎかも」というと、「いえ、これが標準体重ですので、このままでいいですよ。」とあさっり言われてしまった。思い込みとは恐ろしいものだ。 さて明日からは仕事だが、まだ眠れそうにない。 久しぶりにサイトをのぞくと、もう何ヶ月も更新してないのに自分のひとり言を見てくれてる方がいるのには正直おどろいた。というより、ありがたいことだ。 今日はこのへんで。 |
自宅のメインPCの調子が良くない。 だいたい一日中、電源は入れっぱなしだ。投資関係の自動ソフトを走らせるている。 ここ数日帰宅すると、なぜか電源が落ちていた。原因が分からない。どうしよう。 ためしにPCと同じOAタップに電灯をつないで見た。 帰ってみると相変わらずPCはダウンしていたが、電灯はついたままだった。 瞬停かと思い、ヤマダ電機でUPSを購入した。(これで数分は持つだろう) UPSが来るまでの間、電力会社に電話して一次側の電源を調べてもらった。 家の内部は問題ないとのことで、外のメータに記録機をつないでもらった。後日こちらも電源変動なく問題ないとのことだった。 (う~ん こまった) と、PCを見ると冷却ファンの穴がごみで詰まっていた。背面もほこりだらけで換気できない状態だった。これかなと思い、早速掃除。 ついでにCPUのファンを冷却効率のいいもの(¥3000ぐらい)と交換し、中の配線をすっきりまとめた。 BIOSで温度をみると4~5℃は低くなっている。 これでどうだと、数日間、様子見。PCはその後なにもなっかたように至って順調。(今回は高くついた) 電力会社の人、お騒がせしました。 時々、PC周りの掃除をしましょう。 |
朝日新聞のWEB版を眺めていると、「ニュースJAPAN松本氏が妻の介護本」というヘッドラインニュースが目に留まった。 なんでも妻がくも膜下出血で倒れ、さらに今年3月に卵巣のう種が悪性に転化したとのことだ。このため介護で番組を離れざるを得なかった。 始めは仕事と介護を両立していたが、結果的に介護に専念することなった。 数ヶ月前だったか清水由貴子が介護づかれで自殺したのをふと思い出した。これも人には言えない苦労があったことだろう。 つい最近まで入院中の身であったが、早期に無事退院できたのは不幸中の幸いといったところだろうか。周囲を観察するとつくづく世話をする側の大変さに気付く。もちろん現場で働く様々な人たちのサポートあってのことだろう。 TV映画で最近放映された「明日の記憶」(1度みたので今回は見なかった)で渡辺謙演じるアルツハイマー病が記憶に新しい。そこには病状が進むにつれそれを認めたくない自分との葛藤、また一方で受け入れていく自分がいる。つい感情移入してしまう。 以前少し触れたが、人はいつ何時、何が起こるか分からない。介護する側、される側の当事者となり得るかもしれない。(先程の介護本はこういった状況に直面したとき適当な本が見当たらないこと発刊に契機だという。個人的には10人いれば10通りのケースがあり、なかなか解が見当たらないと思う。一つの手助けにと著者側の考えによるところだ。) 人は失ってはじめて気付くことがあるだろうし、後悔しないよう自分にわがままに生きてもいいと思う。 ふと考えたのだった。 |
もう古い話だが、ドイツの話を フランスのシャルルドゴール空港より入った。旅客数でいえばヨーロッパでイギリスのヒースロー空港についで大きな空港だ。 入ったはいいが右も左も分からない。地図を探していると、最寄の駅まで行くという日本人がいた。彼もどう行っていいのか分からない。不安なもの同士、地図を見ながら何とか駅に到着。 そこで別れ(彼はスペイン方面へと)、いざドイツへと思ったが一息。腹ごしらえのため気の利いたレストランに入る。メニューが読めず、適当に注文する。見た事がない長細い貝が出てきた。フォークとナイフはあるが、どうやって食べるのか悩んでると、ウェイターが素手で食べた。これが人生初めてのムール貝だった。(味の記憶がない) 食後すぐに、駅へ戻りドイツ行きのチケット購入。T/Cで支払いのため自署すると、売り場に子が隣に見せてくすくす笑っている。(よほど字が珍しかったのだろう。恥ずかしながら姓名の名は小学生3年まで書けなかった。) さぞ画数の多い漢字に驚いたと見える。 列車に乗るとシートは案外広い。日本人とは体格が違う。発車間もなく窓辺にのどかな丘陵地が広がった。時間の流れが穏やかだ。途中、小国ルクセンブルグあっという間に抜け、目的地のドイツに到着した。 確か最初は西部の街ケルンに滞在した。まず本場のビールを飲んだ。このために遥々やってきたといって過言ではない。やはり格別だ。味が濃い上、量が多い。(ジョッキが日本のものと比べ物にならない程大きい。) 因みにドイツにはビールに対するこだわりがある。麦芽、ホップ、水、(酵母)以外を使用してはいけないと法令化されている。俗にいう「ビール純粋令」だ。(ただし輸出向けは例外となる。日本のビールは混ぜ物が多く飲みやすくしている。) ビールに長い歴史と文化があるのだ。 ケルンには街の象徴とも言うべきケルン大聖堂がある。世界最大のゴシック建造物だ。完成まで過去、何百年にも亘る建築の歴史がある。当時、外観は酸性雨のため緑色に変色していたのは残念なことだ。 ここでドイツの街について ドイツは大戦で街のほとんどが破壊されたと言われるが、行ってみるとそれはあまり感じなかった。なぜだろう。日本とは木造、石造の違いはあるが、彼らは愛着を持って古い街並みを再興させた。一方日本はというと・・・・・・・ 食事は縦に割れたフランスパンのようなものに、ハムをトッピングした。1本は食べられないので(でかい)、ハーフサイズにした。(ドイツ国内は何処へ行ってもパンは硬く、決して美味いといい難かった。) ドイツには当時、国内限定の周遊切符があって、1ヶ月乗り放題(15000円)だった。 翌日、これを購入し、そのままフッセンまで南下した。その後、国境を越えザルツブルグへ行った。どちらの街も世界的に有名な町だ。・・・・(以前触れたので省略。) この後ミュンヘンへ向かう。ミュンヘンはバイエルン州の州都であり、ビールの本場だ。ここでも朝からパンとビールだった。(やはり並みのジョッキではない) ミュンヘンでは正直、他にこれといった目的がなかったので、早々にホテルに帰って寝てしまった。 ここでドイツのもの創りについて。 ドイツ人は元々愚直だ。このため、もの創りに対しては、ある意味日本人以上にこだわる。 車、掃除機、その他生産機械など・・・ ドイツ人の気質というべきか、堅強なものを創る。このため、どこかの国の品物のように物が簡単に壊れない。 ミュンヘンで泊まったホテルなどは未だに(電動ではなく)機械仕掛け式のエレベータが現役で活躍する。壊れないものを創るのだ。また、列車の座席に肘掛けと同時に頭かけなど付いたりする。今でこそ日本には駐輪所(隣同士でハンドルがぶつからないような仕掛け)があるが、昔からドイツではこの類の機構はあった。 二重ヒンジ付きのドアがあり押しても、引いても開く。ティーポットは蓋にフック構造の付いたもの、巧妙な蓋付のものがあり傾けても落ちない。 生活のあらゆるところにものに対するこだわりがある。 余談だが、ジェット機のエンジンも全金属構造もドイツ人の発明でその他挙げるときりがない。 つづく |