熊本城には明治初期まで、櫓が49棟あったそうです。
西南戦争での戦禍を免れたのは、僅か13櫓のみ…
御殿復元と共に当時の技法のまま復元されたのが、本丸の南西を守る飯田丸五階櫓です。
清正は優秀な家臣に櫓や門などを守らせ、その家臣の名前をつけるようになったそうです。
外観3層内部5階の飯田丸五階櫓は、熊本城の中では小さな存在ですが、大きさだけでは、青森・弘前城や福井・丸岡城、高知・丸亀城、愛媛・宇和島城より大きく感じました。
清正のスケールの大きさに感服しています。
やっぱ、日本三名城の一つですね。
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