金木を後にし、五所川原へ
駅舎傍らに仁王像のようなねぷたが二体、市内に目を輝かしている。(飾られているねぷたは、祭りの出し物よりまだ、小型らしい。)五所川原のねぷた像は、電線の普及に伴い低頭化したそうだ。地元有志により十数年前より、懐古の大きさに復活を遂げたそうだ。
市内中心部の展示館には、夜祭りの到来と共に建物前面(地上4階)が開放し、内部に展示の立侒武多が出陣する。その高さたるや22mもあり、地上4階からようやく全貌が判る程だ。実に三体が陳列されており、どれもこちらを威嚇している。
口惜しいが、今宵の出番は拝めない。
場内では定刻毎に映写により歴史と文化が紹介される。私にはそんなことはどうでもいい。らせん階段を下りながら、像の些細を観察するのだ。
もう一つ、珍妙なものがある。
五所川原特産の赤いりんごだ。何を当たり前のことを言ってるのだとお思いだろうが、このりんご、皮だけでなく果肉、花、若葉、枝まで全て赤いのだ。りんご王国、青森でも此処でしか出会えない。
お土産にと、お菓子(唯一の赤りんご菓子)を持参して帰ることにした。他に果実酒、果実飲料などがある。飲料液の色は、当然朱色で、少し酸味が強い。旅の思い出に一杯、口にした。
やれやれ。旅も終盤を迎え、青森へと列車を乗り繋ぐ。
復路便の出発まで小一時間。駅傍の海鮮市場で総括に、海鮮丼を。ネタはどれも地元でしか味わえない新鮮さ。海の幸を堪能しながら、青森ご馳走様!
太宰治 四方山話
太宰治は、極度の人間不信だった。というより、ただ世間を達観していたかもしれない。幼少の頃より、処世術に長けており、道化という手段で度々、周囲との距離を保った。
また、型枠にはまるのが嫌いで、生涯彼は煩悶していた。
井伏鱒二に師事していた頃の一つの逸話がある。ある日、井伏宅を訪問する約束をしていた。定刻になっても太宰が現れないので、井伏は不信に思い玄関先に出た。すると、軒先に太宰が居て、何を話していいか判らず恐縮していたという。
数多くの女性と一緒に何度も自殺未遂を起こしているが、人(世間)を「怜悧狡猾」といって機嫌するなど、自分を見出せないまま人生を完結させてしまう。
小説の中で、自身の人生の様を純粋かつユーモラスに表現し、魅力としてなおも人々の心を擽るのかもしれない。
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