今回の津軽(青森)の旅は、太宰治調?で書こうと思う。
私は、気付くと津軽行きの電車の中で、キオスクで買ったハイボールを持って、無名の短編小説を読んでゐる。この時期、自動車でイライラして移動するより、電車のはうが快適に過ごせる。なんせ、自分の時間を、雑踏に邪魔されなくてすむ。隣の若者は、なにやらゲームに夢中である。しばらくすると、睡魔が、私を襲ってきた。
目が覚めると、終着駅の八戸。新幹線は、年末に此処から更に北の青森へと延びる予定である。
其処彼処に、「東北新幹線 八戸-青森間開通 12月4日」の垂れ幕が目に入る。特急「つがる」への乗り換えのため、在来線乗り場へと足を運んだ。
私自身、今回の旅には納得して無い。直前まで、足繁く「みどりの窓口」へ通ったが、寝台列車はたうたう取れなかった。旅の最初の目的だっただ
けに、残念でしょうがない。
「つがる」へ乗り込むと、私の隣の席に、また先程の若者がゐた。なにやら、向こうもこちらに気付いていたやうだが、相変わらず、ゲームに夢中である。なんてこと無いが、目的地を同じ者を安易に並べたただけで、国鉄の手抜きの犠牲となっただけかもしれない。
1時間も乗っていると、終点の津軽へ到着。首尾よく、ねぶた祭り最終日の運行に間に合った。ねぶたは昼間の2時間、市内の巡回路を練り歩く。夜間は、その年選ばれた山車が前の海上を運航し、花火大会が催されるやうだが、今夜の宿に行かなくてはならない。
初めてのねぶたに、私も気持ちが高揚してきた。童心に返って、前へ前へといそぐ。山車は、中央下部に大きな車輪が1つ付いてをり、その周りを人が囲うやうに押してゐる。
上には、正面には鬼?、動物、背面には女神、動物などが飾り着けられてゐる。先導役が前にゐて、観客のために山車を横に向けたり傾けたり細かに指示を出し、うまく舵をとる。
この暑さに、運行する者は先導についてゆくのがやっとなのだ。休んではまた進み、吹き出す玉の汗を拭いながら、「ラッセラー」の掛け声に、気力だけで前進する。
その後を、太鼓、笛、手振り鉦(金属製の皿のような楽器)を鳴らしながら、踊り部隊が「ラッセラー」の掛け声のもと、踊り歩くのだ。
連日の疲労の蓄積と暑さのせいで、ごく一部の人を除いて、こころなし元気が無い。
(西日本の代表的な祭りは、男性が山車を担いで時間、速さ、また、人の勇姿を競う男性的で、演じる主体の自己満足が強いものが多いような気がするのである。こうゆうものばかりではないが・・・。
一方、飾り物に趣向を凝らし、全体を通して、見るだけでなく老若男女参加できるのも祭りの醍醐味ではないかと思う次第である。)
この祭りを本当に楽しむには、夜の祭りであろう。時間の都合で、夜見できないのが残念でならない。こう云うものは、一度経験しないと分からないのが、世の常である。
本日は黒石まで行かなくてはならないので、国鉄へいそぐ。この度は、「青森・函館フリーキップ」を利用しての汽車旅行で、兎に角、都合がよい。往復の指定席(寝台可)に津軽ほぼ全域と、函館周辺の旅券が、一定期間乗り放題なのだ。
ただし、国から見捨てられた第三セクターのローカル列車は、運賃を払わなくてはならない。自動車社会とはいえ、まだ、このやうな地元の足は数多く存在する。
弘前駅にて
青森ねぶた編終了
次編へとつづく
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