もう古い話だが、ドイツの話を フランスのシャルルドゴール空港より入った。旅客数でいえばヨーロッパでイギリスのヒースロー空港についで大きな空港だ。 入ったはいいが右も左も分からない。地図を探していると、最寄の駅まで行くという日本人がいた。彼もどう行っていいのか分からない。不安なもの同士、地図を見ながら何とか駅に到着。 そこで別れ(彼はスペイン方面へと)、いざドイツへと思ったが一息。腹ごしらえのため気の利いたレストランに入る。メニューが読めず、適当に注文する。見た事がない長細い貝が出てきた。フォークとナイフはあるが、どうやって食べるのか悩んでると、ウェイターが素手で食べた。これが人生初めてのムール貝だった。(味の記憶がない) 食後すぐに、駅へ戻りドイツ行きのチケット購入。T/Cで支払いのため自署すると、売り場に子が隣に見せてくすくす笑っている。(よほど字が珍しかったのだろう。恥ずかしながら姓名の名は小学生3年まで書けなかった。) さぞ画数の多い漢字に驚いたと見える。 列車に乗るとシートは案外広い。日本人とは体格が違う。発車間もなく窓辺にのどかな丘陵地が広がった。時間の流れが穏やかだ。途中、小国ルクセンブルグあっという間に抜け、目的地のドイツに到着した。 確か最初は西部の街ケルンに滞在した。まず本場のビールを飲んだ。このために遥々やってきたといって過言ではない。やはり格別だ。味が濃い上、量が多い。(ジョッキが日本のものと比べ物にならない程大きい。) 因みにドイツにはビールに対するこだわりがある。麦芽、ホップ、水、(酵母)以外を使用してはいけないと法令化されている。俗にいう「ビール純粋令」だ。(ただし輸出向けは例外となる。日本のビールは混ぜ物が多く飲みやすくしている。) ビールに長い歴史と文化があるのだ。 ケルンには街の象徴とも言うべきケルン大聖堂がある。世界最大のゴシック建造物だ。完成まで過去、何百年にも亘る建築の歴史がある。当時、外観は酸性雨のため緑色に変色していたのは残念なことだ。 ここでドイツの街について ドイツは大戦で街のほとんどが破壊されたと言われるが、行ってみるとそれはあまり感じなかった。なぜだろう。日本とは木造、石造の違いはあるが、彼らは愛着を持って古い街並みを再興させた。一方日本はというと・・・・・・・ 食事は縦に割れたフランスパンのようなものに、ハムをトッピングした。1本は食べられないので(でかい)、ハーフサイズにした。(ドイツ国内は何処へ行ってもパンは硬く、決して美味いといい難かった。) ドイツには当時、国内限定の周遊切符があって、1ヶ月乗り放題(15000円)だった。 翌日、これを購入し、そのままフッセンまで南下した。その後、国境を越えザルツブルグへ行った。どちらの街も世界的に有名な町だ。・・・・(以前触れたので省略。) この後ミュンヘンへ向かう。ミュンヘンはバイエルン州の州都であり、ビールの本場だ。ここでも朝からパンとビールだった。(やはり並みのジョッキではない) ミュンヘンでは正直、他にこれといった目的がなかったので、早々にホテルに帰って寝てしまった。 ここでドイツのもの創りについて。 ドイツ人は元々愚直だ。このため、もの創りに対しては、ある意味日本人以上にこだわる。 車、掃除機、その他生産機械など・・・ ドイツ人の気質というべきか、堅強なものを創る。このため、どこかの国の品物のように物が簡単に壊れない。 ミュンヘンで泊まったホテルなどは未だに(電動ではなく)機械仕掛け式のエレベータが現役で活躍する。壊れないものを創るのだ。また、列車の座席に肘掛けと同時に頭かけなど付いたりする。今でこそ日本には駐輪所(隣同士でハンドルがぶつからないような仕掛け)があるが、昔からドイツではこの類の機構はあった。 二重ヒンジ付きのドアがあり押しても、引いても開く。ティーポットは蓋にフック構造の付いたもの、巧妙な蓋付のものがあり傾けても落ちない。 生活のあらゆるところにものに対するこだわりがある。 余談だが、ジェット機のエンジンも全金属構造もドイツ人の発明でその他挙げるときりがない。 つづく |